独行法反対首都圏ネットワーク

独立行政法人化(国立試験研究機関の準備状況から)
2000.10.23 [reform:03212] 独立行政法人化

皆様
森林総合研究所 企画調整部 部付
森林NGO緑友会 事務局 藤井 久雄
 国立大学の独立行政法人化が検討されて議論になっております。私が事務局を務めております森林NGO緑友会でも昨年・一昨年等に、‘森林関係国立試験研究機関・国立大学の独立行政法人化に反対しより良い国立試験研究機関改革を求める要望書’を提出してきております(http://www2s.biglobe.ne.jp/~ryokuyu/tok0088 .htm#ikensyo、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ryokuyu/tok0115.htm)。その後、国立試験研究機関では一足先に独立行政法人化が決定され来年4月よりの独立行政法人化に向けて現在準備が進められていますが、国立試験研究機関のひとつ(林野庁森林総合研究所)に勤める私から見ました、独立行政法人化準備状況の現状と問題点を、身近な具体的事例を交えながら書かせていただきたいと思います(森林総合研究所はあまり良くない研究所の1例だとは思いますが)。研究現場の方には良くご存じの内容も多いかと思いますが、他研究所・大学の状況・ご意見等もお聞かせ頂ければ幸いです。
 独立行政法人化についての大きな危惧の一つに、独立行政法人化の「独立」とは名ばかりで実際は研究の国家管理やトップダウンが強まり、学問の自由や社会的に必要な研究が損なわれるのではないかということが、従来より言われてきています(今まで独立性の強かった大学では、一層強く危惧されていると思います)。
実際の独立行政法人化準備の経過を見ますと、従来から上意下達性の強かった国立試験研究機関でさえ、その様な危惧は非常に大きくなりつつ有ります。
 例えば、現在の森林総合研究所の独立行政法人化案では、殆どの研究課題のプロジェクト化・チーム化(従来経常研究と言われていたものを廃止し、チーム長の元でのプロジェクト推進体制をつくる)、研究室を大研究室化する(現在1研究室平均4人足らず程度のものを倍程度にするという未経験の改革)等の方針が、一方的に進められつつあります。他方で、従来より行政監察等ですら指摘されていた、‘研究しない管理職(科長等)が多すぎる’といった真の問題点はなんら改善されることなく、既存の管理職数を維持できるような組織作りが進められています。しかもこうした組織案作りが、殆ど職員の全所的討議なしに、管理職と管理職によりつくられた閉鎖的委員会および行政主導で一方的に作成・決定されている状況にあります。
 それのみならず、これから5年間森林総合研究所がどのような研究テーマを研究していくかという研究所にとって非常に重大かつ各研究者の意見聴取・討議が必要不可欠な問題でさえも、未だに一度の研究推進会議も開かれることなく、管理職主導で閉鎖的・トップダウン的に(部長−科長−室長のトップダウン的・閉鎖的検討で)中期計画案が作成されてしまった状況に有ります(従来は研究問題ごとの研究推進会議により研究基本計画が検討・決定されていました)。実行課題の概略内容まで記載された中期計画案が、8月になって一方的に説明会で提示され、それに対し意見を提出しても、何ら理由説明も無く殆どが無視されたまま計画が進められている状況にあります。これから5年間の研究所の研究内容大枠が、関連研究者同志議論を行うこともなく、また実際に研究をする担当研究者の意見聴取も殆ど行わぬうちに、大筋で決められてしまっているという、許し難いことが起きているわけです。
 独立行政法人通則法によれば、独立行政法人中期計画は、主務大臣が定めた中期目標に基づいて、独立行政法人が作成し主務大臣の認可を受けることになっています。ところが、この主務大臣の定める中期目標がかなり研究細部にまで言及した部分があり、例えば課題によっては、「○○地域の××と△△の関係を解明する」とか「全国○箇所の森林で××とその影響をモニタリングする」とかいった、研究の内容大筋まで決めてしまうような文言が、主務大臣の定める中期目標に入ってしまっているものもかなりあります。
 そもそも、行政が重要と考える研究と研究現場の研究者が重要と考える研究との間にはしばしばズレがあり、行政はその時にマスコミ等で社会的に大きく取り上げられている問題・テーマ等や、その時の内閣・行政方針で予算の付きやすいテーマ、行政上必要なテーマあるいは行政運営上都合の良い研究テーマ等を要望してくるケースが多いですが、研究の現場では、マスコミ等で大きく取り上げられているテーマ・その時社会問題化しているテーマだけでなく、社会的に広く認知される前のシーズ研究・先端研究が非常に重要である、ということがあります(重要な研究でも初期段階は必ずしも多くの人がそれを認知しているわけではなく、そういう明らかになっていない重要点を明らかにするのが研究の大きな役割です。例えば(主に海外で)環境ホルモンの影響を明らかにするシーズ研究が随分行われてきた結果、今環境ホルモンの問題が広く認知され世界的に多くの研究が行われています)。当然、そういう最先端の重要な必要研究は、その分野の研究の現場にいる研究者でなければなかなかわからないという事情があり、上記森林総合研究所の中期目標のように、行政が研究の細部内容までトップダウン的に決めていくことには無理があります。ですから実際には、「主務大臣が定める」と決められている中期目標も、森林総合研究所の中期計画の策定と平行して水面下でやりとりをしながら、同時に整合したものを作成するということが行われています。しかしこれでは、行政と独立行政法人の独自性も緊張関係も有りませんし、中期目標と中期計画を別の機関が作成する意味も有りませんし、森林総合研究所側の対応も担当研究者意見をあまり反映しない管理職主導のものになってしまっています。本来今の法体系の元なら、中期目標は、行政として必要と考える研究目標を、関連外部機関・外部識者・当該研究所員等の意見も参考にしながら、研究所が研究現場の目から見て必要なテーマを行うことが出来るような余地を残し、研究手法の方向付けまで立ち入るようなことはせずに策定されるべきものと思います(今の中期目標案では、中期目標に試験地や測定対象が規定されていて、それが重要な測定から目をそらす結果になるようなものが、発生しています)。
それに対して、中期計画は研究所が中期目標を満たしながら、独自の検討・判断に基づいて、必要な研究が行えるように策定すべきものだと思います(管理職がトップダウン的に組むのでなく担当研究者の意見聴取・議論も十分行うことが重要です)。中期目標・中期計画の両方が、ともに行政と管理職主導で全所的討議もなしに閉鎖的に作成されている現状は厳密には法に則っているのかどうか疑わしいとも言えると思います。
 独立行政法人通則法では多くの項目を定めるのは独立行政法人の長でなく「独立行政法人」と記載されています(理事長に決定権があることを明記されているのは、役員の任免、職員の任命等だけです)が、森林総合研究所では実際にはこれは守られておらず、非常にしばしば所長の裁量によって運営できるとして計画が進められつつあります。上記中期計画のみならず、独立行政法人組織作りでは、「職員が口を出すことではない」(企画科長)といった発言が説明会で出るほどです。また、こういった「独立行政法人」が決定すると通則法に定められていることの検討状況が「林野庁から所員に公開するなと言われているので公開できない」といった説明すらなされたこともあります。「独立行政法人」が作成すると法律に定められているにもかかわらず、組織案や中期研究計画が、独立行政法人の意志決定体制も決まっていない状況下で(林野庁出向の肩書きを持つ管理職主導で)一部の人間により閉鎖的に作成され、全所的討議もなされていない現状では、多くの所員は責任を持って研究を遂行していけないと思いますし「独立行政法人が作成」したものと法的に言えないのではないかと思います。
 このようなトップダウン的運営の強化が、今後の独立行政法人における研究にどのような影響をもたらしていくかは、重大な問題であると思います。
管理職が多いことの問題点について
 例えば森林総合研究所には、自らはその手で研究しない管理職が研究職の1割程度もおり(森林総合研究所は国立試験研究機関の中でもその割合が高い研究所だと思います)、行政監察でも科長は無駄だから廃止せよとの指摘を受けていますが、独立行政法人化組織案でも管理職は削減されることなく微増する案で現在準備が進められています。
 管理職が多い(50を過ぎたころ大部分が科長等になってしまう)ことの問題点は、実際に研究をする研究勢力が減少する、経験豊富な研究者がいなくなると言うことだけでなく、運営権限を与えられている管理職がしばしば良い運営をしようとせず、逆に成果の上がりにくいような運営さえしばしば行っているという問題が起きています。自ら研究が出来なくなった管理職は、そのことに不満を貯めています(私が直接話をした管理職の多くはそう漏らしますし、大学関係研究所でセクハラを起こした管理職が「管理職であることの不満もあった」と言ったと言う週刊誌記事が出たこともあります。研究者は自ら行った研究内容が社会的評価の大きなものでまた研究者としてのやり甲斐ですから、本来の研究所・仕事の目的を見失いがちな国立試験研究機関においては、自ら研究しなくなった管理職は研究者としてのライバル意識等が先に立ち、良い研究運営をしようとしない場合が多いのが実態です)。また、日進月歩の研究において、今本当に必要な研究の重要ポイントというのは、その分野で今研究を行っている研究者にしか十分把握できないことが多く、自ら研究をすることを離れてしばらくした管理職では適切な研究運営を行うための見識も不足してきます(実際随分不見識なことを言われることがしばしばあります)。部下の研究成果を元に管理職が行政や講演等の場へ出ていって話や議論をしても、本当に確信や説得力を持って話や議論が出
来るとは思えません。大学では、学長等一部を除けば定年まで研究に携わるのが通常ですが、国立試験研究機関も、殆どの研究者が(必ずしも室長・リーダという形でなくとも)定年まで研究に携わり続ける体制にすべきだと思います。
研究費重点化は多大な問題点をもたらしています 
 試験研究機関を取り巻く流れは、研究をプロジェクト化し、その評価を厳しく行い、研究費を重点化することで、効率化を図ろうという動向の中にあります。字面だけ見れば、国民のために良いことのように思えますが、実際には逆に研究費重点化が研究費の無駄使いをもたらしている側面の方が多いのが現状だと思います。
 色々問題点がありますが、まず研究評価が公正には行われていないという現状があります。実際に私が経験した例でも、まるであべこべな(採択されている課題の方に言うべきような)コメントがつけられて課題が却下され、あまりに無茶苦茶なので意見書を提出しても何の回答も是正もなされず、間違った研究に重点投資がなされ続けているというようなことも起きています。大部分のプロジェクトの採否を決めているのは行政ですが、そこには、許認可と同様の利権的構造、研究所から行政の研究担当部所へ出向している人間による癒着構造、行政運営に都合の良いような方向付け、そして専門家による評価委員会が最近はつくられていますが、それも研究者同士のライバル関係・癒着関係や、少数閉鎖的な専門家
委員会では細分化・複雑化している研究テーマを適切に評価できない、といった問題があって、およそ適正な評価は行われていないのが実状です(最後の部分に、実際の管理職や行政主導・重点化の具体的弊害事例を記載します)。しかも、こうした国立試験研究機関の重点化課題の採否については、殆ど採否理由も公表されず(尋ねると行政担当者の若干のコメントが聞ける程度です)不透明であるのが実態です。以前、科研費の採択方法の審議会での検討に際し、採否理由の公表や、恣意的な理由が付けられた場合の救済措置と委員等への懲罰が議論されていたと思いますが、国立試験研究機関の課題についてはそのような透明化は殆ど行われていません。最低限そのような透明化は不可欠ですし、閉鎖的少数の選考者による選考では適正化は困難ですので、関連研究者・識者・行政担当者等多数が出席する会議で、全応募課題担当者も同席して十分な質疑応答・議論を行い、その検討に基づいて予算を決めることが、適切な研究費配分につながるましな方法だと思います。プロジェクト開始時の評価は、どの課題にお金をつけるかを決める最も重要なものですが、まだ研究されていない課題の評価はどうしても主観的にならざるを得ず、間違いのない評価が出来るはずがありません。また一度お金がつき始めると、予定された期間に大幅に見直しがされることは希で、最近評価結果を研究費配分に反映させるような動向にあると言っても、多少の増減に留まるのが通例で、当初無かった課題を入れるようなことは殆ど無いのが実態ですし、中間評価も癒着等で客観的になされているとは言えないのが実状で、間違った研究でも平気で継続されたりしています。
 結局研究費重点化の結果生じたのは、研究者が利己主義化し、国民のため・人類のための研究ではなく自分の研究費・給料のための研究が増え、研究結果が間違っていようと国民のためにならなかろうと研究費・給料が得られれば良いという風潮です(そのために、誤った学説が徒党を組んで学説閥を形成するようなことも起きています)。会議や学会等でも研究費を意識した恣意的議論や運営が行われたり、学説が研究費の付きやすい方へ偏向したりといった事例が多発しています。論文数等の客観的指標があると思われがちですが、学会も腐敗している例がしばしばあり、間違った学説が徒党を組んで支配的に多数公表され、逆に正しい学説の論文が不当審査を受けて掲載されないというようなことすら生じ(実例をhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ryokuyu/tok0108.htmhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ryokuyu/tok0109.htm等に紹介しています)、酸性雨・樹木衰退問題では酸性雨影響を否定した明らかに間違った内容の研究が学会賞を受賞したりするようなことすら起きています。「競争的研究環境」は、研究者間の和を壊し協力関係を損ね客観的な正しい研究評価や研究推進を困難にしている側面が強いものです。
 また、重点化はしばしば不自由や無駄を生んでいます。プロジェクトは期間や要件の決まった単年度ごとの予算ですので、どうしても応募要項や予算消化に併せて申請や購入をするために無駄が出やすく、募集プロジェクトの予算規模に併せて必要予算額以上の水増しプロジェクトが組まれる「予算額先にありき」のようなことや、募集要件に合わせて無理に研究内容や形態を変えて組むようなことがしばしば有ります。また、一度予算が付くと3年なり5年なりは通常継続されますので、転入してきた研究者は自分の関連分野のプロジェクトが有っても現在のプロジェクト期間が終わるまですぐには予算が得にくいとったこともあります
し、プロジェクト期間中にプロジェクト外で大きな知見等が見出されても柔軟にプロジェクトが組み替えられるようなことは困難です。
 また、研究費申請の書類作成や申請・折衝には、大きなプロジェクトになると1課題に研究者1人・月くらい等多大な手間がかかりますし、その申請が却下されればその手間は全く無駄になります(競争率20倍程度の高額プロジェクト等も有りますがそこで無駄になる申請の手間は膨大なものです)。研究費重点化に関しては、‘優秀な研究者が高額プロジェクトの予算要求のために1、2年費やし、その間成果が出ないようなことが有っても止むを得ない’といった議論すら真面目にされていますが、代表者になるような優秀な研究者の研究時間を減らして能率を落としているとしか言いようがありません。プロジェクト開始後の、プ
ロジェクト対応の書類作成や予算執行、中間評価や報告会等、事務や評価の手間も馬鹿になりません。
 研究費重点化は、研究の中身や予算使途にも大きな影響を与えています。例えば昔なら高額分析機器はあまり売れず比較的安い分析機器が沢山の研究室へ売れたのが、最近は今まで売れなかった高額機器が売れるようになった反面多くの研究室が逆に貧乏になっているといった話が、2,3年前の科学新聞の機器メーカー座談会に載っていました。これが日本の科学技術にとって良いことかどうか大変に疑問です。(分野にもよりますが)通常は、研究者の人件費の方が研究費より大分高いので、研究費が無くて十分研究できない研究者をつくることは効率化・税金使途の観点からも良くないことです。特に私の関わっている森林関係研究などは、高額研究費の必要な分野は少ないため研究費重点化の必要性は低く、研究費額を出来るだけ平等化し重点化の手間や弊害を除き、その分研究そのもののや
その内容の適正化のための議論にパワーを振り向けた方が遙かに有効だと思います(勿論、何の研究をするかという内容については多数の会議による重点化が必要ですが、研究資金配分の重点化とは切り離して行う方が良いと思います)。
任期付き任用の増加は許容されるのか?
 独立行政法人化に伴う任用形態の一つの変化として、任期付き任用の増加が検討されています(特に農業関係研究機関では一度その様な方針が行政から打ち出され議論になった模様です)。任期付き任用は、近年行われた国家公務員一般職の任期付研究員特例法制定や、労基法改正による3年までの有期雇用契約の可能化等に伴って具体化されてきているものですが、色々な意味で問題の多い制度だと思います。
 まず、何故に研究者だけがそのキャリアの初期等において3年先等の雇用も確保されていないような生活設計の出来ない不安定な雇用形態を強いられねばならないのかという問題があります(通常の民間企業の試用期間は半年程度です)。
これでは、研究者になりたい人材が減ってますます科学技術離れが進み科学技術の衰退が起きるかも知れません。もし研究者に向いている人を選別し向いていない人は転向させる目的であるならば、ポスドクの任期付き任用でやるべきでなく、ドクター終了までに判断をすべきだと思います。ドクター後に運悪く就職できなかった人の救済措置としても、他のやり方でやるべきでしょう。多量のポスドクが、任期付き任用終了後の30歳を越えるような年齢になって他分野で就職することを余儀なくされるようなことは不適当でしょうし、その程度の判断はドクター研究をやれば通常つけられると思います。確かにプロジェクト・リーダ等の立場からは、プロジェクト期間だけ雇用できるポスドクというのは便利なものだと思うのですが、有期雇用をするならドクター取得前程度の年齢までに止めるのが良いのではないでしょうか。また研究所間等の人材の流動化を進めるためなら、他の方法でやる方が良いと思います。
 任期付き任用では、任期終了後の就職が確保されていないので、雇用者・パーマネント研究者との間に支配・被支配の関係が生じやすいと思いますし、上記のように研究所に於いても学会に於いても公正な研究評価が必ずしもなされていない状況下では、腐敗の温床となったり有能な研究者が道を閉ざされたり学問の自由が損ねられたりといった事態が危惧されます。雇用される方も、慣れない研究所で3年等では腰を落ち着けた研究は出来ないでしょう。もし民間企業にまで導入されれば、景気変動の人減らし対策に利用されかねませんし、国立試験研究機関にのみ導入されれば優秀な人材は民間へ流れ国立試験研究機関のポテンシャルが低下するでしょう。かなりの数生じた最初のポスドク任期付き任用が任期終了を迎えた頃だと思うのですが、その後の就職状況や御体験等につきご情報・ご意見等がございましたらお聞かせ頂ければ幸いです。
管理職主導の運営と研究費重点化の弊害例
 管理職主導の運営と研究費重点化の結果、どのような不適切が起きているかの具体的事例を少し紹介致します。例えば、酸性雨・樹木衰退関係の研究では、酸性降下物影響により全国的に樹木の衰退・枯死が起き、林業生産や水土保全その他公益的機能に深刻な影響が出て林業現場や社会的には困っている現状にもかかわらず、森林総合研究所の重点化研究では、酸性降下物影響・樹木衰退原因どころか土壌の酸性化や樹木衰退そのものの多発すら隠蔽したまま、最初の報告から30年が過ぎる樹木衰退の「原因をこれから究明する」研究が漫然と何年も継続されているのが現状です。他方で、石灰岩地では樹木衰退が殆ど起きていないことや石灰過用地周辺等で樹勢が回復していること等の根拠も含め、土壌酸性化が樹木衰退の主原因であることは明らかで有ることが、プロジェクト研究費のつけられていない多額私費出費での研究や、実際の農林業の現場等で示されてきています(研究費重点化は、国民のためにならないどころか有害でさえ有る研究に高額研究費をつけ、酸性雨影響を隠蔽して対策・対策研究を送らせる結果になっています)。つい最近になっても、森林総合研究所の成果選集1999にプロジェクト研究の成果として「今のところ、観測点の森林に衰退の兆候は見られないし、林野庁『酸性雨等森林被害モニタリング事業』の全国844地点のデータ解析結果からも樹木衰退の多くは風雪害、病虫害、過密・被圧によるものであり、土壌の酸性化も全国的にみれば進んでいない。」という明らかな出鱈目が記載され、抗議をしても正当な理由のないまま修正もされません。こういった不当研究・広報が行われているのみならず、酸性降下物影響を明らかにしている研究者(私)には、科学的議論も無しに「お前のは天動説だ」等の圧力が管理職から掛けられたり、酸性雨問題における批判記事をインターネットに書いたこと等を理由に精神科受診命令や分限免職にする等の脅しが執拗にかけられ批判封じを行おうとしたりされ続けています。
 また、別の例では、森林総合研究所植物生態科のWebページ(http://www.ffpri.affrc

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