(2000.8.25 [he-forum 1211] 「大きな」問題に臨む基本姿勢について
「大きな」問題に臨む基本姿勢について
佐賀大学 豊島耕一
全大教も含め,反対勢力の国大協への対処の仕方を見ていると,どうも多くの人が「言葉の力」を十分には信じていないように思えるのです.例えば,調査検討会議への参加はおかしいということは,少なくとも「通則法」反対の人であれば十分理解できることでしょうし,また学長や調査検討会議の参加者のすべてが,率直にものが言えない臆病者だということもないでしょう.つまり説得と宣伝活動によって国大協や検討会議参加者の考えを変えたり,少なくとも後ろめたい思いをさせるぐらいのことは十分可能なはずです.ところがこれに取り組もうとする組織は見られません.政府や,組織のトップが決めたらもう動かないもの,と決めてかかっているかのようです.
「言葉の力」を信じないということは実は,民主主義を信じないということとほとんど同じなのです.なぜなら民主主義とは討論や説得のプロセスを通じて多数の意志を形成していくということが中心にあるからです.単に数の力(これをかりに「政治」と呼びましょう)ということではなく,そのプロセスが重要なのです.(もちろん「数」にしても賛成派が多数という証拠はありません.) ましてわれわれ研究者はロゴスに仕える身であれば,その職業的特質から見ても「政治」に偏重した振る舞いは似つかわしくないのです.
このような「政治」に偏った態度が大学関係者の対応をおかしくし,実のところかえって政治的な影響力そのものを弱めてしまっているのかもしれません.この傾向の最たるものとして,「革新勢力」が政権を握るまではやむを得ない,などと思っている人が意外と多いのではないでしょうか.これでは原理原則を踏まえた実践というものは永遠に棚上げにされ,「不当な支配」との闘いも常に回避されます.またそのような傾向に支えられた政治勢力というものは,かりに政権を握ったとしてもその中味は空洞に過ぎないので,何もできないか,変質するか,すぐに崩れ去るかのいずれかでしょう.
もう一つ気になる点は,運動の戦略・戦術をめぐる論争がほとんど見られないこ
とです.これが行われれば,全国組織を持った批判勢力としてはほとんど唯一の存在である全大教の方針についても議論が及ぶはずですが,しかしそれも見られません.まるでタブーででもあるかのようです.このような便利なメディアがあるのですから,正式の会議だけでなく,当然このネットを利用して公然とした議論を興すべきでしょう.そうすれば真に英知を集めた戦略と戦術が生み出されるに違いありません.
関連した少し長い文,「行政法人化問題での焦点と,われわれの基本的姿勢の問題について」も読んでいただければ有り難く存じます.
TOYOSHIMA Kouichi
Dept. Phys., Univ. of Saga
豊島耕一,佐賀大学理工学部物理科学科
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