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学術会議第2常置委員会報告
(2000.4.8 [he-forum 797] 学術会議第2常置委員会報告)
長文ですので、「独立行政法人化」の箇所のみ投稿します。
『学術の動向』(2000年3月号)、29-42頁。
第17期日本学術会議第2常置委員会報告
大学問題―危機とその打開への道
平成12年1月17日
目次
要旨
序: 世界を視野に長期的な展望を
第I章: 世界史的俯瞰
I-1. 地球史的・人類史的課題
I-2. 大学の変貌と高等教育への期待
I-3. 大学はどうあるべきか
第II章: 大学問題を考える基礎的視点
II-1. 「世界史の趨勢の視点」から
II-2. 憲法理念の発展にみる「文化国家」の視点
II-3. 国際的な諸条約の到達点に注目する
第III章: 国際的にみる日本の大学
III-1. 財政基盤の弱い日本
III-2. 学術交流と留学生問題
第IV章: 大学の説明責任と評価の問題
IV-1. 大学の自己点検と説明責任(accountability)
IV-2. 大学評価の問題
IV-3. 国立大学の「独立行政法人化」問題
結び: 21世紀の大学とその社会的責任
IV-3. 国立大学の「独立行政法人化」問題
大学改革と評価に関連して、現在、日本の大学問題を考えるうえで、国立大学の「独立行政法人化」の問題は避けて通ることのできない重要な問題である。
目下進行中の行政改革の一環として、国家行政組織の減量化・効率化の意図のもとに、1997年春ごろより国立の大学や研究機関等を独立行政法人化しようとする動きがクローズアップされてきた。すでに国立研究所などが先行して独立行政法人化の対象とされ、国立大学の独立行政法人化問題も最終結論を2003年までに出すことが予定されていた。
ところが、最近になって、定員削減問題とからんで文部省自身が、国立大学の独立行政法人化への移行を検討し、具体案を提示するという事態が急浮上し、2000年7月の概算要求時までに結論を出すことが求められている。
国立大学の設置形態の変更は、もし実施されるとすれば、明治期の帝国大学の設置、第二次世界大戦後の新制大学の設立に次ぐ、日本の大学制度の歴史の上で第三の大改革といってよい。ことの重大性を考えれば拙速に結論を急ぐべき問題ではないことが銘記されなければなるまい。
本来であれば、進行中の大学改革の結果を熟慮・勘案し、国立大学の現在の設置形態が、教育研究の活性化の大きな障害となっていることが明確に認識されるに至ったのちに検討されるべき問題である。いま必要なのは、日本の高等教育・大学はいかにあるべきか、また公・私立大学との関係や、公・私立大学、とりわけ多数を占める私立大学への影響をどう考えるべきかといった根本的な問題について、長期的な展望にたった国策としての理念・計画を明確にし、そのうえで国立大学の設置形態の問題点も洗い出すことであろう。
例えば、年度にしばられた予算の執行、民間企業との兼業禁止、国際共同研究における予算執行の困難、マスプロ教育、定員削減による教職員の多忙化等の問題の検討を通して、あるべき姿が大学の側から提案され、改善のためにどのような法整備が必要であるのかを検討する時間的余裕が求められている。
ところが、いま進められようとしている「独立行政法人化」は、行財政改革の一環として効率化、人員や予算の削減を主目的に提起されたものであり、大学における教育・研究上の要請を基礎にしたものではない。主務省の監督権限が実質的に強まり、官僚的統制の強化を招き、予算と定員のみが削減されるという事態につながる危険性はきわめて大きい。「国家百年の計」である大事の策定が、十分な検討の努力なしに推進され、国立大学の「独立行政法人化」が実施されるとすれば、それはきわめて遺憾なことといわねばなるまい。
われわれは、I-3.で、大学が担うべき三つの課題(人びとの広汎な高等教育への要求に応え、人材の養成と、学術的知見の創造的役割をになう)についてのべた。このような課題を遂行する大学にあって、憲法とそれを具体化する法律によって認められた自由と自治が制限されたり弱められることは、設置形態の如何を問わずあってはならないことである。大学における研究・教育の自由と管理運営上の自治の権利は十全に保障されなければならない。また、目標・計画とその評価は、定量的な「効率」だけを基準にするのではなく、文化国家の理念をふまえて、教育・研究の活性化・向上・発展の見地からおこなわれることが必要である。
こうした条件が満たされないままに、「独立行政法人化」が一方的に進められ、大学という長い伝統と独自性をもつ組織に対して、制約・規制が先行することになれば、日本の大学は国際的にも立ち遅れ、将来に重大な禍根を残すことになることを重ねて強調しておきたい。