独行法反対首都圏ネットワーク |
滋賀大学教授 近藤 学氏の論説
(2000.6.26[he-forum 1058] 近藤学氏の論説)
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/sensei/kondo/kondo7
Manabu KONDO's Office, 独立行政法人化
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国立大学の過去、現在、未来
滋賀大学教授 近藤 学
去る5月26日、文部大臣は99の全ての国立大学学長を東京に集め、改めて独立行政法人化の方向に向けて推進してゆく姿勢を明確にした。国立大学の設置形態を約120年ぶりに改変する「独立行政法人化」問題がいよいよ現実味を帯びて動き出そうとしている。私は大学人の一人としてこの問題が高等教育の将来に大きな禍根を残すことになると考え、多くの同僚とともに反対運動を展開してきた。滋賀大のみでなく、県内大学関係者や、政界・経済界を含む県内各界にも反対の賛同を求め、その数は1ヶ月足らずの間に249名に達した。この間、学生諸君が、陵水新聞でこの問題の特集を企画してくれたことは、社会の動きに関心を持とうとする学生がこの滋賀大にもいることを改めて感じさせてくれた。私はこの問題に関心を持つ学生諸君の参考になるように、この問題の見方・考え方の私論を述べてみたいと思う。
論点1:誰が国立大学の設置形態の変更を望んでいるのか?―今日の大学教育が時代や社会の変化により、さまざまな問題点を抱えていることは教官側も承知している。われわれもできる範囲内で内部改革の努力は進めてきた。しかし現状では、許認可権や財政権、事務職員の人事権などを政府文部省に握られ、授業料の大幅値上げが強行される中での極めて場当たり的・表面的な改革しか行うことができなかった。文部省官僚の「誘導」を拒否すれば金が下りてこないという仕組みが厳然とあるのである。しかし、だからといって国立を解体すれば全てうまく行く、といった単純なものではない。むしろ本気で大学が学生教育と向き合い、国民の期待に応えうる改革を行うためには、高等教育の無償化、予算と人員の増強、大学への管理統制を弱め、大学の自主的な内部改革努力を国が支援することである。それは、現在の国立大学制度の中でも十分に可能であるし、また憲法に保障された学問の自由の趣旨からもその方が望ましい。では、いったいいま誰が国立の解体を望んでいるのか。答えはグローバル資本主義の「大競争時代」の中で生き残ってゆこうと考えている多国籍企業の経営者達=財界(独占資本)である。彼らはアメリカの知的所有権の囲い込み等によって新たな儲けの種としての先端技術開発(特にバイオやIT関連)の必要に追い込まれ、これまで文部省のコントロール下にあった国立大学を通産省を通じて、あるいは大企業の研究開発体制の中に直接的に組み込みたいとの野望を持っている。彼らのスローガンは「科学技術創造立国」であり、産・官・学の連携による「フロンティア創造型への技術革新システムへの改革」である。このため、彼らは2つのことを利用した。一つは財政赤字、もう一つは18歳人口の減少である。一部政治家・財界人らは自らの野望を正当化するために、いかにも国立大学は国民の税金を浪費し、自己改革のできない無能の集団として描き出している。こうした欺瞞的宣伝を通じて国立大学制度解体やむなしの国民的合意形成を狙っている。
論点2:独法化で大学はどう変わるか?―上で述べたことから、大学の種別化が起こるだろう。「独創的」な研究成果、巨大企業の儲けの種になる成果をあげる大学には潤沢な国家的資金や民間資金を投入するが、そうでない大学は自分で金を集めて経営努力をしなさい、倒産もやむなし、ということである。もちろん国家資金の配分を正当化するために大学評価機関などもそれらしく設置される。また、大学は「国策」に協力すればよいのであって、学問の自由などという、学術や大学の独立性を強調する動きに対しては、「タックス・ペイヤー」の声を利用して押さえ込もうと考えるだろう。さらにもし現状のままで国立大学が民営化されたなら、授業料は理科系で8倍、文科系で4倍にしないとやってゆけないと言われているから、当然授業料、入学金の大幅値上げが起こるであろう。大学側も小さな大学では倒産しかねないとして、吸収・合併が起こり、場合によっては政治家への政治献金、文部省や通産省の天下り官僚を大学が受けいれ、政・官・学の癒着を推し進め、将来、どこかの学長が政治献金で逮捕されるといった笑えない事態が起こるかもしれない。また、大学も学生を集めるために例えば舞の海のような有名人を大学の教員として招聘したり、駅伝で上位入賞をして名前を売ることに力を注ぐようになるかもしれない。
論点3:国立大学の解体は成功するか?―以上見たように、国立大学の解体はグローバル資本主義の中で生き残ろうとする財界=独占資本の戦略の一環であり、いわゆる規制緩和論や民営化論、社会ダーウィニズム論と同じ問題意識の中にある。しかし、アメリカ主導のグローバリゼーションがヨーロッパや発展途上国、シアトルのWTO会議におけるNGO の反対などに見られるように多くの矛盾と困難を抱えていることも事実である。また、国内でも独法化に向けた政府のスケジュールが多くの国民の反対で修正や手直しに追い込まれた。本来、大学は長期的・基礎的研究が主眼であって、そのことは大企業の求める短期的・応用的な研究開発とは矛盾する側面がある。大学人がこの問題をあきらめず、折に触れて問題点を指摘し、粘り強く国民に訴えてゆくならば、決してこの路線を撤回させることは不可能ではないし、むしろ高等教育の国家管理統制強化の方向は時代錯誤の誤った方向であることが次第に明らかになるであろう。ヨーロッパでは高等教育は国民の共有財産であり、無償の流れが確立されている。日本を「神の国」と考える人が総理大臣を勤めるようなヘンな国でなく、「教育と研究は一部の人間の独占物ではなく、国民全ての共有財産である」、そんな常識が生きる普通の国、普通の市民社会が根付く日本にしたいものだ。
(2000年6月)