独行法反対首都圏ネットワーク

ニュージーランドの行財政改革はニュージーランドに何をもたらしたか
(2000.3.6)

 以下は、東大理学部職組発行「理職速報」のために書かれた記事です。理職の好意により、転載しました。



講師:河内 洋佑 氏(岩石学、元オタゴ大学教員、現在JICAから中国科学院へ派遣中)

日時:1月20日18:30-20:40/場所:山上会館会議室

主催:独立行政法人反対首都圏ネットワーク

 1月20日の夜、山上会館会議室において、元オタゴ大学教員の河内洋佑さんをお招きし、ニュージーランドにおける行財政改革についての学習会が開かれました。
 ニュージーランドでは、市場原理をほとんど極限まで推し進めたような『改革』が進行しました。その前後の状況を長年現場で見てこられた河内さんのお話は生々しく、独立行政法人化の問題をはじめ、これから日本が向かおうとしている先に何が待ち受けているのかを考える上で、非常に参考になる内容でした。会場は参加者でいっぱいになり、予定の時間を超えて活発な質議応答がおこなわれました。以下に講演の概要を紹介します。なお、見出しは編集時につけたものです。


ごらんになりたい部分をクリックしてください。
(各見出し文末の[BACK]でココへ戻ります。)

ニュージーランドと日本の『改革』の類似性
ニュージーランドの大学
病院の『改革』
保険会社が太り、福祉は壊滅
税率は下がったが実質増税
団体交渉権の剥奪
リストラとコンサルタント会社の繁栄
巨大プロジェクトの破綻と行革の開始
大学における独立行政法人化
研究費は応用研究へ
奨学金の廃止と授業料の自由化
学生獲得競争
行財政改革の『輸出』
労働党政権の反核政策と行革政策
<質議応答から>





◆ニュージーランドと日本の『改革』の類似性

 私はニュージーランドに26年間おりまして、97年に帰国しましたが、現在は中国の方に行って仕事をしています。
 今回お話をさせていただくにあたり、日本で進みつつある『改革』を見てみますと、ニュージーランドで行われた行財政改革と非常に似た面があると思います。それは、いずれにおいても政府や財界がはっきりしたビジョンを示さないまま『改革』をスタートさせているという点です。以前、日本の首相がニュージーランドを訪れた時、ニュージーランドの首相に、どうやったらこれだけスムーズに改革を進めることができるの か、と聞いたことがありました。そのとき、ニュージーランドの首相は、国民が何が何だかわからないうちにやってしまうのがコツだ、と答えたという話があります。


[BACK]

◆ニュージーランドの大学

 ニュージーランドは、日本と地形的にも似ており、面積でいうと日本の7割ぐらいです。ただし人口は360万人しかなく、その中に国立大学が7つあります。最近私立大学が一つか二つできました。進学率は30%から40%程度です。大学には入試がありません。全員入学できるのですが、卒業するのは大変難しく、卒業できる学生の割合は大体60-70%位です。改革前は、学生全員に給付の奨学金が支給されました。ただし1年目の成績が悪いと2年目からもらえなくなることはありました。学生が途中で大学を移ることも自由でした。年度末に試験があり、1科目あたり3-4時間かけて試験問題を解きます。時間が長いので、学生はお茶を持ってきて、それを飲みながら試験を解くといった風でした。全員入学ですから、入学すること自体に意味はなく、したがって入学式もありません。そのかわり、卒業式は親兄弟も呼んで行います。卒業式では、学生は壇上に上がり、学長から帽子をかぶせてもらい(cappingといいます)、壇を降りる時には学士の象徴として帽子をかぶった状態になっています。
 ニュージーランドは、婦人投票権を最初に認めた国であり、福祉政策も進んでおり 非常に先進的な国でした。私など永住権を持っている外国人にも投票権があり,私でも立候補ができたはずです。つまり税金を払っている者にはきちんと投票権も保障するというわけです。そもそも外国人登録という制度自体が69年に廃止されてしまい、パスポートを持って歩く必要もありません。外国人にも年金が出ます。そういう意味で、非常にフェアな国でした。


[BACK]

◆病院の『改革』

 私が向こうに行った当時、家内が入院したことがありましたが、看護婦さんは英語がなかなか通じない患者に対しても非常に親切にしてくれました。また食事のメニューも何種類か選べるようになっていて、非常に美味しいと言っていました。ところが、行財政改革が行われた結果、病院は、地域の住民の健康を守るという目的から、利益を挙げるために経営するというように変わってしまいました。病院の経営委員会は以前は住民の選挙によって選ばれていたのですが,政府の指名に変わりました。その経営者が最初にやったことは、自分の給料を2倍にすることでした。一流の経営者には世界で一流の給料を払わなくてはならないという理屈だそうです。ある病院の経営者はサウジアラビアに分院をつくる計画を進めました。地域住民の健康を守るという使命は忘れ去られました。ただし、その経営者は結局住民の非難を浴びて半年位で辞めました。
 改革後は、予算に縛られ、年間の手術対象者数が決められたため、緊急でない限り手術をしないようになり、患者は手術のために2年ぐらい待たされる場合も出てきました。待っている間に死んでしまった人もいます。看護婦の人数も削減されました。 あるとき家内が入院したら、男ばかりの大部屋に入れられたことがありました。男女を一緒の病室に入れるなど、患者のことを考える姿勢がなくなっていました。ひとつの病棟には大体100人位の患者がいましたが、夜勤は一人だけでした。一人ではとても手がまわらず、夜勤明けにはぐったりしていました。一番ひどい例では、80歳を越えた手術後の婦人が、午前3時に退院を命じられたことがありました。その人は、車もないし,お金がないのでタクシーも呼べず、待ち合い室で朝まで座っていたという話です。
 また、病院同士での競争も激しくなりました.大学の附属病院でこういうこともありました。そこの先生が新しい治療法を見つけたところ、他の病院には教えるな、という圧力がかかったのです。その病院がより多くの患者を獲得するためです。
 またこういう話もあります.今でも公立病院での治療費はタダないしは非常に低額です.ところが公立病院で安い費用で手術を受けるには2年も待たされるということで、その病院の先生から私立病院を紹介してもらい、翌日そこで手術をすることになりました。ところが、私立病院で手術を担当する医者の顔を見たら、実はそこを紹介した公立病院の医者であり、手術する場所も公立病院だったという話です。


[BACK]

◆保険会社が太り、福祉は壊滅

 国民ひとりあたりの平均的な年収は、3万6千NZドル(1ニュージーランド・ドル=約50円)、私立病院の入院費用は1日あたりおよそ3千NZドルですから、民間会社の医療保険に入らないと手術は受けられません。だから実質増税です。このような病院の『改革』によって、保険会社が非常に太ったという話です。ニュージーランドの福祉政策は壊滅状態となりました。65歳以上になると保険料が倍になります。私も保険料が上がるので保険を脱退しました。多くの人が同様の理由で保険を脱退し、90年から99年の間に保険を脱退した人は50万人にも上ります。NZ最大であるアメリカ資本の保険会社の重役には、この『改革』を最初に始めたときの大臣が名を連ねています。
 南島は、北島と比べて人口が少なく、全部で80万人位しかいません。一番大きな町がクライストチャーチで20万人、次の町が10万人位、あとは数万人かそれ以下の町が点在しています。人口1万人以下の町の病院はすべてなくなりました。精神病院はコミュニティ・ケア(Community Care)という美名のもとに、ほとんどが閉鎖され、患者は街に放り出され、浮浪者みたいになる人も出てきました。
 住宅公社は単なる「家主」に変わりました。マーケット・エコノミー(market economy;市場経済)ということで民間と同じ家賃をとるようになったため,払えない人は放り出されてホームレスが増加しました。教会などで、スープキッチンやフードバンクといって、ボランティアで貧困者に無料で食事を与えるところが復活し、そこに多くのホームレスが群がるという事態が広がっていきました。これは政府の怠慢ではないか、という声も出ています。


[BACK]

◆税率は下がったが実質増税

 税金は、改革前は累進課税が厳しくて、最高税率が66%ありました。それが改革後は最高税率は33%と半分になり、33%と24%の2段階だけになりました。私も最高税率の66 %がかけられていましたから、税金が半分になったのはいいことだと最初は思いました。 しかし、先ほども述べましたように、医療費についていうと保険に入らないと最高 2年も待たないかぎり治療は受けられません.そのためどうしても保険に入らねばならないのです。またすべての物に10%の消費税がかかるようになり、その税率はすぐに12.5%に引き上げられました。また、以前は学会費や図書費などは税金から控除が効いたのに、その控除がなくなりました。食料や本にも一律に消費税がかけられています。大学の同僚が計算したところによると、税金が軽くなったことよりも出費の増加分の方が上回っているという結果でした。おそらく得をしたのは大金持ちだけでしょう。それから、子供の貯金など、少額の預金の利子にも24%の税金がかかるようになりました。しかも、預金額が300ドル以下になると「管理費」という手数料がかかるようになります。生活保護の人へのお金の支給も全部銀行振込みですから、そういう人たちの生活保護費からも「管理費」がとられるのです。
 公共の交通機関についていうと、バス路線が入札によって決められるようになりました。そのため、儲かる路線は私営になり、儲からない路線だけが公共負担になっていくという事態になりました。小さな町では路線が廃止されたところも出てきました。


[BACK]

◆団体交渉権の剥奪

 労働組合からは団体交渉権がなくなりました。労働者は、自主的に自分の権利を守るのだということで,一個人として経営者と交渉しなければならなくなりました。パートタイムも多くなっており、失業率も11%程度ありましたから、そういう状況の下で経営者と1対1で交渉するといっても、勝ち目はありません。大学の組合では、紙に「xxxさんに任せます」ということを書いたものを集めて、その上で交渉係が当局と交渉するということをやりました。
 以前は、大学の教員は、3年以上勤めると、テニュアといって、生涯勤められる身分になれました。ところが、改革以後はいつでも首が切られる状態になりました。


[BACK]

◆リストラとコンサルタント会社の繁栄

 運輸省では、6000人いた職員が最終的には60人にまで減らされ,リストラの大成功だと言われました。また以前は、移民局に手続きに行くと、無料でやってくれました。しかし、今は移民局に行っても職員がいないため、手続きができません。そこにいた人たちは、今では民間のコンサルタント会社に移っていて、手数料をとって手続きをやってくれるのです。こうして、手続きにも多額の費用がかかるようになりました。
 大蔵省なども、政策を策定するコンサルタント会社に始まって、税金の申告をするコンサルタント会社など、多くのコンサルタント会社をつくって、そこに業務を依託しています。政府が毎年それらのコンサルタント会社に払っている額は大蔵省だけでも19億ドルにも上ります。
 国・公有の資産は次々と売却されていきました。(ニュージーランド航空)は日本航空とカンタス航空が合同で所有するようになりました。鉄道はアメリカのウィスコンシンの企業の所有になりました。統計によると、95年の1年間で、ニュージーランドが海外で挙げた利益が7億ドルであるのに対し、外国資本がニュージーランド国内で挙げた利益が65億ドルになっています。ニュージーランドは1人当りの海外負債が最も高い国の一つで(負債額の合計ではブラジルがトップ)、GDPの85%に相当する800億ドルが海外からの借金です。この数字を見ると、リストラによって経済がよくなったというのはウソだと思います。
 昨年11月、政権交代があり、国民党が負けて、労働党と新労働党が勝利をおさめました。最高税率もさっそく33%から39%へと引き上げられたということですから、少し状況が変化しつつあるようです。


[BACK]

◆巨大プロジェクトの破綻と行革の開始

 ニュージーランドはイギリス圏の国でしたから、輸出品はすべてイギリスに送られました。ところが、イギリスがECに加盟するとともに、EC内の物資はEC内で調達するという方向が強まり、ニュージーランドの産物をイギリスに輸出することができなくなりました。そこでアジアに目を向けることになりました。その時オイルショックが起こりました。
 当時、ニュージーランドではThink Bigといって、4つの大きなプロジェクトが考えられました。ひとつは、モービル社が天然ガスを石油にする実験に成功していましたので,それを使って国内に多量にある天然ガスを石油化しようというものでした.まだ実用化されていない段階だったのですが、それに飛びついて、大きな工場をつくりました。そうしてつくられた石油を売り込もうというわけです。しかし工場が完成したとき、すでにオイルショックは終了しており、巨大な借金だけが残りました。もうひとつは、大きな水力発電所をつくり、その電力をアルミ工場に売り込もうというものでした。しかし、完成後、パプアニューギニアの方が電力が安いということで電力の売り込み先がなくなりました。このような大規模プロジェクトは全て海外借款で行われたものです.そのためこれらのプロジェクトによる大赤字が、その後の行財政改革の引き金になったわけです。このプロジェクトを推進した張本人の大蔵大臣は、責任をとることもなく、つい先頃まで大蔵大臣にとどまっていました。市場経済化の徹底により、あらゆる戦略的分野、金融、通信、交通、エネルギーなどの分野が、海外資本の下に置かれるようになりました。


[BACK]

◆大学における独立行政法人化

 ニュージーランドの科学技術省(略称DSIR:Department of Scientific and Industrial Research)においても、独立行政法人化が始まり、しだいに大学にもその波が及んできました。独立採算制が原則となり、利益をあげることが目的とされるようになりました。地質調査所でも、高給であるとの理由で50歳代の活躍している研究者の首切りが多く行われるようになってきました。数学研究所は採算がとれず、2年ほどで破産し消滅してしまいました。ニュージーランドでは純粋数学の分野はなかなかいい線をいっていたらしいのですが、純粋数学では採算がとれないのです。国立の研究所が破産して消滅するというのはどういうことかと思ってしまいます。
 1992年に政府の研究機関が解体されてCRI (Crown Research Institutes) として再編成されました。Crown(王冠)というのは政府を表し、各研究所の名称の最後にはLtd. (株式会社)という名前がついています。国営の企業体になったわけです。会社になった各研究所は毎年収支のバランスシートを提出するのですが、上質の紙を使い、会計士,弁護士,会社経営者などからなり,科学者は一人しかいない重役会の写真が大きく載るような報告書に変わりました。地質調査所では、古生物学、岩石学の分野などは廃止される一方、きれいなガイドブックを沢山印刷して販売するなど、お金儲けに力を入れるようになりました。
 オーストラリア国立大学とネイチャー誌主催の「研究において創造力をどう育てるか」というテーマの講演会が開かれ、ブラック (P. Black) 教授が講演をおこないました。彼女は、日本でいえば学士院会長に相当するような人なのですが、その演題は、なんと「文化大革命下にあるニュージーランド科学研究の現状」というものでした。彼女はその後ニュージーランド政府のブラックリストに載せられてしまったそうです。


[BACK]

◆研究費は応用研究へ

 研究費の配分方法も変更され、政府が指定する研究課題にしかお金が出なくなりました。最初は30数件のテーマが挙げられていましたが、最近の例では17件ほどになっており、その大部分が応用研究です。研究費の採択率は10%ほどです。しかも、申請時に「これこれという研究を行えば、これこれという結果が得られるだろう」というところまで書かなければ通らなくなりました。結果がわかっていないと研究費が出ないわけです。私は、結果がわかっているなら、研究する必要はないと思うのですが。
 また、新しい装置を買うための予算がつかなくなりました。基本的には、儲けたお金で買え、ということです。積み立て金を貯めて購入するしかありませんが、購入できる頃には既に時代に取り残されてしまうでしょう。基礎研究への研究費については、その後、全体の2%程度ですが、出るようになりました。


[BACK]

◆奨学金の廃止と授業料の自由化

 学生についても、以前は返還不要の奨学金を全員がもらえたのですが、それが廃止になり、銀行からお金を借りる形式になりました。まだ学生ですから、政府が保証人になります。しかし返還に際しては10%近い利子を払わなくてはなりません。ニュージーランドでは、18歳になると独立して、夏休みのアルバイトと奨学金で食べていくのがふつうです。年収1万6千ドル以上になると返還を始めなければなりません。現在、学生が借りているお金の総額は34億4千万ドルに達します。国民ひとり当りの年収が3万6千ドル程度ですから、相当な額です。同じようなことをしたイギリスでは、学生が返せなくなって、結局政府が棒引きしたそうです。
 授業料も自由化されました。理学部、文学部は今年8%ずつ位上って約9千 US$ (1 万7-8千NZ$ に相当)、商学部は11%上って7千 US$ です。次第にお金持ちの子供しか大学に入れなくなりつつあります。歯学部では2万ドル以上になり,75%がマレーシアやシンガポールからの外国人学生で占められるようになりました。


[BACK]

◆学生獲得競争

 大学どうしの学生獲得競争も激しくなりました。先に、卒業式には親兄弟も呼ぶといいましたが、オタゴ大学ではマレーシア出身の学生のために、マレーシアで卒業式をやることまでしました。各大学とも授業料を高くしてきていますが、あまり高くすると今度は学生に逃げられてしまうため、ぎりぎりのところに設定しています。
 語学の分野では、ギリシャ語、ラテン語、ロシア語などが、学生も集まらず儲からないからという理由で廃止されました。ギリシャ語やラテン語というのは、彼らにとっては自分たちの文化的なルーツを学ぶ基礎になるものだと思うのですが、そういうものまで廃止するのです。逆に、日本語科と中国語科が人気があり、人数が増えています。理由は儲かるからです。日本語科の場合、1学年250人ぐらいの学生がいるのに対し、講師がたったの2名です。これでは授業が成り立たないので、教育訓練も経験も持っていない大学出たての人をTeaching Fellowとして雇ってしのいでいます。彼らを雇うメリットは、正式職員ではないから安くつくということです。雇う期間も1年ではなく授業のある10ヶ月間でよい。退職金も年金の積み立ても必要ありません。安 い労働力なのです。
 先頃、オタゴ大学でも「外部評価」というのをやりました。外から人を招いて、評価を受けるわけです。物理学教室が分厚い報告書を出したというので、地質でもそれに負けないような分厚い報告書をつくりました。結論としては、スタッフ一人当りの論文数のことなど、調べれば簡単にわかることがあれこれ書いてあるのですが、ただ、教員一人当りの床面積が広すぎると書かれてしまいました。100年以上の歴史があるので、その間に蒐集された岩石試料などがずっと保管されており、それが貴重な財産になっています。それを文学部か何かと同じ基準で面積を比較されてはどうしようもありません。たしか標準より70%位広いということで、使用頻度の少ない部屋を取り上げられたということがありました。
 その他、人気のあるのは、すぐにお金もうけにつながるだろうということで、商学部です。以前は学生数が70名ぐらいだったのが、10年ほどの間に10倍になり,今は700名にもなっています。


[BACK]

◆行財政改革の『輸出』

 ニュージーランドの行財政改革は、お隣のオーストラリアにも飛び火しました。南クイーンズランド大学では、物理学科が廃止されるという事態が生まれました。やはり応用科学でないと儲けに直結しないという理由です。学長の主張によると、工学部で必要な物理はコンピューターで学べる、というのです。私は物理学の専門ではありませんが、物理学というのはやはり基礎になる学問であって、物理学科を廃止するようなやり方はおかしいのではないでしょうか。
 1996年には、オタゴ大学は、歯学部などに多数の留学生を入学させ、授業料などをかせいだということで「優良輸出産業」として表彰されました。
 何といっても大きな問題は、大学にいる人たちのモラール(志気)の低下です。どこかいい条件のところがあれば、逃げ出したいと思うようになっています。
 最近、ビクトリア大学では、教授のストライキが起こりました。教授が団結して、行革路線に忠実な学長が辞任するか自分たちが辞めるか、という選択を迫りました。結局、学長が辞任して収まりました。そういう事態も生まれてきています。


[BACK]

◆労働党政権の反核政策と行革政策

 行財政改革が始まった当時、労働党は明確な反核政策を打ち出していました。核兵器を持ち込ませないという点でも、日本のようにアメリカの言うことを信じます、というのではなく、自ら検査し、それに応じない船は入港を拒否する、という政策をとりました。これは国民から大きな支持を受け、人気があったわけです。その労働党政権が行政改革を強行したのですが、まさかここまでやるとは思わないうちに事態が進んでいきました。その後政権が変わりましたが、経済政策、科学政策にはほとんど変化がなく、『改革』は進行しました。昨年になって、再び政権交代があり、少しずつ政策転換がはかられつつあるようです。


[BACK]

<<質議応答から>>

 質疑応答の際に、独法化が先行している国立研究所の研究者から以下のような問題提起があったので紹介します。


 各国の研究機関に対する行政改革の歴史から得られる一般的教訓

(1)崇高な原則を持って開始された改革であっても,さまざまな法律上の制約により,惨たんたる結果に終わることがある.初めから原則が無い改革は絶対に失敗している.

 多くの場合,サイエンスの現場に市場経済原則を導入するということが行われる.それは以下の考え方に基づいている.一見正しそうなこれらの仮定が究極的に誤っていることは,現場の研究者にとっては自明である.しかし政府はそう思わず,同じ過ちが繰り返されている.

1.研究現場に競争原理を持ち込むとコストが下がる
2.研究者は競争させることにより研究効率が上がる
3.研究者を使い捨てても代りは常に供給できる
4.異分野の研究者を共存させると、新しい研究分野ができる

(2)多くの場合行政改革は,実際に問題となっている運用や規則の改革ではなく,組織改編問題に帰結されてしまう.この過ちは,改革が終わってから気付かれる.

 「科学の進歩は、審議会や委員会や省庁の企てによって起こるのではなく、科学者個人のアイデア、インスピレ−ション、および献身によって起こるものである。組織問題に重きを置きすぎると、この基本的な事実が見えなくなってしまう」(英国王立協会サ−・アタイヤ会長講演,1992)

(3)現場での議論はほとんど改革に活かされない.収れんしていない議論は活かしようがないからである.

 改革の対象となる組織の現場では,通常さまざまな議論がなされ,独自の改革案や原則論を提案する人もでてくる.しかしそれらはあまりにも多様で,上部からの切り崩しの材料になっても,積極的に取り上げられることはない.上層部としては,他の意見を無視して,ある意見だけを取り上げることができないからである.自分達の研究機関を守るという点では一致できるはずなので,議論の方向を現場での声を一つにすることに集中すべきである.一つになった声は無視されない.


 Q.以前は学生が別の国立大学に移動するのは自由だという話でしたが、大学が企業体になり、授業料も別々に設定できるようになった今、移動はできるのですか。
 A.今でも学生が移動するのは自由です。授業料は自由化されましたが、あまり高くしすぎると学生が逃げていきます。

 Q.以前は学生は全員入学できたが卒業するのは難しかったという話でしたが、今は逆にお金持ちの子供しか大学に入れなくなっているという状況にかわっているわけですね。
 A.たしかに、あまり問題を難しくすると学生が逃げていってしまうので、そのあたりを考えた対応をするようにはなっています。年度末の試験だけではなく、1年を学期に分けるセメスター制を導入して単位をとりやすくしたり等々。ただし、大学の期末試験の問題は、過去100年間にわたりすべて公開されており、図書館などで見ることができます。そういう状況で出題するのは相当なプレッシャーがかかるもので、あまり恥ずかしい問題は出せません。学生のレベルでいうと、大学入学時点では、おそらく日本の学生よりもできないかもしれませんが、大学卒業時にはきちんとした形で卒業できるだけの教育は行われていると思います。

 Q.大学の職員についてはどうなっていますか。
 A.以前は教官10人に対して補助職員が10人位はいました。それがいまでは半分ぐらいに減らされています。また、教官の半分ぐらいを外国人が占めています。

 Q.サッチャーの行なったイギリスの改革との違いは何ですか。
 A.イギリスの改革は不徹底でした。New Zealand Experiment(ニュージーランドの実験)という言葉がありますが、ニュージーランドの場合は、市場原理に基づく改革を極限にまで推し進めたらどうなるか、という実例です。

 Q.どうして労働党政権が労働者の団体交渉権を奪うような政策をとることができたのでしょうか。
 A.よくわかりません。しかし労働党右派の実態は保守の国民党より右だったことは確かです。

 Q.国民はこの政策にどうしてがまんすることができたのでしょうか。1986年から現在までの間に選挙はどれぐらいあったのですか。
 A.選挙は3年に一度です。ニュージーランドの政治制度は、ある人に言わせると、言葉は矛盾するようですが、「民主的独裁制」だといいます。議会は一院制で、二大政党のどちらかが政権を担当し、それぞれの党は少数の党幹部が実権を持っており、彼らに従うよりほかない状態があるようです。しかも、ふたつの政党とも、行財政改革に関しては似たような政策をとっていました。

 Q.モンゴルの行財政改革、ニュージーランドの改革、そして日本の改革と見てくると、いずれも非常に似ているのに驚かされます。モンゴルの場合にはIMFが主役を演じましたが、あたかも誰かが裏で仕掛けているのではないかと思うほどです。その点はどう思われますか。
 A.たしかに、どの改革を見ても非常に似ています。同じような政策をとって同じような失敗をおかしています。

 Q.ニュージーランドの改革を支えた推進派とはどのような勢力なのでしょうか。 また、大学では改革に対する抵抗はなかったのでしょうか。
 A.ニュージーランドの場合、産業としては鉱工業はほとんどなく、農業が中心で、ほとんどが個人経営です。(もっとも日本とは規模が違っていて、八ヶ岳連峰全部を1軒の農家が所有しているような感じで、生産性は極めて高いといえますが。)したがって、民間からのサポートというよりは、政府の補助金頼みの状態で改革が進められました。大学でも経費の70%近くは政府の補助金です。
 大学内での抵抗についてですが、ストをやると自分の立場を危うくするという事情もあり、そもそも団体交渉権を取り上げられてしまったという背景もあります。ただし、最近オークランド大学で教授のストライキが起こったという話を紹介しましたが、この場合、半数程度の教授が賛成したぐらいではストライキはできませんから、圧倒的な数の教授が団結したに違いありません。

 Q.そうすると、お金の出方が国から民間に移ったというよりは、国からのお金の出方、配分のされ方が変化したと考えていいわけですね。
 A.その通りです。

 Q.入学者数の増減が大学財政に影響を与えるという話ですが、それは学科単位でも起こるのですか。
 A.学科ごとの入学者の増減が、その学科の財政に直接影響します。ニュージーランドでは入試がないので、学生がどれだけ集まるかは、年度が始まって、最初の日に学生が登録に来る、その登録者数を見て初めてわかることになります。

 Q.ニュージーランドでは基礎科学が重要だという認識が国民の間にどれだけあるのでしょうか。そのことが改革の中身に影響を与えていませんか。たとえばニュージーランド出身のラザフォードが母国でノーベル賞をとれなかった背景にはそういう事情もあるのではないでしょうか。
 A.国民の意識が影響を与えている可能性はあるかもしれません。ただしラザフォードについては、別の意味で、原爆をつくる上での基礎を築いたという点で、国民の間で評判が悪いという事情があります。それは誤解に基づくものですが。

 Q.大学院生レベルの教育、あるいは研究者養成といった面では、どのような状況になっていますか。
 A.ニュージーランドの大学では、そもそも教官の半数は外国人ですし、大学院生も大部分が外国出身者で占められています。ある学科の外国人教官が少ないと、どうしてもっと外国から人をとらないんだ、と言われたりします。

 Q.日本の文部省に当るものは、改革にどの程度関与したのでしょうか。
 A.あまり文部省がどうしたという話は聞きません。


[BACK]



目次に戻る

東職ホームページに戻る