独行法反対首都圏ネットワーク

静岡大学教職員組合、自民党提言への意見書
(2000.5.31 [he-forum 956] 静大教職組の意見書)

 静岡大学教職員組合は以下の「意見書」を学長宛に提出しました.

自民党文教部会・文教制度調査会
「提言 これからの国立大学の在り方について」に対する意見書

2000年5月22日

静岡大学教職員組合執行委員長
田 中 克 志

 1)5月9日、自民党文教部会・文教制度調査会は、党内の行革推進本部幹部会との調整を経て、提言「これからの国立大学の在り方について」を発表した(全文は、不二速報第2号掲載)。この「提言」は、去る3月30日、自民党内の高等教育研究グループによる提言案「これからの国立大学の在り方について」が自民党文教部会・文教制度調査会合同会議で承認され、その後自民党の行政改革推進本部幹部会においても了承されたものであるが、今後、政調審議会などでの検討を経て、党としての「提言」がまとめられる見通しである。
 なお、文部省は、この「提案」がだされたことをふまえて、文部省としての基本的立場をまとめ、国立大学学長会議を開催する予定とされているが、これが5月26日と決まった。

 2)この「提言」は、国立大学を独立行政法人化するにあたって、「独立行政法人通則法を100%そのまま国立大学に適用することは、大学の特性に照らし、不適切」であり、「基本組織、目標・計画、評価、学長人事、名称の5点については」、「大学に対する国の関わりと大学の研究教育の特性との調整を図る観点から」、「通則法との間で一定の調整を行う調整法(又は特例法)といった形で、法律上明確に規定すべきである」と述べる。また、「なお」書きとはいえ、「国土の均衡ある発展の観点から、地方の国立大学が地域の産業、文化の振興などに果たしてきた役割を十分評価し、その維持強化を図るべきである」とし、「国立大学が、基礎研究や、社会の需要は乏しいが重要な学問分野の承継、発展において果たしてきた機能についても、一層強化すべきである」とも指摘する。
 こうした一応の配慮にもかかわらず、この「提言」の核心は、「国際的競争力を高め、世界最高水準の教育研究を実現する」という学術研究や高等教育政策を完遂するには、「国の意思を法人運営に反映させうる」独立行政法人制度を「大学の特性に配慮しつつ」活用することが「適切な方法」であるとするところにある。

 3)この「提言」は、国策として「21世紀を輝ける時代とするため、『教育立国』と『科学技術創造立国』の2つの目標」を掲げつつも、「わが国の科学技術の遅れに対する危機感、焦燥感」から、「戦後、画一化され」、「研究、教育とも必ずしも十分に満足できる状況とは言いがたい」という国立大学に対する認識のもと、「国際的な競争力を高め、世界最高水準の教育研究を実現する」ために、「国立大学を護送船団方式から脱却させ、より競争的な環境に置く」べきものとする。
そして、この「競争的な環境」のなかで、国立大学は「選別と淘汰」を避けられず、「学部規模の見直し」、「国立大学間の再編統合の推進」が提起される。そして、「画一的で、総じて個性や特色を失いつつある」国立大学を「様々なタイプの国立大学が併存するような姿に変えていく」とともに、「真に世界的水準の教育研究の遂行を目指す大学を中心に大学院に重点を置く方向で、研究組織の編成を見直」し、そのため「公的投資も、欧米諸国並の水準に拡充すべきである」とする。そして、こうした「世界的水準の教育研究の展開を目指すような大学」においては、「競争的環境の整備の一環として、教員の任期制の積極的な導入」をし、「若い教員にも多くのチャンスを与えるとともに、厳しい選択を経て、真に優秀と認められる教員にテニュアを付与するような開かれた教員人事の在り方」の検討をも説く。
 他方、「競争的な環境」のなかで、勝ち抜くために、「執行の最終的責任者たる学長が、様々な場面でリーダーシップを発揮しうる権限と体制を確立すべき」であり、そのために、全学選挙による「学長選考を見直し」、「現状の教授会中心の運営の在り方を抜本的に改めるべき」とする。このことは大学における教育にも反映し、「自ら未来を切り開く先駆的な精神と、社会や国家への貢献、さらに世界への貢献という高い使命感を持った真のリーダー」を育成するという視点が重要とであると強調する。

 4)しかし、かように理解し得る「提言」には、様々な問題を含んでいる。
 第1に、高等教育政策の目標として標榜されている「世界最高水準の教育研究」の実現には膨大な教育・研究上の裾野が必要である。しかしながら、この「提言」は、「様々なタイプの国立大学が併存しるような姿に変えていくべきである」とし、「学部の規模の見直し」、「国立大学間の再編統合」をあわせ、一部の国立大学のみを少数精鋭的に「研究重点大学」として編成することを意図している。これでは、研究機能の減退を免れ得ない地方の国立大学は、これまでに「地域の産業、文化の振興に果たしてきた役割」すら果たせなくなってしまう。
 第2に、「世界最高水準の教育研究」の実現が「選別と淘汰」という弱肉強食的な競争原理によって達成しうるという競争主義信仰がみられる。ここには、大学及び研究者・教員が「切磋琢磨」し、わが国の大学における研究・教育全体の水準向上をめざし、これの基盤整備を国が責任を持って行うという視点が欠落している。また、「競争的環境の整備」とされる任期制の大幅導入は、生活の不安定な、成果を挙げることのみに汲々とする視野の狭い若手教員・研究者を増やしてしまう恐れが多い。
 第3に、「全学選挙による学長によって選考が行われる結果、必ずしも適任者が学長に選ばれない」とか、学部教授会の「自治」が「大学改革の前進に大きな障害」となっていると論じるがごとく、大学構成員による自主的・自律的な大学運営、すなわち大学の自治に対する敵意にも似た発想がみられる。
 第4に、国策のもと、強大な権限を有する学長からのトップダウンによる管理下で、自主性・自律性の認められない、精神的に抑圧された教員・研究者から、自由で、独創的な発想・研究は生まれようがない。この「提言」には、学問の自由という言葉すらみられない。
 第5に、この「提言」が指摘する「豊かな教養、優れた想像力、高い倫理観、自立した精神、健全な社会性」のある「人づくり」は、「競争的な環境」や「選別と淘汰」によってではなく、大学教育のみならず、初等教育から、教職員の自律性・自主性を尊重する教育制度があってはじめてなしうることである。この「提言」はこの点の認識が不足しているといわざるを得ない。
第6に、国立大学においても、この「提言」が指摘するように、欧米主要国に比して「極めて低い水準」の高等教育、学術研究に対する公的投資のもと、さらに格差的な人的・物的整備によって、実態としては、すでに一部の研究重点大学と多数の、研究・教育も満足にできない大学に振り分けられているといっても過言ではない。この格差を前提に、あるいはこれを解消しないままで、競争的環境に置かれれば、大学が個性化・多様化されて「序列意識の解消にもつながる」というのはあまりにも実態を無視した楽観的な論調といわざるを得ない。「序列意識」はますます助長されよう。
 第7に、この「提言」は、「わが国の大学制度は、歴史的な経緯の下に、国立、公立、私立の3つの形態が併存し、それぞれの性格に応じて、特異な領域を伸ばしつつ、また、時には競い合いながら発展してきた点に大きな特徴がある」と評価し、「わが国の大学制度の多様性で柔軟な構造自体は、今後とも基本的に維持されるべきである」と提言する。しかし、他方で、「国公私立合わせて600を超す大学が、画一的な大学である必要はない」とか、「戦後の国立大学は、総じて個性や特色を失いつつ」あるとか、指摘し、矛盾に満ちている。
第8に、この「提言」は、「国立大学を国から独立した法人を与えること」により、「大学運営をめぐる日常的な国の規制が弱まる点も、教育研究の遂行上、メリットが大きい」と述べつつも、「国は、主として国費で運営される国立大学については、国が、その運営や組織編成の在り方に対して、相当の関わりを持つことは当然であ」ると、矛盾したことを説く。また、「護送船団方式から脱却させ、より競争的な環境に置くためには、国立大学に国から独立した法人格を与えることの意義は大きい」となると、独立行政法人化により、すでに指摘した競争主義の弊害が増幅されることになろう。

 つまるところ、この「提言」は、「大学の教育研究の特性」に配慮するとしつつも、はじめに「行政改革」、「国立大学の独立行政法人化」ありきであって、これが「わが国の科学技術の遅れに対する危機感、焦燥感」に支配された「高等教育政策」によって粉飾されており、「強い警戒感と不信感」を禁じ得ない。



目次に戻る

東職ホームページに戻る