独行法反対首都圏ネットワーク

「国立大学」が消える日 迫る独立行政法人化 (7)
見えない高等教育の未来
(2000.2.18 [he-forum 627] Tokyo Shinbun 02/18)

『東京新聞』2000年2月18日付

「国立大学」が消える日 迫る独立行政法人化 (7)

見えない高等教育の未来

「本省に国立学校を置く」―。文部省設置法八条に書かれたこの一文が、国立大を文部省の一組織としてつなぎ留めている。同省に所属することは「護送船団」時代には厳しい規制のもとに置かれることを意味した。国立大を法人化して、同省から切り離す案は、そうした規制からの脱出を目指して浮上した。
中央教育審議会の一九七一(昭和四十六)年の答申(四六答申)では、国立大の自主・自律的な運営のため「公的な性格を持つ新しい形態の法人」などに移行するよう提言している。
八四年に始まった政府の臨時教育審議会でも同様の観点から、国立大学に法人格を与え、特殊法人として位置づけることを検討したが、八七年の答申では「中長期的な課題」とされた。
「同じ法人化でも、大学を自由に発展させるためという人と、浮世の冷たい風に当てろという立場の人がいた。国立大が行政の一部というのは不自然で、法人化がいいと考えたが、同床異夢の議論を詰めた方がいいと思った」。臨教審当時、文部省の高等教育局長だった国立学校財務センター所長、大崎仁(六七)は振り返る。
行政改革会議の国立大独法化論議も、四六答申などが源流だった。「四六答申は一大エポック。ボクは当初からその実現を考えていたんだ」。元行革会議事務局次長の日大教授、八木俊道(六四)が明かす。
しかし、四六答申の法人化と、今回の法人化には大きな違いがある。今回は、単なる法人化ではなく、行政サービスの一環としての「独立『行政』法人化」だからだ。行革会議事務局長だった水野清(七五)は、「大学は文部省という教育立案部門の"現場"だ」と言ってはばからない。
行革会議の終了後、再びわき上がった国立大の独法化は、当初の理念と関係ない「二五%定員削減」の数合わせが発端になった。かつて大崎が恐れた「国立大を冷たい風に当てろ」という、政界などの空気がそれを後押しする。
大学改革を訴えている大阪大副学長、本間正明(五五)は「大学では企画立案と現業が切り離せないのに、独法化から議論が始まったのは不幸だった」と嘆く。
二十一世紀の大学の在り方を検討していた大学審議会が一昨年十月に出した答申では「国公私立大学がそれぞれに期待される機能を発揮し特色のある教育研究を展開していくことが重要」だと指摘した。文部省はそれから一年とたたず独法化路線に転じた。
「答申には、独立行政法人のことは一言も書いてない。まず大学審で議論をすすめるべきではなかったか」と、東京大副学長の青山善充(六〇)は批判する。

民営化や独法化を求める「財界人」や「政治家」たちの間で、大手を振って歩く『通説』の多くは、実際は幻想にすぎない。
例えば―。
〈欧米の大学は私立が中心で、独立採算で運営している(実は、私立が多い米国でも学生数では公立が七割で私立が三割、州立では連邦政府や州の負担が五割以上。ヨーロッパにはほとんど私立がない)〉
〈日本の大学の研究は欧米に大幅に遅れた(実は理工学、化学、工学は論文数で米国に次ぎ世界二位)〉
〈日本の国立大は予算を食うばかりだ(実は対国民総生産比で、日本の高等教育予算は欧米の半分から七割)〉
政府は、本当に教育・研究の未来を見据えて、独立行政法人化させようとしているのか。
「国は高等教育にどれだけの責任を持つのか。今の独法化の議論には、教育政策、学術政策の視点が欠けているのではないか」。国立学校財務センター教授の天野郁夫(六四)は疑問を呈する。
日本学術会議は昨年十一月、政府の科学技術基本計画で定めた国立大学の施設整備が一向に進まない現状の改善を求める勧告を首相の小渕恵三(六二)に出した。小渕と面会した際、会長の吉川弘之(六六)はこう迫った。「公共事業の意義は分かるが、橋や道路をたくさん造るより、緊急に求められるのは大学の整備だ。あなた方の意思決定はおかしいのではないか」押し黙った小渕は最後に一言、ぽつりと答えたという。「うーん・・・・、考えましょう」

(文中敬称略)
=おわり

この連載は加古陽治が担当しました。



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