独行法反対首都圏ネットワーク

6.14国大協総会確認を乗り越え、高等教育の新たな展望を

2000年7月8日

独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

はじめに

国立大学の独立行政法人化問題は新たな局面に至っている。一年前を思い起こしてみよう。独立行政法人化は、あくまで行財政改革の一環として議論され、通則法は「神聖不可侵」の前提であった。
だが、5月11日の自民党提言も、また5月26日の文部大臣説明も、もはや行財政改革の一環であることを正面から唱えることは出来なくなった。通則法に対しても、いくらかの修正を加えることを約束せざるをえなくなっている。
彼らの後退は、わたしたちの前進によってもたらされたものである。かつてない規模で、数多くの学部長会議声明、教授会声明、学会声明、地方国立大学の要望、意見書、教職員組合の声明が次々に出されている。これらは、独立行政法人化に反対する運動の財産であり、21世紀の高等教育を展望するいしずえである。
では、現在、何が問題となっているのだろうか。彼らは、独立行政法人化を国公立大学の「再編統合」「選別と淘汰」の手段とする意図を持ちながら、それを「大学改革」の名の下に迂回して実現しようとしているのである。ここで必要なことは、彼らの言う「大学改革」が改革の名に値しないものであることをわたしたちの手で示すことであり、わたしたち自身の改革を対置することである。
国立大学の独立行政法人化問題は、原理原則の問題であり、条件闘争を行うような問題ではない。いま、問題となっているのは、大学というシステムそのものの存廃である。議論の出発点における錯誤は、その出発点に立ち戻って改めなくてはならない。政治の一局面に左右されることなく、まず理非を示すこと、それこそがいま大学人が行うべきことである。

一、通則法の本質を再確認しよう

国大協は6.14総会確認において、通則法を「そのままの形で適用することに強く反対する」という姿勢を維持し、それを「今後も堅持」するとした。この反対の姿勢を取りあえず評価することはできよう。
ただし、国大協総会の97年11月決議で「現在の独立行政法人案を国立大学に適用することに反対する」とした文言との差違を無視することはできない。通則法を国立大学に「そのままの形で適用すること」は、実は自民党提言(5月11日)および文部大臣説明(5月26日)の双方においてもすでに否定されているところであり、そこには「特例法」や「調整法」といった文言によって通則法の枠内で一定の調整をする必要が認められている。
したがって、問題の本質はむしろ通則法の枠組みを肯定するか否定するかにある。大学人は、自民党提言や文部大臣説明に見られるような通則法を基礎とした独立行政法人化案をまず根本的に拒否しなければならない。「特例法」や「調整法」、あるいは「国立大学法人」などの名称に惑わされ、通則法に表現されている独立行政法人化の本質を見失ってはならないのである。
通則法こそは、大学という存在とまったく「調整」不可能なものであり、その事実が、実は独立行政法人化を推進しようとする勢力にとっても、最も弱い環となっている。わたしたちに必要なのは、この通則法の本質を繰り返し明らかにし、説明することである。

二、大学問題の科学的解明を

独立行政法人化は、現在の大学が抱える問題を解決するものとはなりえない。文部省に設置される予定の「国立大学の独立行政法人化に関する調査検討会議」は、この点について現実性を持っていない。

第一に、文部省の大学行政は、大学問題の科学的解明を行ったことがない。大学審議会路線が、完全に破綻したことは、「教養部」の廃止や大学院重点化を例にとってみても、もはや明らかである。6月国大協総会には、若手研究者、大学教育、職員問題など多くの教員による意見書が提出されたが、そこに提示されている問題を文部省が一度として真摯に検討したことがあるだろうか。
第二に、大学問題の全面的検討を、独立行政法人化と結び付けることはできない。文部省が独立行政法人化を「調査検討」すればするほど、それが大学改革とは相反するという事実がますます明らかになるだろう。
第三に、「調査検討会議」はいわゆる「賢人会」の下に置かれるものであり、その権能さえ不明である。「調査検討会議」の検討が「賢人会」に反映するのか、「賢人会」の議論が文部省に反映するのか、いずれも示されていない。昨年来、文部省が「賢人会」をいかに利用してきたかを知る者にとって、「調査検討会議」にいかなる幻想も抱くことはできない。

国大協総会「確認」は、この「調査検討会議」に参加する用意があることを表明しているが、文部省に追随する必要はいささかもない。むしろ国大協が早急に行うべきなのは、文部省とは別個に、公立大学や私立大学にも自ら呼びかけて、大学制度を発展させるための諸条件を科学的に検討することである。
国大協は、国立大学の独立行政法人化に関わるすべてのことがらを討議するにとどまらず、高等教育と研究を発展させるために、いま緊急に必要とされている諸条件、大学が抱える諸困難とその打開の方向について、調査・検討し、見解や打開策を具体的に提起しなければならない。それによって、文部省の「調査検討会議」による国立大学、公立大学の独立行政法人化の制度設計を打破することができる。

三、国大協特別委員会に意見を集中しよう

国大協はその「確認」において、「設置形態検討特別委員会」を設置することを決定した。この設置自体は、わたしたちの従来の要求にかなうものであり、賛意を表する。ただし、すでに明らかなように、この特別委員会は、自民党提言や文部大臣説明を前提とするものであってはならない。むしろ、それらの枠組みとは全く別個に、国大協独自の立場から分析と政策立案を行うものとしなければならない。
その際、国大協には、特別委員会の検討課題、検討の経過などの情報をすべて公開することを求める。国大協は、特別委員会への大学教職員の広範な参加、意見の聴取など、国立大学の持てる力を最大限引き出すことに尽力しなければならない。国大協は早急に、ワーキング・グループを設置し、多くの教職員の意見を結集すべきである。また、地方公聴会を開催するなど、全国的な見地から問題を検討することを求める。さらに、特別委員会の議事録はウェブページ等で速やかに公開することを求める。これらの作業を行っていくことが、国大協の主要な課題である。
国大協は、すでに「男女共同参画に関するワーキング・グループ」の報告書「国立大学における男女共同参画を推進するために」(5月19日)において、そのような科学的な分析と真摯な議論を展開し、問題解決の方向を提示している。同じ作業を、独立行政法人化問題をはじめとした大学問題の各側面について行うことは可能なはずである。
各国立大学において現在行われている検討の結果は、国立大学全体、高等教育全体の見地から、国大協に集中することが求められる。これらが、概算要求の場で、各大学と文部省との関係という個別的視点から取り扱われるようなことがあってはならない。
国立大学のすべての教職員は、国大協の「設置形態検討特別委員会」に自主的な分析を集中し、高等教育に責任を持つ主体として積極的に関与しようではないか。独立行政法人反対首都圏ネットワークもまた、その作業に率先して参加する用意がある。

四、高等教育の長期的展望のために

国大協の「確認」は、「高等教育政策」を「長期的な展望のもとに議論」する場の設定と、「学術文化基本計画」の策定を求めている。これは、文部大臣説明において「国際社会に向けて我が国独自の価値を発信して行くために、個々の大学等の枠組みを超えて、我が国の高等教育や学術研究の在るべき姿を長期的な視点から展望し、学問分野のバランスや重点的に振興すべき領域などについて、国全体の視野から議論しうるような場を設けることを考えていきたい」としていることに対応したものである。
しかし、本来国大協こそが「長期的な展望のもとに議論」する場を設置する役割を第一に担うべきである。そうした場を自ら作り、国立大学のみならず、公立大学、私立大学、学術会議、各種学会などに参加を呼びかけ、その上であるべき高等教育政策の議論を開始しなければならない。また、こうした高等教育政策を長期的な視野から展望するためには、何よりもまず独立行政法人化の白紙撤回が前提となることは明らかである。
最近、文部省は新たな審議機関の創設と「高等教育基本計画」の策定を計画していると報じられている。これは独立行政法人化を前提としたものであり、その「弊害」を緩和することを意図している。このことは、独立行政法人化によって「大学が短期的な利害にばかりとらわれて方向性を見失う」(朝日新聞7月5日付)ことを文部省が自ら認めたことを意味する。同時に文部省の考える審議機関や「高等教育基本計画」とは、「国策」の遂行を目的としたものであるとともに、それ自体が独立行政法人化の補完物にすぎないということを銘記すべきであろう。

おわりに

21世紀を目前にして、文部省は高等教育の長期的展望を持っていない。ひたすら、独立行政法人化を前提として、小手先の「大学改革」を標傍するのみである。このような貧困な精神に付き合う必要は一片もない。
いま、わたしたちが行わなければならないことは、引き続き独立行政法人化の問題点を批判するとともに、国大協および「設置形態検討特別委員会」に対し、また社会全体に対して、高等教育の将来像という見地から、従来にも増して積極的な問題提起を行っていくことである。
これまで、運動に携わってきた人びとの問題提起によって、独立行政法人化を推進しようとする者たちも、地方国立大学の意義、基礎研究、先端的研究の役割などを考慮に入れざるをえなくなっている。これは運動の成果であり、今後の運動の方向を指し示している。マスメディアもまた、独立行政法人化の問題点に気付きつつある。
独立行政法人化問題は、国立大学の設置形態の変更という問題にとどまるものではない。この社会の在り方を再考するための試金石である。
問題の所在を知る者のみが、問題を解決することができる。わたしたちは、独立行政法人化に反対する活動を通じて、みずから大学自治の内実を形成し、合わせて高等教育の未来への展望を切り開いていくことを声明する。多くの人びとの協力を訴えるものである。


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