独行法反対首都圏ネットワーク |
2000.9.5[he-forum 1246] 東京新聞09/05
『東京新聞』2000年9月5日付夕刊
伝えられるところによれば、東京大学は教員の定員を現行の六十歳から六十 五歳へ延長することを考えており、九月に評議会で決定する意向らしい。他大 学のこととはいえ、少しは私にも関係する経緯もあり、見過ごせない問題があ ると思うので、僭越ながらここに一文をしたためておきたい。 私が東京大学天文台に在籍していた一九八八年七月に、東京天文台は文部省 の大学共同利用機関である「国立天文台」に改組した。このとき、国立天文台 の教員の定年を、東京大学時代と同じ六十歳とするか、他のほとんどの大学と 同じ六十三歳とするか、の議論が教授会でなされた。 実は、私は高齢化時代を迎えて六十三歳定年とすべきと主張したのだが、他 の教授会メンバーは「天文台の組織は実質的に継続するのだから、ここで急に 定年延長をすれば、若手研究者の意気を沮喪させ、オーバードクター問題も深 刻になる」という意見がほとんどであり、六十歳定年がすんなり決まった。こ の意見はシニアの研究者として責任を自覚した意見であり、それが正論である として私も納得したのであった。 ○ ○ ○ そのような経緯があったので、このたびの東大の定年延長の議論に大いに関 心を持った。この議論の背景には年金支給年齢の引き上げ問題があるが、建前 上は年金問題を理由にできないだろう、と思っていた。それを理由にするなら、 同じ大学の構成員である行政職の人々にも適用できるようにしなければならず、 とても一大学で決められないからだ。教員だけに適用できるよう、「研究教育 を充実させるため」という大義名分が必ずつくだろう、ならば、はたしてそれ をどのように証明するか、に興味があったのである。 私は、(1)定年延長すれば教員の平均年齢が上がり、教員集団が老化するの は明らか(2)大学院に重心を移す改革によって助手のポストを助教授や教授に 振り替えたため若手教員数が減っているのに、さらに定年延長がこれに輪をか ける(3)現在、博士号を取ったが定職を持たない研究員やオーバードクターが 急増しているが、定年延長でますます深刻となる―などの点から定年延長が大 学の研究教育を充実させる方向とは逆行すると考えている。 私の経験によれば、少なくとも理系では、五十歳を超えた研究者は三十代の 若手研究者と比べて格段に生産力が落ちるから、高齢者より若手研究者を増や す方が研究を充実させることになるのは明白である。教育には経験が大事だが、 定年延長で現職をそのまま継続して、教育に熱情を持つ教員が増えるとはとて も思えない。 このように定年延長は「研究教育の充実にはマイナス」と考えているので、 私は、その大義名分を証明する資料か、定年延長者の任期制や業績評価とその 公表のような新たな任用措置(例えば、六十歳を過ぎたら、教育・研究・運営・ 外部活動などの項目に関する業績評価を毎年行い、続けて任用する場合はその 結果を公開する、などの措置が考えられる)がなければならないと思ったので ある。 しかし、東大は何らそれを証明する資料も新たな措置も公表していない。こ れでは、年金問題だけで定年延長をしようとしているとしか考えられない。実 際、定年延長の経過措置を年金支給年齢の経過措置と同じとしていることは、 それを如実に物語っている。 「それでなぜ悪いのか」と言われれば、私は、「それではあまりに情けない ではないか」と答えたい。もしそうなら、はっきりと年金問題を定年延長の理 由として広言すべきで、「研究教育の充実」などと見えすいた大義名分を使う べきではないのである。そして、行政職の職員にも同じ措置が取られるまでは 我慢する、と言うべきなのである。 さらに「東大はエリート大学なのだから、エリートらしくnoblesse oblige (ノーブレス・オブリージェ=地位高き者の義務)を意識して振る舞ってほしい」 という気持ちが私にはある。むろん、「東大も一国立大学であり、給与も同じ だから、エリートではない」という返答があるかもしれないが、それは事実を 偽っている。東大の予算規模や人員配置は他の大学と比べて圧倒的に手厚く、 社会的にもエリートとして処遇されているのは厳然たる事実だし、東大の教員 もそれを満喫しているのである。にもかかわらず、もはやエリートではないと 自認するなら、予算や人員も抜本的に見直す作業(返上も含む)をしなければな らないだろう。 ○ ○ ○ 東大の今回の動きに対し、異なった観点からの批判もある。定年延長問題を 評議会のみの議論に閉じ、教授会や教員個々人の意見を聴取していないことだ。 このような、研究教育体制に大いにかかわるような問題については、広く大学 構成員の議論に付すべきだし、外部からの意見も汲み上げる努力をすべきであ る。国立天文台では外部委員が入った運営協議員会があり、そこで他大学の教 員の意見を聴取できるから、開かれた議論が可能になっている。一方的に内部 の評議員のみで決めてしまうシステムは、大学の閉鎖性・独善性を見事に象徴 していると言われても仕方がない。ますます国立大学が孤立し、独立行政法人 化に追い込まれる口実に使われかねないことを強く懸念している。 (いけうち・さとる=名古屋大学教授・宇宙物理学)