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九大OB座談会「21世紀の九大を考える」(1/14九大広報)
(2000.4.20 [he-forum 828] 九大広報No.10)
『九大広報』第10号(2000年1月14日付)
【座談会出席者(大学卒順)及び略歴】
廣田 榮治(ひろた えいぢ)
総合研究大学院大学学長(S.28 東大理学部卒,S.43-S.51 九大理学部教授)
昭和28年東京大学理学部化学科卒。東京大学理学部助教授を経て,昭和43年12月から7年間九州大学理学部教授。その後分子科学研究所教授などを経て,平成7年4月から総合研究大学院大学長。
増田 信行(ますだ のぶゆき)
三菱重工業株式会社会長(S.32 九大工学部卒)
昭和32年九州大学工学部卒。同年三菱造船株式会社に入社し,三菱重工業株式会社広島製作所副所長,同下関造船所長などを経て,平成7年取締役社長,平成11年6月取締役会長に就任。
古川貞二郎(ふるかわ ていじろう)
内閣官房副長官(S.33 九大法学部卒)
昭和33年九州大学法学部卒。長崎県総務部勤務を経て,昭和35年厚生省入省。平成5年厚生事務次官となり,平成7年2月官僚のトップと言われる内閣官房副長官に就任し,首相官邸で村山,橋本,小渕と3代にわたり総理大臣を補佐する。
箱島 信一(はこしま しんいち)
朝日新聞社社長(S.37 九大経済学部卒)
昭和37年九州大学経済学部卒。同年朝日新聞社に入社し,記者,経済部長,編集局長などを経て,平成 11年2月代表取締役社長に就任。
【進行・聞き手】
杉岡 洋一(すぎおか よういち)
九州大学総長(S.33 九大医学部卒)
(列席)
柴田洋三郎(しばた ようさぶろう)
九州大学副学長・広報委員会委員長(S.46 九大医学部卒)
ミレニアム座談会
21世紀の九大を考える
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国立大学の設置形態
杉岡:国立大学の設置形態については我々も活発に議論していますが,設置形態云々よりもまず,世界に伍していく上で日本の高等教育がどうあるべきかを議論すべきではないでしょうか。それが,これだけの大問題なのに国民的な議論になっていない。私は,最も活力の出る大学のあり方を提言していきたいと思いますし,どのような形態になっても生き残る九大を作りたいと思っています。
廣田:国立大学の独立行政法人化の議論は,21世紀の日本の高等教育を責任を持って担当していくということを前提に進めていくべきではないでしょうか。その意味で通則法はダメで,大学の独自性を認めるというのが本来の趣旨だと思います。改革を一層の飛躍につなげなければなりません。
日本の大学は,努力していろいろやっています。私の大学は10年になりますが,本当に評価される結果が出るのに50年はかかると思います。一般的な意味の効率的ではないのが大学です。切りつめるべきところ,努力すべきところは大学もやらなければなりませんが,長い目で見る必要があります。世界の中の日本として活躍するためには,文化・学術,高等教育のあり方は大切です。まず私ども大学の人間が努力しなければならないわけですが,社会や国もぜひあたたかく御援助いただきたいなと思っています。
増田:私は,大学が象牙の塔ならばやはり改革しなければならないと思っていました。その一つとして独法化の議論が出てきた。もちろん予算や定数のことがあるのかもしれないが,そういうことで改革できるのであればそれで良しと。
今回「九大広報」を見たら,改革をいろいろおやりになっている。ああ国立大学も非常に私学に近付いたなという感じを持ちました。私学のキャンパスや施設がうらやましい,アメリカの社会環境や制度がうらやましい,そういうことが国立であるが故の問題であるなら,いっそ国立大学でない方がいいのではと思ったりもしております。
杉岡:アメリカの有名私立大学はどこも,かなりのパーセントは国からお金が来ています。それと相当なお金を大学に寄附して名を残すという社会的な風土もあるのではないでしょうか。
古川:私どもには,大学のあり方を効率や財政のみから議論するのは国を誤らせる元だという認識があります。自主性,自立性は確保する。これは原則です。これからは,国がきっちり枠を決めるのではなく,ある程度弾力的に自主的にやれるようにしようと。しかし一方で,財源をしばってしまうと自由化はむつかしい。これをどうするのか。
文部省の検討の方向にも,自主,自由ということを前提としながら,公的な資金を大学が十分に運営できるようにするということはあり,これはもっともだと思います。寄附や産学連携関係も財源にできるようにしていく。公益法人だといろいろ免除もあります。財源的にも今までと違ったものを認めていく。大学を潰せとは誰も思っていない。そこをどう持っていくかだと思うのです。
ただ,本当に大学が自立性,自主性をもって運営できるのかという懸念はあります。これまでの大学の自治は権力からの自治だったが,本当に自主的に運営できるのかという懸念。しかし,お世辞を言うわけではありませんが,九大は自主的にこれだけいろいろ改革をおやりになっているので感心しました。いい方向で大学の自治を伸ばし,財源面でも,決して
shabby にならないような運営をしていく。本当に自立性,自主性を持って大学を運営していけるのかという,そこを考えていただかなければならない。
杉岡:自主性をもって運営しなければ,潰れることもあり得ると。
古川:これまでの均等性は,一種の悪平等と言えませんでしょうか。教育機関,研究機関,あるいはそれらを合わせた大学の機能を,国民的に考えなければならない。優劣や上下関係ではなく,機能や役割の分担。
それともう一つは,大学へのサポート体制を本当に考えないといけないと思います。OBで寄附するだけじゃない。九大のOBとか関係者とかだけでなく,九大がアジアの拠点を目指すというなら,それに賛同してそれを育てていこうという支援組織を作る。そして必要があれば寄附に賛同し,いろいろな人に呼びかけもして大学を育てていく。そういうことを,微力ですけれど私もしたいと思っています。
国立病院はこれまで機能してきたが,今は民間の病院も増えて独立行政法人化の議論になるわけですが,その中で国立がんセンターとか大阪の循環器病センターなどを,ナショナルセンターとして国に残す。役割や機能を果たしていただくという意味では,国立はやはり育てていかなければならないと私は思っています。ただし安住はいけませんが。
「結局,大学が学問の府としての存在感を高めることが,この問題の決め手ではないでしょうか。」(箱島)
箱島:国立大学の独立行政法人化の議論は,公務員定数削減から出発したという不幸な経緯があります。効率が追求されて基礎研究を台無しにする危険性も大いにある。
基礎研究で思い出すのは,島原地震火山観測所長だった太田先生です。先生はくる日もくる日も門外漢には何の変化もない山を見つめておられたわけですが,それが雲仙普賢岳の災害時に大きな役割を果たした。国立大学の底力とはああいうことだなとつくづく思いました。
独法化問題も,一刀両断の切り口はなかなかないのでしょう。基礎研究がおろそかになる危惧はある。しかし一方では,一般の人の抱く大学のイメージに「こんな世の中なのに,大学は一体何をやっているのだろう」という不信感がある。このままでいいという議論には誰も組しないでしょう。オール・オア・ナッシングでは建設的な議論はなかなかできない問題だと思いますが,大学を崩壊させていいとは誰も思っていない。しかし,独法化の目的が目先の効率化ではないと言っても,そうなる危険性はある。結局,そうなるならないは,大学がどれだけ独自のプランと実行力を持っているかにかかっていると思います。独法化への言いわけでなく,大学のために改革をやるのだということを忘れずにいていただきたい。
大学の自治という言葉は,かつて大学紛争の時に頻繁に使われましたが,学問を愛し,自由な環境の中で学び研究するということがその根底にあるべきで,マス化,レジャーランド化では,説得力がありません。結局,大学が学問の府としての存在感を高めることが,この問題の決め手ではないでしょうか。古典的な学部ごとの自治,学部の壁は,新しい学問の発展の障壁となる面もある。九大などで行われている改革を,スピードアップしていただきたいと思います。
古川:私は,箱島さんの御意見の後半部分には賛成ですが,最初の部分の,独法化の議論は動機が不純だという部分は,少し違うように思います。改革というのは,歴史的にみても,必ずしも最初から高邁な動機が常にあるわけではない。これではにっちもさっちもいかないというところから,すばらしい改革が生まれてくることがある。大学も戦後50年たって社会に適合しなくなっている面がある。新しい21世紀に向けて今のままでいいのか。これは天の声ではないか。そういう時代だとまず認識し,このピンチを大きなチャンスに変える努力をすべきだと思います。
「研究成果や改革などについてもっと積極的に情報公開をして,大学の成果は社会の宝だと,評価の前提として公開する必要がある。」(古川)
独立行政法人化がなぜ大きな議論にならないか。大学に一種の恐怖感からくる守りの姿勢があるからではありませんか。こういう条件でこう変わりますよと,むしろ大学の側からどんどん出していけば,最後は国民が判断すると思います。その意味でも,研究成果や改革などについてもっと積極的に情報公開をして,大学の成果は社会の宝だと,マスコミを通じてもいい,評価の前提として公開する必要がある。そういうことにならないのは,大学の先生方に打って出る自信がないのかなと思います。我々はこんなことをやっているが批判する
なら批判してくれ,批判してもいいが評価もしてくれと社会に訴えれば,国民的議論になる。個性的でいいことをやっている大学は国民がサポートしてくれる。そうでない大学は落ちていく。競争社会とはこういうことで,本当に質の高いものは生き延び,発展していくのだと思います。「この分野に関しては九大」となると,日本が,アジアが,世界がついてくる。政府でなく,国民のサポートを得ることが大事です。政府は国民なんです。国民が「あそこは伸ばそうじゃないか」と思ったら伸ばせるんですよ。国民に支えられないものはダメだと思います。
廣田:大学の平均的な状況として,大学の先生の意識改革が不十分であることは否定できない。もう一つ,世の中に知らしめるのも苦手です。いろいろやってはいますが,社会全体が相手では,大きすぎて複雑でなかなかうまくかない。