独行法反対首都圏ネットワーク

「国立大学」が消える日 迫る独立行政法人化 (4)
「知の巨星」集め既定事実化(東京新聞2/15)
(2000.2.16 [he-forum 610] Tokyo Shinbun 02/15)

『東京新聞』2000年2月15日付

「国立大学」が消える日 迫る独立行政法人化 (4)
「知の巨星」集め既定事実化

「これは議論の始まりなのか、それとも言いっぱなしで終わってしまうものなのか」。国立大学の独立行政法人化について、文部省は一九九九(平成十一)年八月から九月にかけて識者懇談会を開いた。五回に及ぶ話し合いの終盤、複数のメンバーから、こんな疑問の声が上がった。「終わりではなく、これから始まる」「文部省対他省庁の戦いに勝てるかどうかが問題だ」。文相(当時)の有馬朗人(六九)や同省の幹部は、そう口をそろえた。
同省が提示した懇談事項は(1)国立大学等の運営上の諸課題(2)今後国立大学等に期待される役割(3)大学評価のあり方(4)その他―の四点。「意見を施策に生かす」のが目的だとされたが、同省はすでに「独立行政法人化は不可避」だとみて、法人化の基本線となる「通則法」を国立大に当てはめるための修正案づくりに着手していた。
冒頭の問いかけは、「条件付き独法化」へと走り始めていた、そんな同省の姿勢をいぶかるものだった。
ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈(七四)をはじめ、国立大学協会長経験者の阿部謹也(六四)、井村裕夫(六九)、田中郁三(七四)、吉川弘之(六六)、元大学審議会会長の石川忠雄(七八)、元宇宙科学研究所所長の小田稔(七六)、哲学者の梅原猛(七四)。高等教育に一家言を持つ重鎮たちは、それでも活発に意見を交換した。
議事録からは「教育機関の改革は慎重に進める必要はあるが、改革が刺激を生む点では評価できる」「独法化の狙いは、大学に自主性を与えるとともに、競争的な環境をつくって教育研究の質の向上を図る点にある」など、独法化に前向きな発言が目立つ。通則法の問題点を挙げる声もあるが、反対の旗色を明らかにした阿部と吉川を除いては、独法化を前提に条件を議論する色が濃かった。
「知の巨星たち」を集めた懇談会は、同省の独法化路線にお墨付きを得るためのものだったのか。
「文部省の考えをきちんと伝えて、それでいいかどうか判断を求めた。(独法化容認の)アリバイづくりにしたことはない」と、事務次官の佐藤禎一(五八)は強く否定する。だが、有馬の説明は少しニュアンスが異なる。「結果的に"終わり"だったことは事実だ。徹底的な反対があれば変わったかもしれないが・・・」

検討が遅れていた国立大学協会では、東北大学長・阿部博之(六三)、名古屋大学長・松尾稔(六三)らが、夏休みを返上して作業を進め、八月中には通則法の問題点を洗い出していた。九月十三日の臨時総会に報告された「中間報告」では、通則法に反対する姿勢を保ちながら、同法の問題点を列挙。修正するには「特例法」を制定するか、大学を対象とした「国立大学法」を設けるべきだと提言した。
大学側には「国家公務員の定員削減」が独法化の発端だったという、ぬぐいがたい不信感がある。しかし、通則法への問題意識に限れば、文部省と大きな違いはないようだった。
九月二十日、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターに集まった九十九国立大の学長たちに、有馬は初めて公式に独法化の「検討の方向(条件案)」を示した。
《「大学自らが教育研究の制度設計をし、実現するという大学の特性を踏まえたものでない」ので、独立行政法人通則法には反対だ。だが大学が「自主性・自律性を高め、自己責任を果たすため」には法人格を持つべきだ。組織の変更や予算の使い道が自由になるし、そうなれば各大学の個性化が進んで、互いにしのぎを削る環境が生まれる。定員削減が二〇〇一年から始まるので、二〇〇〇年のできるだけ早い時期に結論を得たい・・・》
有馬がおおよそこのような説明をした後、高等教育局長の佐々木正峰(五八)が詳しい中身を説明した。質疑応答の時間はなかった。
ある学長は「ポツダム宣言の受諾」と受け取り、ある学長は「天下分け目の東京・夏の陣」と評した。
「あの夏はなんと暑かったことか。行政改革から来た独法化が、議論する間もなく進んでしまった。卒直に言って苦しい」(山田家正・小樽商科大学長)
独法化への「流れ」は「既定路線」となった。学長たちはこの日、はっきりとその現実を知らされた。

(文中敬称略)



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