独行法反対首都圏ネットワーク

中嶋哲彦「国立独立行政法人化の問題」
(2000.5.4 [he-forum 865] Re: Sender: owner-he-forum@ml.asahi-net.or.jp)

安藤友張 様

 貴重な文書のご紹介をありがとうございます。

> 中嶋哲彦「国立独立行政法人化の問題」
> 『大学と教育』第27号、2000年4月、所収 p4-14。

 により国立大学独法化・科学技術創造立国路線という、政府内で一見するとバラバラに提案されている2政策が「独立行政法人大学は科学技術創造立国路線の推進装置である」という形で見事に呼応している、ということを明確にして頂いたと思います。(5/1のYomiuri on-Line の記事[he-forum 859]にある「教育振興基本計画」も、独立行政法人化を前提条件として、上の文脈で策定されることは明白と感じます。)

中嶋氏の最後の部分(p14)のメッセージを引用させて頂きます:

----引用始--------------------------------------------------------

 国立大学独法化論・科学技術創造立国路線は、「国立大学に於ける教育研究の社会的存在意義は産業界への貢献によって確認される」、「研究資金を集中的に投入すれば高い研究成果が得られる」、「競争と経済的報酬は研究へのインセンティブとして働く」などの命題が常に「真」であるという前提に立たなければ成立しないだろう。こうした怪しげな命題が見え隠れする大学改革論は、大学関係者はもとより、国民に対して説得力をもちえないだろう。産業界の技術開発とは異なる次元での、基礎的・基盤的研究を大学が担ってこそ、科学技術の安定した調和ある発展が望めるのではないだろうか。また、産業界の需要とは無縁な分野にも人類にとって必要な学問が存在しており、そこへ「効率性」基準を適用することは無意味以上に愚かな振るまいである。産業・経済の世界と教育研究の世界とではそれぞれ異なる固有の論理が存在し、それを尊重しなければいずれは共倒れになることが認識されなければならない。
 また、大学改革と言いながら、大学における教育を人材養成の観点からしかとらえようとしない、人づくりへのイマジネーションの貧困さには驚くばかりである。知識や技術に手足を付ければ人ができ上がるわけではなく、それはせいぜい自走式コンピュータであろう。知識や技術をコントロールする人格を育てなければ人づくりは完成しないのである。同じことは研究者へのインセンティブの与え方にも言える。ポストや研究費を競争に委ねたり、経済的報償の増減によって人を動かそうという発想には、研究者が教育研究に打ち込む内的動機に対する洞察力の低さを感じてしまう。いま政策立案者に求められることは、まず第一に、人と人づくりに関する豊かなイマジネーションをもつことだろう。
 私は、高三の夏、丸善前の歩道でたまたま受け取ったチラシで、管理運営組織の中枢化(副学長、参与会)や教育と研究の組織的分離などを内容とする筑波大学法案が国会で成立しそうになっていることを知った。このとき、教育行政学・教育法学を学びたいという思いは決定的になり、理系志望だった私の進路はこれを境に大きく転換した。結局法案は成立してしまったが、チラシをくれたおじさんの精神は、4半世紀を経て今やおじさんになってしまったかつての高校生に受け伝えられた。
 政財官が主導する大学制度改革は、国立大学だけでなく日本の大学全体を包み込む形で展開しはじめている。これは筑波大学法案の比ではなく、戦後の大学改革の中でも最も大規模でラジカルなものだろう。教育研究の意味と在り方、文化と知と技術の質、人の価値と人づくりの意味など、人間的価値のおそらく最も深く重い部分に深刻なダメージを与える可能性が高い。これに今どう対峙するか、そして次の世代にどう繋いでいくか、私たちの世代が試されている。」

----引用終--------------------------------------------------------



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