独行法反対首都圏ネットワーク
:法科大学院構想について
2000.10.23  [he-forum 1354] 法科大学院構想について


弁護士の萩尾と申します。
渋谷共同法律事務所に所属しております。
これまで、「大学問題」に興味を持ち、僅かながらも関わってきました。
現在、大学と弁護士会が絡む点では法科大学院構想が大きな問題となっております。


この法科大学院構想は、先日出された文部省の「検討のまとめ」によれば、文部省と第3者評価機関の管理統制の下に置かれ、大学自治を破壊するものであると私は考えています。その内容も、大学審路線に追随するものです。

問題は、こうした点が多くの大学人に知らされないままに、来る11月2日の日弁連臨時総会で法科大学院構想の推進が決められようとしていることです。
私の考えた法科大学院構想の問題点についての文章を添付しておきましたので、ご検討
下さい。
 文部省・大学審に追随し、大学自治を破壊する「法科大学院構想」に反対する。
 〜管理統制の法科大学院では「民衆の弁護士」は育たない〜


                            2000年10月22日  萩尾健太(東京支部)
<はじめに>
 年間3000人の法曹人口増員、法科大学院の設置を柱とした11月1日の日弁連総会への執行部提案の是非を巡って、激しい議論が起きている。
 私は、一般論としては、年間3000人程度の法曹人口増に反対するものではない。問題は、新たに生み出される弁護士の質の点である。
 日弁連執行部案の法科大学院から生み出される法曹は、決して民衆が求める人権の擁
護者としての法曹とはならないと考える。むしろ、人権の抑圧者、支配者の能吏として活動する法曹を多く生み出す危険がある。
 さらに言えば、執行部案の法科大学院の設置自体、大学の民主化を求めて闘ってきた大学人の運動との関係で問題があり、大学自治を侵害する文部省・大学審の路線に対する批判的視点が欠如している。
 私は、学生時代から今日にいたるまで、大学自治を擁護し、これを侵害する文部省・大学審と闘う運動に関わってきた。その立場から、執行部案の法科大学院構想の問題点を、以下に指摘することとする。一 法科大学院構想と大学審路線
1 法科大学院構想をとらえる基本的観点
 司法改革審議会から法曹養成制度についての検討を委ねられた文部省の「法科大学院
(仮称)構想に関する検討会議」は、本年8月7日、「検討会議における議論の整理(概要)」(以下「文部省『議論の整理』」という。)を発表した。本年11月1日に行われる予定の日弁連臨時総会の議案は、この文部省「議論の整理」を基本的に肯定しつつ、提案理由においてさらに改善を求める点として5点ほど注文を付けている。しかし、文部省「議論の整理」は、その根本においてきわめて重大な問題をはらんでいる。
本年9月29日に文部省から司法制度改革審議会に対して「法科大学院構想に関する検討のまとめ」(以下「文部省『検討のまとめ』」という。)が提出されたが、その中では文部省「議論の整理」の問題点がますます明確なものとなっている。
 この問題を検討するにあたっては、「司法制度改革」のひとつのテーマである法曹養成問題だけを単独にとらえるのではなく、わが国の「大学政策」における大学審議会路線の流れにおいてとらえる弁証法的思考が重要である。司法政策と関連するという理由だけで、法学部及び法科大学院だけが国家の大学政策と無縁でいられるはずがない。むしろ、予算・人事等あらゆる面で文部省の主導下にある大学の一部である以上、大学政策のあり方こそが法科大学院の骨格を規定すると考えるのが自然であろう。
2 大学審路線の概要
 近時の大学審路線の問題点に関するまとまった論文として、日本共産党理論政治誌「前衛」1999年1月号「大学審答申が目指す大学像の問題点」(党知識人局次長改正充著 以下「前衛論文」という。)がある。
 前衛論文は、1998年11月26日に文部大臣に提出された大学審議会答申「二一世紀の大学像と今後の改革方策について」に関し、「大学の新たな再編と管理統制の強化を打ち出すなど、我が国の教育研究、大学自治を脅かす重大なものである」と批判し、「この答申の具体化と法制化に反対する運動を広げることが急務になっている」との立場から、答申の内容を次のとおり紹介している。
「1 答申のもつ重大な内容
 答申の内容は、概ね次のようなものである。
(1)『社会の多様な要請』にあわせるとして、『多様化、個性化』の名のもとに、大学を研究大学、大学院中心大学、教養大学などに格差付をすることを打ち出した。具体的には、
 ■『二一世紀の国際社会において知的リーダーシップを発揮できる国』をめざし、国立大学のもつ役割を「計画的な人材養成の実施など政策目標の実現」などの特定の機能に限定し、これを大学院中心に作り替え、学部を縮小・改組する。
 ■大学予算については、『厳しい財政状況』を理由に、一部の拠点大学院だけに集中的・重点的に配分したり、改革の『成果を上げている』と評価する大学だけを支援する。
(2)学部教育では、18才人口の減少により進学率が上がり『多様な学生が進学してくる』ことに対して、学生の『卒業ににおける質の確保』を強調した。その方策として、『学生の年間履修科目数の制限』や『成績評価の厳格化』など管理的な教育方法を大学に義務づけ、その中で『成績優秀』な学生は三年次で卒業できるように制度化する。
(3)この様な大学の再編を進めるために、大学の管理統制の強化を法改正を含めて提起した。それは、
 ■評議会・教授会の権限や審議機能を縮小し、学長中心の運営体制を強める、
 ■企業などの学外者からなる『大学運営協議会』を設置し、大学運営に関与させる、
 ■『第三者評価機関』を設置し、各大学の教育などを評価させるとともに、それを予算配分に反映させる、などである。
 これらは、いずれも我が国の高等教育と大学運営のあり方を根本から変え、我が国の教育研究、大学自治を脅かす重大な内容をもつものである。」
3 大学審路線の具体化としての法科大学院構想
 こうした大学審路線の内容は、文部省「議論の整理」及び日弁連執行部提案における法科大学院構想にも、ほとんどそのまま反映されている。すなわち、これらの構想では、(1)大学院重点化と予算の重点配分、(2)「プロセス重視」という名の成績評価の厳格化、(3)教授会の自治の縮小と「第三者評価機関」の設置等が基本的な柱となっており、まさに大学審路線の法学部版であることが容易にみてとれる。
 また前衛論文は、「2 答申に反映した財界の目指す大学像」との章で、大学審答申の内容が、経団連の提言「魅力ある日本の創造」(96年4月)等に示されるエリートや即戦力の養成という財界からの要請によるものであり、右の提言を受けて自民党が97年10月に発表した「教育改革推進の提言」(「いわゆるテクノクラート、エリート及び研究者養成については、大学院の拡充などで対応していく」)を反映したものであることを指摘しているが、こうした大学審路線の背景は、法科大学院を唱えはじめた少なくない論者が、企業法務・国際ビジネス等に精通した即戦力としての法曹養成をひとつの旗印にしてきたことと見事に一致している。以下、大学審路線とその枠内にある法科大学院構想が、大学教育と法曹養成にとっていかなる深刻な事態をもたらすかを具体的に述べる。
二 大学の序列化
1 「大学序列化」の意味
 前衛論文は、今日の大学の現状を踏まえて、大学審路線の具体化がもたらす事態を多面的に解明しているが、大学の序列化については次のとおり指摘している。
「1 一部の大学院を頂点にした大学の序列化
 《大学院中心の大学とそうでない大学へ》
 答申は、大学院を研究者養成だけではなく「高度専門職業人」養成の機関とし、国立大学については、『今後大学院の規模の拡大に重点を置く』が『関連して学部段階の規模の縮小』をはかる、としている。即ち、大学院中心の大学へと変えるわけである。・・・・・これは、戦後の大学院制度が、貧困な大学予算のもとで、いわば学部の付属物でしかなく、十分な条件整備がなされてこなかったのを、貧困な大学予算という前提は変えずに、大学院中心に大学の制度をいわば逆転させ、学部を大学院のいわば付属物にしようとするものである。しかも、・・・・・一部の研究科、専攻のみに、潤沢な予算が投入される。
 大学予算の全体を抑制するなかでこのような差異を設ければ、大学院中心の大学とそうでない大学、卓越した拠点大学院とそれ以外の大学の間に、それぞれ大きな格差が生まれるのは明らかである。これまでも、大学予算の全体を抑制するなかで大学院の重点化が図られてきたため、重点化をした旧帝大系の大学とそうでない大学との間で、今でも予算配分に大きな格差が生まれている。・・・・このような格差が大学院段階でさらに広がり、一部の大学院には潤沢な予算、豊富なスタッフが集中することになる。それとは対照的に、それ以外の大学院や教養大学などは、極めて厳しい条件に放置されざるを得ない。」
2 法科大学院と序列化・エリート養成の危険性
 前衛論文における大学序列化に対する批判は、法科大学院にもそのまま当てはまるものである。執行部議案「提案理由」には、「法科大学院の創設・運営の各段階において、国の十分な財政措置が講じられなければならない。」とあるが、今日の大学予算・司法関連予算の抑制を打破せずして「財政措置」を求めるならば、それは、「法曹エゴ」であり、自己のギルド的利益のために大学全般を犠牲にするものとのそしりを免れないであろう。
 さらに、法科大学院相互も序列化され、東大、京大などの一部の特権的な法科大学院のみが裁判官や検察官の養成機関となり、事実上の分離修習が実現することが容易に予想される。法曹一元を求める声に逆行する事態が現出するのである。
三 「成績評価」の名による過度の管理統制
1 成績至上主義の弊害
 学生の成績評価の厳格化の点について、前衛論文は次のように述べている。
「3 学部の教育条件は低下し「成績による管理」は強まる
 《「出にくい大学」では退学者が増大》
 大学の教育条件を改善せずに、「厳しい成績評価」による学生管理を強めるなら、学生の留年・退学が増大することは明らかである。答申が厳格な成績評価の参考例に挙げている・・・青森公立大学では、既に退学勧告者が増加している。また、15単位制をとるなど学生管理の厳しい筑波大学では、1994年の年次報告書によると、学生数9438人に対して退学348人、除籍12人も生まれ、退学予備軍といわれる休学も334人いる。他の大学・・・と比べて、筑波大学では退学者が断トツに多いと言える。答申の求める方向では、このような留年・退学の増加が、全国の大学で大規模に発生することが予想される。
  ・・・・・ 《「成績至上主義」の風潮が広がる恐れ》 ・・・・
 卒業後の進路は、深刻な就職難によってますます厳しくなっていくことが予想される。進学するにしても、・・・大学院への進学競争が激しくなっていく。就職、進学のどちらを選ぶにしても、卒業時での成績がものをいうことになる。いわば「成績至上主義」とも言えるような、成績で管理される風潮が広がる恐れがある。これでは、青春期の大事な四年間に、「何のために学ぶのか」「生きがいある人生とは何か」など、人生に大きな糧となる問題を考える余裕さえなくなっていくのではないだろうか。」
2 法科大学院とプロセス重視・成績主義
 成績評価の厳格化そのものは、直接には執行部議案「提案理由」には書いていない。しかし、同提案には「プロセス」としての法曹養成制度という文言があり、法科大学院の入学選抜については、「試験の結果と学部段階での学業成績・社会人としての活動実績などを総合的に考慮」するとの記載がある。
 また、文部省「検討のまとめ」では、「学業以外の活動実績」まで考慮するとされており、さらに大学審が答申で打ち出したものの、多くの大学人から受験競争が激化するとして批判を浴びて頓挫している「学部三年からのいわゆる飛び級」までふれられている。こうしたプロセス重視・成績主義のもとでは、学生全体が必然的に成績評価至上主義にまきこまれ、さらに社会人経験のある学生については、革新民主団体での活動実績などが、文部省管理下の法科大学院ではマイナスに評価されるであろう可能性が高い。
 この点について、日弁連法曹養成問題担当副会長である第二東京弁護士会川端会長は、二弁会員集会の席上、「法科大学院段階では、プロセス重視の観点から成績の悪いものはどんどん退学させる」との驚くべき発言を行った。まさに、大学審答申の成績評価の厳格化による管理統制を、そのまま法科大学院でも実践することを意図しているのである。文部省「検討のまとめ」には、次の記載がある。
「法科大学院で厳格な成績評価及び修了認定を行うことが不可欠である。
 そのため、ある段階(例えば、初年度終了時)において、履修状況及び学業成績から見て一定の水準に達していない限り、その段階以降の履修を認めない制度を導入することなど、厳格な成績評価や修了認定の実効性を担保する仕組みを具体的に講じることが必要と考えられる。
    ・・・・・・ 修了認定の基準としては「一定の水準を満たすこと」を終了要件とし、これを下回る成績しか残せなかった学生には修了認定をしないことや、修了認定にあたって修了試験を課すこととすることなども考えられる。」
3 司法研修所における管理の現状
 今日の司法研修所の現状は、かかる成績評価による管理統制がいかなる弊害をもたらすかのひとつの実例である。すなわち司法研修所においては、任官・任検選考権限を教官及び研修所当局がにぎり、右の権限に直結する成績評価権限で任官・任検志望者を管理統制し、過度に萎縮させている状況がある。これが裁判官や検察官に対する官僚統制の入り口となり、「ヒラメ裁判官」を生み出す原点となっている。その限りでは、成績主義的統制は任官・任検者に対してすでに現実化しており、近年の状況については後記の青法協意見書が詳しく分析している。
 他方、こうした統制のもとでも、弁護士志望者を中心に旺盛に青法協などの自主的活動が取り組まれてきたし、そのなかから多くのすぐれた人権感覚に富んだ法曹が生まれてきた。さらに、公安事件の逮捕歴があろうが、学生運動歴があろうが、あるいは大学の成績がいかなるものであろうが、司法試験に合格さえすれば司法修習生の身分を獲得できるし、司法研修所においても、非違行為をしなければ罷免にはならず、二回試験を通れば卒業して法曹資格を獲得できることはいうまでもない。
4 法科大学院と全法曹への管理統制
 ところが、大学審答申とその延長線上にある法科大学院では、その入学時にも卒業時にも普段の学業成績等が重視され、成績が悪ければ退学させられるのである。これは、現行の司法研修所における成績主義的統制が、全ての法曹志望者に拡大・強化されることを意味する。弁護士を含む全ての法曹志望者が、「お勉強」ばかり得意で自主性のない「ヒラメ法曹」となる危険が生まれているのである。
 極端な管理統制のもとでは、人権擁護の見地は十分には養われない。自治と自律のもとにおける自主的な学習によってこそ、かかる見地が育くまれるのである。それらの条件が存在しない法科大学院において、民衆が求める、人権擁護と社会正義の実現をはかる弁護士が養成できるとは考えられない。
 このことは、自由法曹団の後継者養成にとっても、重大問題であろう。大学学部段階の学生運動は壊滅し、法科大学院における青法協型の自主的活動も根絶やしにされる可能性がある。法科大学院においては、民医連型の後継者養成が出きるとのでは、との意見もあろう。しかし、医師の養成過程においては、■医学部は六年制であって、四年から五年に進級する際に入学試験はなく、■医師国家試験はほぼ一発試験であることなど、現在構想されている法科大学院とは基本条件が大きく異なることを理解すべきであり、安易な連想に頼ることはできないのである。
5 成績主義のその他の弊害
 成績主義のもたらす弊害は、「ヒラメ法曹」の養成ばかりではない。
 近時、「良い子の犯罪」が増えている。学習指導要領の改定に伴う「内申書重視」政策のもとで、子供たちが「競争の教育」に勝ち抜くために表向き良い子として振る舞い、精神に甚大なストレスを抱えて変調をきたし、突然「切れる」といったことが相次いでいる。そして、これまでは「競争の教育」から解放される可能性のある場が大学であり、法曹志望者にとっては修習時代であったのだが、プロセス重視の名の下に「内申書重視」と同様の状況が法科大学院にまで持ち込まれることになると、精神に変調をきたすものが多数でることが予想される。これはたんなる憶測ではない。前衛論文で指摘された筑波大学が、日本でもっとも自殺者の多い大学として有名であることに、こうした危険性が示されているのである。
 成績主義の弊害としては、セクハラ問題が深刻化する危険性もあげられる。近時、大学教員による学生に対する成績評価権限をテコにしたセクハラが頻発し社会問題になっているが、司法研修所においても、成績評価権限を背景にしたセクハラが見受けられる。成績評価権限によって学生の退学まで勧告できる法科大学院においては、セクハラが一層拡大する危険性は高い。 
四 大学の自治を破壊する第三者評価機関
1 第三者評価機関の本質
 法科大学院における統制強化を危惧する私の見解に対し、「自治の保障された大学で、大学審路線そのままの統制が導入されるとは思えない」という人もいるだろう。しかし今日、大学自治の理念は根本的に破壊されつつある危機的な状態にある。その元凶は、日弁連執行部決議案「提案理由」において、積極的導入が唱えられている「第三者評価機関」であり、これこそ紛れもなく大学審路線の最大の申し子である。
 前衛論文は、「第三者評価機関」について次のように述べている。
「4 管理統制の強化は、大学の自主性を奪う
 答申が、以上のような方向に高等教育を再編していくための要になるのが、大学への統制の強化と大学評価システムの確立である。これらは、大学関係諸立法の大改正を伴うものであり、大変重大な意味を持っている。・・・・・
《大学の自主性を根底から覆す「第三者機関」》
 答申は、大学の行う教育、研究、組織運営などについて『透明性の高い第三者評価を行う』ための『第三者機関』の設立をうちだした。しかも、国立大学への「資源の効果的配分」にあたってこの評価を「参考資料」として、活用するとしている。 今でも、文部省の裁量で配分される経費が増えたことをつうじて、文部省による各大学の運営に対する干渉が強まっている。大学予算の配分に「第三者機関」の行う評価が活用されることになれば、それを利用した文部省の干渉は強まるばかりである。大学の自主性がいっそう崩されていく危険が、極めて強いと言わねばならない。
 大学基準協会が「中間まとめ」に対して述べた次の意見は極めて重要な指摘である。・・・・
 『政府主導で作られた機関が直接評価を行うことは、評価基準の画一化をもたらすに止まらず、本来、大学自身の改善・改革と多様な発展を指向するシステムであったはずの自己点検・評価に対しても細部にわたる規制が及ぶことが危惧される。そしてなによりも、政府の威信を背景に行われる『評価』により、各大学の個性的かつ多様な発展への動きが減殺されること、より端的にいえば、そうした『評価』が各大学の自由な発展に対する『萎縮効果』を惹起させることが強く危惧される」 『教育研究の自由』『学問の自由』という人類共通の普遍的原理に支えられ、憲法によって『自治』が制度的に保障されている『大学』に対し、『官』が『評価』を目的に新たな行政上の事後監督システムを構築することは、大学の自律的本質、『自治』の根幹を制度的に保障した憲法の精神に大きく抵触するおそれがある。特に、こうした機関による評価と、大学財政をコントロールする機能とが抱き合わせになることは、大学の自律的な教育研究機関としての機能を根底から覆すことになる』
 《「第三者評価」に現職学長からも強い懸念》
 第三者機関が大学評価を行うことに、多くの現職学長からも強い懸念が表明されている。共同通信の・・・・アンケートの結果では、・・・・第三者機関による評価に賛成の学長は・・・・三割に満たない。・・・・
 反対意見では『現在でも研究・教育条件の格差があり、その上での競争が参考にされると格差が拡大する』、『予算規模の大きな大学ほど研究実績を上げやすく、大学間、とりわけ地域間格差を助長することが危惧される』『文部省をもう一つ作るようなもの』などの厳しい意見が寄せられている。」
2 国立大学独立行政法人化について
 こうした大学に対する管理統制の動きは、特に国立大学の独立行政法人化の動きのもとで、新たな段階を迎えている。
 「前衛」1999年12月号「国立大学の『独立行政法人』化問題を考える」(山口富男 党文化・教育局長)は、独立行政法人に対する評価と統制のあり方について厳しい批判を展開している。
「 [改廃を含めた評価] 
 第三の特徴は、業績評価、”勤務評定”の実施が行われることです。・・・結局、独立行政法人は、各省の評価委員会と総務省の審議会による、”二重の評価と監視”の下に置かれることになります。これは、事業年度だけでなく、中期目標にかかる事業でも同様とされています。・・・・独立行政法人とは、毎年、厳しい業務査定をうけるうえに、三年から五年ごとに、政府によって存続、改廃が検討される仕組みをもった制度なのです。「非効率」と見なされれば、法人の民営化、廃止を行う道もしかれているわけです。・・・・・
 主務大臣が『独立行政法人の長』の任免を行い、『法人の長』が職員の任免を行うなど、法人の人事権、役員、職員の身分保障をめぐる重大な問題点もあります。
 このように、独立行政法人とは、教育研究を十分に自主的民主的に展開できないという根本的な点において、大学制度とは、異質な制度といえるでしょう。多くの大学関係者が、大学の教育と研究を発展させる契機がここにはない、「独法化」は大学に「なじまない」と批判し、危惧の声を挙げるのも、この点があるからです。」 では、ここで検討されている「主務省の評価委員会」と前に述べた「第三者評価機関」との関係はいかなるものか。
  「国立大学がなくなるって、本当!?」(日本科学者会議編)では、次の指摘がなされている。
「『評価委員会』については、文部省の場合、現在の学位授与機構を改編し、大学審議会答申のいう第三者評価機関として立ち上げようとしている「大学評価・学位授与機構(仮称)」が担当することになるかも知れませんが、その際には当初の構想よりもいっそう査定的な機能(『業務の実績に関する評価』に変わることが考えられます。」「さらに総務省の評価委員会による改廃勧告、企業会計原則による会計、財務諸表の作成なども含めると、主務官庁などとの関係では監視と統制が一層強化され、そのもとで大学も経済効率性と業績主義が貫かれることになるでしょう。・・・・『大学の自治』どころか、自主性・自立性すらも尊重されません。・・・・大学の名称を付けながらも大学でなくなるのではないかという疑念が拭えません。」
 以上のとおり、国立大学の独立行政法人化が現実化したとき、一般的な主務省の評価委員会は大学審答申における第三者評価機関として具体化され、さらに経済効率性の観点から行なわれる総務省の評価委員会による監視を含め、自立した大学制度そのものの全面的改廃すら懸念される状況が生まれるのである。
3 法科大学院構想における第三者評価機関導入論
 日弁連執行部提案では、こうした大学自治侵害の道具である第三者評価機関について、「法科大学院の評価基準の策定とその実施にあたる機構を、法科大学院・文部省関係者だけではなく法曹関係者・関係行政機関やそれ以外の学識経験者などを構成員として新たに組織し、合同で評価を実施する。認定は定期的に行い、是正勧告や認定の取消もあり得るものとする。」との文部省「議論の整理」を基本的に受け入れ、「評価において弁護士会の意見が十分に反映されるものにしなければならない」と控え目な注文を付けるに止まっている。
 また、この第三者評価機関は、文部省関係者を中心としたものとなっている点で、アメリカ法曹協会がアメリカのロースクールの認定制度を担っていることとは決定的に異なっている。「アメリカでも同種の制度となっている」などというのはまやかしの議論にすぎない。
 そもそも、法科大学院の評価機関に文部省関係者や関係行政機関、それ以外の学識経験者が加わることを容認することは、それ自体として大学自治の破壊を認めることである。当然のことながら、「関係行政機関」には法務省が該当し、「法曹関係者」には最高裁判所が含まれるであろう。これまで日弁連は、法曹三者協議の場で常に少数意見の立場におかれてきた。この「三者」に加えて、文部省という大学自治抑圧を指向してきた権力機構が、第三者評価機関の場に参入するのである。さらに「学識経験者」には、文部省寄りの「知識人」(司法改革審における曽野綾子的人物)と財界人が占めることが容易に予想される。こうして、財界人の大学関与という彼らの長年の野望は、法科大学院構想を通じてついに実現されるのである。
 社会科学総合辞典には、次の記載がある。
「大学法案反対闘争 第二次大戦後、大学の自治を規制して不当に支配しようとする政府・財界によって提起された諸法案に反対して、大学関係の民主勢力を中心にして広範に闘われた一連の闘争をいう。大学の管理運営に学外者を加えるようにする「大学法試案要綱」(1948年、文部省発表)及び「国立大学管理法案」(51年、国会提出・廃棄)、「国立大学運営法案」(63年、閣議で国会提出取りやめ)、さらに「大学紛争」にかこつけて文部大臣の廃校権限などを規定した「大学の運営に関する臨時措置法案」(69年、強行採決)、学長権限の強化や学外者の参与会設置などを規定する「筑波大学法案」(73年、強行採決)・・・」
 この記載だけをみても、政府・財界が実に執拗に、大学運営への学外者関与と統制を狙ってきた歴史が想起される。また同時に、そうした動きを繰り返し阻んできた民衆の闘いが存在してきたことも了解されよう。この闘いの現局面について述べれば、多くの大学人の反対を押し切り、1999年5月21日、学校教育法等の一部改正、いわゆる「新大学管理法」が成立し、教授会からの決定権の剥奪と、財界人等学外者を加えた大学運営諮問会議の設置が各大学に要請される段階を迎えている。
 こうして、日弁連執行部議案「提案理由」の第三者評価機関導入論は、大学管理に反対する民衆、大学人の長年の闘いを妨害し、独立行政法人化等により大学に対するいっそうの管理統制を進めようとする文部省・大学審を後押しするものであることが判明する。大学人の立場から見れば、まさに「法科版大学管理法案」を日弁連が提起していると映るものである。
4 文部省「検討のまとめ」にみられる法科大学院統制の具体的ビジョン
 以上の指摘を裏付けるように、文部省「検討のまとめ」では、法科大学院に対する財政支援は、第三者評価機関による「適切な評価を踏まえつつ」行うことが明記されており、文部省がその財政権限に基づき、自己に都合良く法科大学院を財政誘導していくことが予定されている。
 こうした第三者評価機関の是正勧告や認定取消の脅しに脅えながら、いったいどんな法科大学院が、自主的かつ民主的な人権擁護のための教育を貫徹できるというのか。むしろ、第三者評価機関の基準に沿った「業績」向上のために、一方では学生をいっそうの成績競争に駆り立て、他方で学生への管理統制を強めるであろう。そのもとでは、学生の自治や自律性、人権感覚は窒息していくのである。
 さらに、文部省「検討のまとめ」では、法科大学院の教員に「法律職公務員などの官公庁関係者、企業法務・知的財産部所属の企業人」を登用するとされているが、これは政府・財界が学内に直接的に深く入り込みことを意味し、彼らは大学における産学協同の強化と弁護士層の在野性・反権力性喪失を目指して、懸命な活動を展開することとなろう。
六 教育の機会均等の破壊 
1 国立大学学費高騰の危険性
 法科大学院の学生、ひいては法曹全体の変質を促すもう一つの、かつ最大の原因となりうるのは、教育の機会均等の破壊の問題である。この点も、国立大学の独立行政法人化により、重大な影響が出ることが予想される。
 99年度、国立大学の初年度納付金は、75万3800円にも上っている。しかも、定額スライド制が導入されたため、年々上昇していく。1996年度、国立大学学費(仕送りを含む)は家計消費支出の約4割にのぼった(文部省「平成8年度学生生活調査報告」)。
 前出の「国立大学がなくなるって本当?!」には、次のように書かれている。
 「高学費の弊害は挙げればきりがありません。それは学生生活を直撃するのみならず、高校以下の教育の空洞化や社会の疲弊など様々な弊害をもたらし、日本の将来に関わる重大問題となっているのです。」
 「現に政府や財界の大学財政論は、国立大学授業料の大幅値上げを強調しています。
例えば、・・・・財界のシンクタンクの社会経済生産本部「選択・責任・連帯の教育改革(一九九九年七月)は、「学費は現在の数倍になるだろう(年額三〇〇万円という金額を例示)といいます。それでは、他方では学生本人が返済義務を負う銀行などの貸し付け「奨学金」(実質はローン)の拡大を提起していますが、膨大な学費が前提では、低所得者をはじめ、多くの学生は卒業後、借金返済に追われることになり、経済的ハンディキャップは生涯続きます。」
2 法科大学院構想と学費問題
 文部省「議論の整理」では、「授業料の負担が余り重くならないよう考慮する」との記述もあるが、これまでの大学政策及び前記の財界論調から見て、どれほどまじめに取り組まれるかはきわめて疑問であるし、奨学金や授業料免除制度自体が、法科大学院学生の統制手段に使われることは十分に考えられる。
 この点に関し注目すべきことは、法科大学院を積極的に推進する弁護士の中に、次のような暴論を唱える者が存在することである。
 「ロースクールについて、受益者負担の制度としての法曹養成ローン制度を設け、「奨学ローン」の融資基準、人数、返済条件の基準を、当初は、参入奨励の意味と従来の国費養成との関係で大きく取り、5年もしくは10年後は、ローンの諸基準を厳しくする等して、一部の苦学生を除いては、「奨学ローンの返済」という受益者負担の「自己投資」についてリスクを負うようにすることが合理性を持つ。
 このようにすれば、万一、弁護士業界の景気が思わしくなく、新規法曹が弁護士として就職を見込めなければ、ロースクール志望者が相対的に減少するという「需要と供給の原則」が働くことが予測される。」(二弁会員集会に出された意見書 山岸良太 二弁法曹養成センター委員 森総合法律事務所所属)
 弁護士業をもっぱら金儲けの手段とみる立場から、「貧乏人は弁護士になるな」と言わんばかりの意見であり、こうした弁護士が法科大学院構想を推進していることを看過してはならない。さらにいえば、かかる立場の弁護士や多額の借金を背負った弁護士は、庶民のための困難な事件など引き受けないのがわれわれの経験則ではないだろうか。まさに、「存在は意識を規定する」のである。
六 高等教育に関する国際社会の流れと法科大学院構想
 ユネスコは、1998年10月に「二一世紀に向けての高等教育世界宣言」を採択し、「高等教育の変革と発展のための優先的行動の枠組み」を提起した。それは、今後の社会の発展のためには高等教育の充実が重要であるとの認識に立ち、「世界的な展望を持って、市民性の獲得と社会への能動的参加のための、内発的能力開発のための、さらには社会正義の観点から、人権と持続可能な開発、民主主義及び平和の強化のための教育」を高等教育の使命として掲げている。また、こうした使命実現のために、人種や性別や貧富の差なく、すべての人に高等教育を受ける権利を保障し(この「貧富の差なく、全ての人が高等教育を受ける権利」とは、国連人権規約A規約一三条二項における高等教育無償制の斬新的導入を当然の前提としている。)、批判的思考力と創造性を高め、高等教育の改革の中心に学生の要求を置くよう求めている。さらに国家に対しては、学問の自由と高等教育機関の自治のための条件整備と財政支援を「優先行動」として要請している。
 ここに高らかに宣言された高等教育の諸理念は、法科大学院構想のどこに具体化されているのだろうか。むしろ、これまで指摘した法科大学院構想の問題点は、高等教育に関する国際社会の流れにも逆行するものであることを示している。
七 まとめ
1 法科大学院構想への「幻想」
 以上の検討を踏まえると、日弁連執行部案が構想する法科大学院が実現したとき、第三者評価機関に管理される法科大学院において、統制的管理教育に慣らされた金持ち出身の学生ばかりが社会に送り込まれる危険性がある。こうした人々の大部分は、社会正義と人権擁護という法曹本来の使命を実現する立場に身をおくことにはならないだろう。
 この点について、自由法曹団内に多数いると思われる良心的なロースクール推進論者には、早く目を覚まして頂くことを切望する。ロースクール推進論者の中には、今日の司法研修所に絶望しつつ、自治の保障された大学ならば民主的な法曹養成が可能ではないか、との一種の「幻想」を抱いている人も見受けられる。失礼ながら具体例をあげれば、清水洋二向陽会代表幹事は「質の高い人権感覚に富んだ法曹を多数養成するためには、現在の最高裁が管理する官僚的・非民主的な司法研修所には限界があることも否定できない」との理由から、法科大学院への賛成を呼びかけている。実は、私自身もかつてはそれに近い考えを持っていた時期があった。しかし、遅くとも8月7日に文部省「議論の整理」が発表され、法科大学院構想が大学審路線を踏襲したものであることが明確となった段階で、目を覚まし、幻想を捨て去るべきだったのである。私自身の反省と自戒を込めて、いまだ幻想にとらわれている団員諸氏に呼びかけるものである。  
 なお、司法研修所改革と法科大学院構想との関係について、最近発表された青法協意見書「司法研修所の現状を告発する」より、その結論部分を引用する。
「およそ改革というものは、現状の問題点の分析の上に立ってその改善のために行われなければならない。法曹養成制度の改革も、現行司法修習制度の意義とその問題点を見つめるところから出発しなければならないはずである。そして、こうした視点にたつ分析と検討のうえに、問題点の改革にとってのロースクールの有効性を、十分に吟味しなければならないであろう。
 本稿の我々の検討によれば、司法研修所の現状を招いた原因は、■修習生増員に伴うコストを切り下げて安上がりな修習を実現するための修習期間短縮と物的人的設備の不
整備、■裁判官検察官任用権限と成績評価権限をテコにした修習生に対する管理・統制
にある。
 ところが、現在「法科大学院(仮称)構想に関する検討会議」等で検討されているロースクール構想は、■と同一の発想に立ち、■の裁判官任用権限を改革する展望を示さないばかりか、ロースクール入試に際しての学部段階の成績の考慮、ロースクールでの「プロセス重視」、個々のロースクールに対する文部省・法務省関係者を含む第三者評価機関による業績評価を唱えることにより、いっそうの管理統制の強化をもたらす危険性を有するものである。
 ロースクールになれば司法研修所のような管理統制のもとでの法曹養成が転換できるとの見方は、幻想に過ぎないと言えよう。
 これでは、何ら現状の改革と結びつかず、大学の生き残りと財界が使いやすい弁護士の安価量産のためのロースクールが生まれるだけという結果になりかねない。」
3 最後に
 今、われわれのとるべき態度は、大学審路線に便乗して大学自治の犠牲のもとに法科大学院を設置することではなく、現行司法研修所の徹底的改革を要求することである。
この課題がどれほどの困難を抱えているとしても、司法研修所の改革すら実現出来ない弁護士会であれば、文部省官僚を相手に回して法科大学院を改善していくことなどおよそ不可能であろう。司法研修所改革の具体的方向性については、前記「青法協意見書」を参照されたい。
 それでも、「やはり現在の力関係では法科大学院を選択せざるを得ない」というのであれば、まず日弁連は、さまざまな民主団体と連帯して国立大学の独立行政法人化に反対し、第三者評価機関設置を阻止し、大学の自治=教授会自治と学生自治を擁護する立場、文部省・大学審路線と対決する姿勢を鮮明にしたうえで、文部省の描く構想とは全く異なる民主的法科大学院の構想を掲げるべきである。日弁連がこうした立場に転換しない限り、日弁連臨時総会議案を承認することはできない。
                                                          以 上

 


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