独行法反対首都圏ネットワーク

日本の教育・人類の教育/海野和三郎
(2000.2.25 [he-forum 637] 教育改革通信 No. 16)

http://www.life.osaka-cu.ac.jp/~yamaguch/edu/info.html

「教育改革通信」第16号(2000/01)

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日本の教育・人類の教育        海野和三郎

 近年のわが国の文教政策によって、教育がかえって歪められているような気がしている人が少なくない。教養課程を専門課程に取り入れて強化するという施策が「教養」潰しとなり、人間教育の場が多くの大学、特に私立大学から大幅に失われた。偏差値重視の詰め込み教育を止めて自由な時間を増やし、総合的な教育を目指す「ゆとり」の教育が、大幅な学力低下となり日本の将来に暗い影を残すであろうことは目に見えている。教育の改善が自発的動きの中で行われ、文部省がそれを支援する形であればよいのだが、それが逆になると、改善策は逆効果になるのである。自己教育が教育の中心であるべきことは、個人の場合でも、社会や国の場合でも同じである。しかしながら、教育は一国の運命を左右する重大事業であるから、国が文教政策に力を注ぐことは当然であり不可欠である。かくして,国または社会の教育と個人の教育の場での自己教育とのパラドックスがあり、同様に、日本の教育と人類の教育とのパラドックスがある。視点の違いによるそうしたパラドックスの構造は、人間性においては感性と知性との間にもあり、生命に関しては科学と宗教の間にもある。この構造を深く理解することなしに、対処療法的な処理や、即時的な効率の追求で教育を処理しようとすると大きな過ちを犯すことになる。

 国立大学の独立法人化、国家公務員定員削減の帳尻を形式的に合わせるという政治的な目的のために強行されようとしている。大学が自主性を発揮して社会に貢献し、独創性を発揮するには独立法人となる方がよいというのは表向きの理由で、法人化することにより行政側が大学をコントロールし易くするのが裏にある意図であろう。そこには21世紀の人類の危機に立ち向かおうとする国家としての倫理的使命観ではなく、目先の経済政策を百年千年の人類の問題よりも優先させる効率主義的短絡がある。確かに、世界中のどの大学も本来の使命である未来志向の教育体制を十分に自覚しているとは言いがたい。しかし、それを不純な動機で外から強要しても結果はかえって悪くなる一方である。それよりは、政府はすべからく、かっての越後長岡藩の米百俵の故事にならい、今こそ苦しい国家予算を文教政策に投ずる施策をとるべきである。大学人の多くは、人類未曾有の危機に対して自己の能力の限りを尽くして立ち向かう意欲を持っている。こうした全人類的な教育の動きを国是として結集し、経済的支援を送ることが新時代の日本の教育の原点となるべきである。現在の文部省の教育政策の歪みは、以下に抜粋する福岡大学中野三敏教授の所論(読売新聞昨年9.14「論点」)を見ても明らかである.

 「ほとんどの国立大学の文学部から哲学科・史学科・文学科という名称が消え,代わりに人間・行動・情報・国際などの複合学科名となっている。」「国立大学文学部予算は、まさに疲弊しきっている。そのため、研究教育の根幹であり,何はさておき買い整えるべき書物を、年間刊行点数の十分の一も買えない状況が既に十数年も続いている。本のない文学部にどれだけの意味があろうか。」「この国の、予算策定の方針は土木事業も文教政策も同じで、前年度と比べて妥当な変化があれば変えるが、そうでなければそのままというもので、そのためもろもろの改革案が絞り出され、一見内発性に基づき、外見上からも見え易い名称変更という便法が生み出された。だが、ものには変えたほうがよいものと変えないほうがよいものとがある。文学部の学問領域などは後者の最たるものではないのか。」「人文学は自然科学・社会科学・人文科学を統合する基礎科学なのであり、そしてそれこそが、文学部の学問の真の姿なのだ。」

 「大学生の基礎学力の低下を危惧する声は極めて大きいが、いま大学に最も必要なのは、本当の基礎学を徹底して重視することではなかろうか。それは、学問万般の基礎学としての意味をもつ人文学を、より一層振興させることによって可能となるはずである。」「わが国の高等教育への公財政支出の対国民所得比は、英、独、米の約半分と少なく(注:ただし、政財界に伝わっている公的資料では、わが国の場合のみ公務員給与が加算されていて、諸外国よりむしろ多くなっている)、しかも文系基礎学は民間資金の導入も難しい。独立行政法人化の問題でも、この視点からの議論こそが是非とも必要であろう。」

 新ミレニアムにあたり、日本の文教政策を再編するには、大きな人類危機管理の哲学がまず必要である。縁(仏縁)に始まる宗教と因を追及する科学とを大きく感応道交させる道をつけた玉城康四郎の哲学(「悟りと解脱―宗教と科学の真理について」宝蔵館)に注目したい。また、科学・技術の発展に伴って生じた、これまでにない技術連関の新たな倫理を、企業や国家に要求する今道友信の「生圏倫理」エコエティカ(講談社学術文庫)は、将来世代と感応道交(エムパシー)であって、これなくして新ミレニアムの文教政策は語れない。こうした世紀を超えた地球規模の大きな哲学と自然科学・社会科学・情報科学・生命科学の原理的先端的発展、技術的発展とを結び付ける決意を持って、新たな日本の文教政策を進めていかなければならない



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