独行法反対首都圏ネットワーク |
『独立行政法人化に思う』/山田 渉(宮崎大学講師)
2/9宮崎日日新聞
(2000.2.15 [he-forum 606] 宮崎日々新聞の投稿論説)
佐々木です。
独行法反対首都圏ネットHPに投稿がありました。本人の了解を得てhe−forumでも紹介いたします。
<投稿文>
宮崎大学教育文化学部の山田 渉と申します。
昨年、宮崎大学教職員有志が発表した声明、および同声明の新聞紙上への意見広告にかかわって、2月9日付『宮崎日々新聞』紙上に、別項の投稿論説が掲載されました。
地方大学と地方紙ですので、声明メンバーの中に、同紙の文化部の担当者とかねて知り合いの方がおり、その方の仲介で掲載が実現する運びとなり、私が投稿したものです。
正確には、私達の声明に直ちに、「一般企業ではリストラが盛んに行われている。なぜ公務員だけ別なのか。大学は改革が必要で私学は成果を挙げている。」という主婦の方の反論投稿が『宮日』にあり、そこで上記仲介の方から、『宮日』紙上で反対・賛成の座談会はできないかと持ちかけてもらったところ、賛成派はメンバーが揃うとは思えない、声明関係者の投稿を載せるということでどうか、ということになったものです。
目新しい論点を書いたものではありませんが、同様の運動形態は、特に地方大学の場合、どこでも可能なのではないかと考えます。少しでもそうした動きが加速するよう、そちらのネットワークのホームページに紹介していただきたく、メールをお送りすることにしました。
独立行政法人化が阻止できるか否かにかかわらず、この機会に、全国各地で少しでも、大学と学問のあり方や市場原理と住民の幸せをめぐる議論に火を付け、炎を大きくしておくことが、十年後、三十年後の学問の運命や歴史の進展に大きく影響してくるものと信じております。
『宮崎日々新聞』 2000年2月9日 文化欄より
(投稿本文:ただし『』内の見出し、中見出しは、編集部による。)
『独立行政法人化に思う』
宮崎大学教育文化学部講師 山田 渉
『国立大学の危機招く「効率化」で研究リストラ』(中央見出し)
「独立行政法人化」問題は国立大学につきつけられた焦眉の問題であるが、宮崎大学教職員有志が発表した、反対声明にかかわってきた者の一人として、あらためてこの問題について発言し、多くの方の御理解を得たい。
『短期評価に問題』
「独立行政法人」制度については別項に紹介があるが、これを国立大学に導入することについて、大きく三点の問題点ををあげることができると思う。
第一は、「立案」と「実施」を切り離し、三〜五年の短期で評価をするという体制の問題である。
学術研究や高等教育は、対象にあわせた創造的工夫が必要とされ、一律の基準では測りにくく、しかも長期間かかってはじめて効果があらわれる。もともと「独立行政法人」は、これとは逆に、型の決まった作業を繰り返しおこなう機関を念頭に置いて構想されたものであった。ところが、学問や文化にに関する検討を脇において、中央官庁から切り離す公務員の数合わせのために、研究機関や美術館・博物館を皮切りに、国立大学もその対象にあげていくという倒錯した進め方をしたことに、そもそも問題があると言えよう。
第二は、独立行政法人では、経営「効率化」、経費と組織のスリム化が第一目標とされ、大学本来の使命が失われていくという問題である。
独立行政法人は、「中期計画」実施状況の評価よって、予算・人員の配分が決定される。その際「評価」の第一の基準は、制度本来の目標である「効率化」にある。文部省は、現在の学位授与機構を改組し、省内の審査をここで行うことで大学の特性を加味した審査を行いたいというが、その場合も「効率化」は第一原則である。更に、総務庁の審議会の審査がある。結局、独立行政法人である限りは、会計的効率化という大きな枠から逃れられないのである。
『学費大幅値上げ』
国立大学を独立行政法人化したさいに、数年間の内に「効率化」の成果を上げる確実な方法が二つ考えられる。
第一は、研究分野のリストラ。儲からない学問分野や基礎研究は切り捨て、企業の受託研究を大幅に増やし、大学が特許を取るなど、すぐに収入増がみこめる分野だけに研究を絞り込んでいくことである。
宮崎大学をはじめ地方国立大学は、地域の学術文化の拠点としての役割をはたすことを、使命と考えてきた。地域からのさまざまな要望に応えるという視点に立てば、多様な分野を抱えていることは大切な条件だが、経営効率化のためには、不採算部門である。
二番目は、教育面での経営効率。現在、私立大学の学費は平均して国立の二倍になるが、これは私学関係者の努力不足のためではなく、国の「私学助成金」制度があっても、とても足りないからである。独立行政法人化した大学も、学費を大幅に値上げし、いくつかの目玉商品になるプランを立ち上げ、そのかわりに、学生当たりの教官
数や、図書、学生用実験器具など目立たぬ分野を減らせば、経営効率は上げることができる。
現在の学費ですら、家庭の経済事情から休学や中退に追い込まれる学生を、毎年、身近に見ているのである。これ以上の値上げなど選びたくないが、「効率化」という目標に照らせばそれが合理的なのである。
第三は、「効率化」競争のなかで、「独立」という名前とは裏腹に大学改革への工夫の余地がはかえって制限されてしまうことである。
独立行政法人化された各大学は、「効率化」という条件の下で「評価」結果を比較され、遅れたところから「スリム化」、つまり廃止や削減の対象となる。それがいやなら競争せざるをえない。結局、与えられる「自由」とは、「効率化」を早めるための方策を競う自由であって、それ以外のもっと重要なものは、置き去りにせざるを得なくなるのである。
『地方大学の使命』
こうした、本来、大学になじむとは思えない制度の導入が、安易に提案される背景には、「市場原理」万能主義とでも呼ぶべきイデオロギーがあるように思われる。自由競争と「民営化」を持ち込めばどんな分野でもうまくいくという「幻想」である。
こうした論者の一部には、「地方国立大学の使命は終わった。自由競争にして授業料三〇〇万円でも世界最高大学を作れ。」などという無責任な議論すらある。大学卒業時にすでに奨学金ローン地獄とは、学生も可哀想だが、かりにそうした大学が実現したとして、その大学は「地方」の問題に応えようとするだろうか。
地域には、「中央」にいては気づきにくい様々な問題がある。世界の学問レヴェルと結びつけてそれを考える、或いは考えることのできる人間を育てる体制こそが、必要なのであり、地方大学の果たさねばならない使命もここにある。
そのためには、国の財政支出を、せめて他の先進国並に強化し、目先の「効率化」競争ではなく、安定した条件で大学が教育と研究にとりくめる条件を作っていかねばならないのである。
(制度解説)
独立行政法人
国の行政機構のスリム化のために「独立行政法人通則法」より新設される組織。企画立案機能は省庁に残し、実施部門のみ分離。主務大臣が与える3〜5年ごとの「中期目標」にもとづいて「中期計画」をたて、その間「企業会計原則」により運営の効率化をはかる。期末に達成状況を本省と総務庁で審査し、存続の有無や次期の予算・人員配分を決定。