独行法反対首都圏ネットワーク

東京外語大、吉本秀之氏(科学史)のページ
(2000.4.11 [he-forum 808] 吉本秀之氏の論説)

東京外国語大学吉本秀之氏(科学史)のページより

 http://www.t3.rim.or.jp/~h2ysmt/gaidainews.html

2000年4月 外大ニュース 教官から学生へ

 20世紀の一番最後の年に大学に入学した諸君に、ひとまず、おめでとうといいましょう。諸君は、ほぼ4ヶ月でこの西ヶ原のキャンパスを離れ、新しい府中キャンパスに移ります。大学にとって、これは、非常に大きな変化です。建物もきれいになるでしょう(たぶん)。数ある大学のなかでほぼ最低に近かった情報環境も、冬からはかなり改善されるはずです。

 変化は、しかし、そうした建物だけにとどまらないでしょう。これを執筆している現時点では、それが結局どういうところに着地点を見出すことになるのか、見通しをつけることができませんが、「独立行政法人化」の問題は、国立大学が古いままの国立大学でいることを許さないでしょう。

 では、いったい、誰が何を目的に大学を変えようとしているのでしょうか?

 驚くべきことに、それが不明です。圧力のおおもとは、今の日本を襲っている他の多くの変化と同様に、アメリカです。開かれた大学、国際的な大学、すなわちアメリカのような大学。日本の大学の存在形態を変えようとしている人たちの目指しているものは、イメージとしてはアメリカの大学ということになるでしょう。

 しかし、アメリカン・システムは日本人を幸せにしてくれるのでしょうか?

 有名な書物に倣えば、「人間を幸せにしないアメリカン・システム」とまず言ってみるべきではないでしょうか。フランス革命の「自由、平等、友愛」の自由は、人間精神の自由こそを指していました。そして、教育機関こそがその人間精神の自由を守り、培う場所でした。アメリカ的な自由競争は、少数者の自由(経済的成功)と圧倒的多数の不自由をもたらします。社会のあらゆる側面で、競争がいけないわけではない。しかし、教育機関が体現すべき価値は、精神的なもの、あるいは文化的なものです。教育機関の存立の根元に自由競争を持ち込もうとするものは、私には、人間文化への悪意ある敵対者であるよう
に思われます。

 では、いけないのはアメリカでしょうか?

 実は、この問題に関していけないのは、あくまで日本です。そう、我々の日本です。我々が、単純なアメリカ追随か、その逆の石原慎太郎氏的なアンチ・アメリカニズムという両極を揺れ動くのは、戦後日本という国家にとって家父長的な存在であったアメリカを正しく対象化しえていないせいです。もうそろそろ日本は、父親的存在であったアメリカから精神的に自立してよいのではないでしょうか?

 自立するために必要なこと、それは、一方では我々が生きてきた社会と歴史の批判的検証作業、もう一方ではそうした知的な営みに裏付けられた我々の意思の形成です。アメリカとは何か、日本とは何か、これを探る知性は大学のなかで鍛えることができます。ありがたいことに、大学はこの機能を十分に果たすことが出来ますし、諸君の年齢はその種の知性(判断力)を鍛えるのにふさわしい時期でもあります。

 少し積極的に動いてみましょう。応えるものは(半ば隠れた形かもしれませんが)大学の中にも外にも必ずあります。授業だって、教室という檻ではなく、知的な出会いの場となることもできるのです。



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