独行法反対首都圏ネットワーク

自主と自律は保てるか(5/29四国新聞社説)
(2000.5.29 [he-forum 951] 四国新聞社説05/29)

『四国新聞』2000年5月29日付社説

自主と自律は保てるか            

 文部省が、国立大学を独立行政法人にする方針を国立大学長会議で正式に表明した。国の行政組織の一部としての位置付けから、独立した法人格を持つ大学になる、というものである。近く専門家会議を発足させ、具体的な制度設計の検討に入るという。

 法人化によって組織、管理運営、予算・会計など、がんじがらめの国の規制から解放され、大学が自主性・自律性を発揮する余地が広がるなら大いに結構だ。

 だがこれまでの動きを見ていると、自民党行革推進本部などを中心に、大学を国のコントロール下に置こうという姿勢が一段と強まっているのも事実だ。法人化で大学の自主性・自律性が損なわれるようなことになるなら、何のための法人化かと言わざるを得ない。

 大学の教育研究活動は、大学人の自由な発想が尊重されて初めて実が上がる。だが、独立行政法人通則法は国家行政組織をスリム化するためのもので、企画立案機能と実施機能を分け、企画立案は主務省で行うというものである。単なる実施機関という位置付けは、とうてい大学になじむものではない。国立大学協会が反発したのも当然である。

 この半年、大学の自治確保を目指す文部省と通則法の徹底により行革の実を上げたい自民党行革推進本部が水面下で激しいつばぜり合いを続けてきた。その結果が先に公表された自民党文教部会・文教制度調査会による提言である。

 提言は「大学の特性から必要な措置を調整法に定めて国立大学法人に移行させるべきだ」とし、大学の基本組織、目標・計画、評価、学長人事、名称の五点について調整法の必要性を認めた。目標を決める際には大学の意見を尊重することなどの留保条件を付けたというものである。

 これで大学の自治確保に一定の見通しがたった、というのが文部省の見解だ。

 だが、提言に至る水面下の折衝プロセスを見ると、文部省の言うように直ちに「大学の自治が確保された」とは言い難い危うさを感じる。

 まず学長人事について自民党当初案は「大学の主体性を尊重した手続きとする」となっていた。それに行革チームから「自主性だけでは駄目だ」とクレームが付き、提言は「大学の意向を適切に反映しうる手続きとする」と大幅に弱められた。

 再編・統合についても「大学の自主性を尊重しつつ積極的に再編統合を推進すべきだ」という当初案は「自主性は尊重しつつも、最終的には国の責任において積極的に…」と変わり「国立大学については、国が、その運営や組織編成の在り方に対して相当のかかわりを持つことは当然である」という一文も入った。

 これからも国が運営や組織編成に口を出すという露骨な姿勢である。昨年九月の学長会議で「できる限り自らの権限と責任において大学運営できるよう法人格を持つことが適当」とした前文相の言葉と程遠いものだ。そこにあるのは、目標・計画の認可や業績評価を通じて国が国立大学をコントロールし、効率を上げるという行革の論理でしかない。

 しかし学問研究というのはテーマを国家が決めるような行政の下請けではない。考古学などすぐには結果の出ない分野も、貴重なものであることに変わりはない。行革の文脈に、学問研究の将来を閉じ込めるような流れをそのまま追認したりすれば、将来に大きな禍根を残す。

 いくら外側から枠をはめて追い立てても、大学人がその気にならなければ成果は出ない。自主性こそが学問研究をリードするエネルギーである。法人化には、大学の自主性・自律性確保は欠かせないことを再確認することが必要だ。

 いずれにしろ国立大学が護送船団で守られていた時代は終わる。実績を上げなければ、十分な予算も回ってこない。特色を出し、受験生に魅力ある大学をつくらなければ淘汰(とうた)される。大学人には、自主・自律と自己責任がワンセットであることの自覚を求めたい。



目次に戻る

東職ホームページに戻る