独行法反対首都圏ネットワーク

法科大学院構想批判
2000.10.23 [he-forum 1355] 法科大学院構想批判

  法科大学院構想(以下、ロースクール構想)に関して、問題点を提起し、代替案として私案を提示します。法曹教育改革の大勢は既に決しているかに見えますが、以下のような大きな問題点をはらんでおり、根本的に修正すべきであると考えます。司法制度改革審議会の最終答申まで、まだ半年以上あるのですから、各方面にその問題点を十分に認識していただければ、勝負はこれからであるとも考えます。

 現在までに示されているロースクール構想の問題点は、次の通りであると考えます。
 (1)設立に関して、コストが莫大にかかることで、その実現性に疑問があります。あえて実現させるには相当巨額な国家予算の支出が必要と思われますが、この財政難の時代に疑問があり、よりコストをかけずに、他に優れた法曹養成の方法があるのではないでしょうか。
 このコストが莫大にかかる点につき、大学関係者の間では、ロースクールの立ち上げだけで20億円が必要であるとの試算があるとの情報が流れており、多数の有為な人材を輩出してきた、某有名私学ですらロースクール設立は考えていないと言われています。大学関係のロースクールは、ふたを開けてみれば、国公立・私立すべてを合計して、20大学、総定員は1000名程度にしかならないとも考えられます。無論、大蔵省が巨額の補助金を別途用意するのならば、話は別でしょうが、この財政難の時代にという気がします。結局の所、法曹養成がいわゆる旧帝大などの一部大学でのみ独占的に行われるということになりそうな雲行きです。
 伝えられるように、司法試験の合格者を3千人とするならば、司法研修所も3倍に規模拡大をする必要があり、司法研修所の教官確保の為に、裁判官の採用もまた大幅に増加させる必要がありましょう。これだけでも巨額の国家予算が必要な筈ですが、それとロースクールの為の補助金とを併せれば、一段と巨額になるのではないでしょうか。財政的な裏付けのある法学教育改革の議論が必要と考えますが、いかがでしょうか。
 (2)今回のロースクール構想では、アメリカの法曹養成の模倣の色彩が強まっていると考えます。しかしながら、これは日本で行われてきた法曹養成の伝統とは全く異なるものに、大変なコストをかけて転換しようとするものであると言えます。日本の法学教育の伝統の次の点を踏まえるべきではないでしょうか。
 まず、アメリカでは学部段階で全く法学教育が行われていないので、法律に関する知識はすべて、ロースクール卒業者だけが、官庁・企業に提供することになっています。しかしながら、法学部のある日本では、法曹資格がなくても相当高い法律知識を持っている人材が、官庁・企業に提供されています。この違いを無視して、アメリカの模倣に走るのは疑問です。
 次に、日本では既に大学院で、「法学研究科」を中心に、高度な法学教育が既に行われているのであり、これを無視してアメリカの模倣に走るのは疑問です。
 また日本では実務研修が、司法研修所で相当高度に行われています。アメリカではこれほどの教育はされていません。この日本の伝統を踏まえて制度設計をすべきではないでしょうか。
 (3)ロースクール自体が司法試験の受験予備校化するとの懸念が関係者の間では、強まっています。これを防ぐには、ロースクールに対する外部からの強力な継続的監督をしなければなりませんが、これにも相当なコストがかかることが予想されます。
 そもそも、現行制度の最大の問題点は、司法試験の受験者が大学教育を無視して、司法試験予備校に通って受験技術の勉強をして合格し、法学部でのしっかりした勉強をしておらず、質が低下してきていることにあり、司法試験合格者を増加させるとその弊害が強まることにあった筈です。
 それならば、次のように対処すべきではないでしょうか。
 私自身の考える、あるべき法学教育改革案の骨子は次の通りです。
 (1)司法試験は問題の様式や受験資格などは、基本的に現行通りとし、合格者数のみ2千人から3千人程度にまで増加させる。
 (2)司法試験合格者には、大学院の修士過程に入学を義務づけて、1年ないし2年の履修によって、修士号を得なければならないものとする。この場合の大学院での履修は、法律学を主たる対象のものとするが、別な分野の科目の履修も可能なものとする。大学院は、法学研究科以外でも法学教育が行われている所は履修可能とし、修士論文の指導が適正に行われているか第三者機関により評価する。
 この大学院教育において、要件事実教育につき、司法研修所の教育を一部代替させるものとする。なお、司法試験合格者が履修する大学院のコースは、法曹専攻コースとして、司法試験に合格しなければ履修できないものとする。
 (3)修士号取得後、1年間の実務研修を司法研修所において受けることを、義務づける。
 以下、私案の考え方をロースクール構想と対比しながら、説明します。
 私案では、司法試験をまず課することによって、一定程度の法律知識の修得が確実に確保されます。この点、現行制度と変わるところはなく、オープンで公平といった現行制度のメリットはそのまま存続されます。
 その上で、大学院で修士号を取得することを通じて、単なる受験技術とは根本的に異なる法律学の専門的な学修を、司法試験合格者に義務づけることになります。
司法試験合格者は、将来の希望分野に即した専門的知識を、受験勉強を気にせずに身につけることができます。これこそ、経済界の期待している、法律に偏らない経済学・工学などの隣接諸分野の高い教養を身につけた人材を生み出す道であると考えます。これに対して、ロースクール構想に基づく教育では、司法試験受験科目に偏重した教育が行われる危険性が高いと考えます。
 既存の大学院を活用してこれを手直しするだけですから、新たなコストはさほど必要ではありません。実務家教員を増やすことなどについても、特に公的に強制しなくても、司法試験合格者を自分の大学の大学院に入学させようとする大学間競争によって、自ずと実現されて行くものと考えます。せいぜい、国家権力から独立した第三者機関が適正な修士論文の指導が行われているか否かを、評価すれば足りるものと考えます。この結果、現行のロースクール構想では茅の外に置かれる多数の大学院が、互いに競争しあって法曹教育を高めて行くことが期待できます。
 司法研修所も1年に年限を短縮して、実務教育を引き続き行うことにより、大学レベルでは行えない実務教育を実施できることになり、日本のそれなりに優れた伝統に立脚することができます。また法学教育を官僚的に統制している等の司法研修所の従来の問題点は、大学院で修士論文を執筆する際に受ける法学教育によって克服されることが期待できます。
 司法制度改革審議会などにおけるロースクール構想の審議にあたっては、いくつかの大学が打ち上げたロースクール構想が参照されてきたと思います。しかしながら、打ち上げられたロースクール構想は、少子化対策もあって各大学の実力以上の構想が「格好良く」打ち上げられた色彩が強いものです。華々しくロースクール構想を打ち上げた某大学が、実はロースクール構想に苦慮しているとの情報も大学関係者の間では流れているのです。

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