独行法反対首都圏ネットワーク

国立大学独立行政法人化問題勉強会参加記
/酒井 芳司
(2000.1.31 [he-forum 572] 歴史学研究月報)

『歴史学研究』733号(2000年2月)月報

国立大学独立行政法人化問題勉強会参加記
酒井 芳司

 日本科学者会議の有志による、国立大学の独立行政法人化問題に関する勉強会が、一九九九年一二月三日(金)に明治大学研究棟において行われた。
 最初に司会の方から勉強会の趣旨について説明があった。現在、国立大学の独立行政法人化が問題となっているが、この問題が私立大学に対してどのような影響を及ぼすかについては不明な点が多い。そこでとくに私立大学の立場からみた場合、国立大学の独立行政法人化にはいかなる問題があるかについて議論するために勉強会を設定したとのことであった。
 国立大学の独立行政法人化が大学の自治や学問の自由を大きく損なう可能性が高いことは、すでに指摘されているが、私の立場は私立大学の学生であり、これまで自分自身の問題として考えることが少なかった。しかし今回の勉強会に参加して、独立行政法人化問題は国立大学だけではなく、公立・私立大学も含めた大学全体、さらには日本の高等教育全体の問題として取り組まなくてはならないことを理解できた。以下、当日の報告を紹介し、感想を述べたい。
 まず岩佐茂氏から「国立大学の独立行政法人化問題」と題して、一九九九年九月二〇日に国立大学長・大学共同利用機関長等会議で、文部省が「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」(以下「検討の方向」と記す)を表明するまでの経緯が説明され、あわせて「検討の方向」の問題点が指摘され、今後の運動の視点も提起された。
 国立大学の独立行政法人化は、一九九七年秋〜冬の時期に行政改革会議で審議され、具体的に東京大学・京都大学の独立行政法人化案も提出されていた。独立行政法人化は中央省庁の再編を含む政府の行政改革の一環として提起されてきたものである。それは新しい産業を興して二一世紀の競争を勝ち抜くための産官学の協力を求め、企業の役に立つ研究を生み出すために大学を叱咤激励しようとする経済界の要請でもあった。
 これに対して国大協、各国立大学、文部省は反対を表明し、同年一二月三日の行政改革会議の「最終報告」では、国立大学の独立行政法人化をいったん今後の検討に委ねていた。
 しかし今年〔一九九九年−筆者註〕一月二二日、自民党と自由党の合意により、中央省庁再編における公務員の総定数削減の比率が、一九九七年の「最終報告」の段階の一〇%から二五%に引き上げられ、以後、国立大学の独立行政法人化の議論が再浮上し、六月には早急な独立行政法人化の結論を求める藤田宙靖氏の論文や経済戦略会議の意見が発表され、急速に転回していく。六月一〇日には独立行政法人通則法(以下、通則法と記す)が衆議院で可決、七月八日に通則法が成立する。当初は独立行政法人化に反対していた文部省も独立行政法人化に向けて検討を開始し、九月二〇日に「検討の方向」を公表するに至る。
 文部省は国立大学と教育研究に携わる教員の自主性・自律性、および長期的展望に立つ研究を保証するため、特例措置を個別法令で定めたいと考えており、「検討の方向」もこれに則っている。しかし岩佐氏は「検討の方向」も「通則法」の枠内にとどまるものであり、基本的な問題として、企画立案と実施の切り離しにより国立大学が決められたことを効率的に実施するだけの存在となること、経営と教学の一体化により能率の良い管理体制が作られることを挙げる。さらに大学の管理運営における意思決定権限の集中化と経営的観点の重視、文部科学大臣が定める「中期目標」が五年であり、基礎科学研究を評価するには短かすぎること、文部科学省による指導の強化、評価委員会に財界関係者が入る可能性などが指摘された。
 そして九月二〇日以後の動きと大学人による反対運動の広がりについて触れた後で、岩佐氏は今後の運動の視点として、(1)二一世紀の日本の高等教育全体を考える、(2)地域社会での国立大学の役割の主張、(3)国大協・学長への働きかけ、各学部・各学部長会議レベルでの反対表明、(4) 教育研究の市場原理による把握とその背景にある日本の科学技術政策と産官学の連携に対する批判、(5)国大協分断に対する警戒と批判を提示されたが、とくに(1)・(2)・(4)は学問と大学の存在意義に関わる本質的な指摘で、たんに国立大学だけにとどまる問題ではないだろう。
 つづく蔵原清人氏の「独立行政法人化は日本の大学をどう変えるか−私立大学の立場から−」は、国立大学の独立行政法人化は国・公・私すべての大学への攻撃であり、全大学人が力を合わせて国民に訴えるべきであるとする。蔵原氏は、出発点の問題として、独立行政法人化は大学の論理ではなく、行政改革の論理からでたもので、文部省と日本政府の政策が学術、文化、国民の教養の視点を欠いていること、独立行政法人化によって管理体制が強化されることを挙げている。
 蔵原氏の指摘でとくに興味深いのは、文部省が独立行政法人化によって国立大学の自由度が増すとしたことに関連して、文部省が法人と学校は一体的なものと説明したとする報道を取り上げ(「検討の方向」には「経営と教学を一体のものとする」とある)、それが戦後の、設置者と設置される学校を区別する原則に反するとした点である。すなわち戦後、私立学校では法人(理事会)と教学(学長)が分離することにより、経営的観点と教育・学問の自由が正面からぶつかって最善の解決を見いだすことができていたのに対して、国立大学の独立行政法人化では両者が一体化することで、経営的観点が優先する経営に陥る恐れが強くなるのである。また、独立行政法人化により国立大学職員が公務員でなくなることで、国立大学が文部官僚の天下り先になることも指摘する。
 さらにユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(一九九七年)、「二一世紀へ向けての高等教育世界宣言」(一九九八年)にもとづき、三〜五年の中期計画策定が超短期であること、企業会計の導入による経済的効率性重視と国庫支出の大幅削減、各学部間の学費の差別化が教育の無償制の国際原則に反すること、短期的に成果が現れる教育と研究のみの追求、教育職員の地位の不安定化を問題とする。
 さらに私立大学への影響に論及して、国立大学の独立行政法人化は、大学というものの考え方に変化をもたらすことによって、私立大学においても学校法人理事会の監督・統制が強化されることが予想され、コスト削減を中心とした自助努力要求が大学の基礎体力を削減し、営利企業が私立大学経営に参入し、目前の経済的要求に応える教育や研究のみが評価され、時間のかかる研究や基礎的研究がますます困難になるとする。
 その上で蔵原氏は具体的な方策を提起され、国立大学が法人格を持つこと自体は否定する必要はなく、設置者(経営)と設置される学校(教学)を分離する戦後の学校法人制度の優れた特性を指摘し、学校法人=私立学校と規定することをやめ、国・公・私立とも学校はすべて学校法人が設置するものとすることを提案する。確かにこの方法はすべての教育機関を国家から独立させ、かつ経営と教育・研究を分離することも可能にする。
 報告後の討論において、身近なところでは、さらなる学費値上げが学生の負担増大や教育の差別化につながり、また独立行政法人化によって地域の国立大学が潰れてしまうことが地域の進学率低下や地域の行政の諮問に答えうる研究機関の消滅など、地域社会にとっての損失をもたらすという意見が印象に残った。
 また、二一世紀を前に人類が直面する課題を解決するためには多様な学問分野を総合した高度な研究が必要であるにもかかわらず、目先の経済的利益につながる研究のみを重視することが大きな間違いであることも指摘された。それはユネスコの「二一世紀へ向けての高等教育世界宣言」でも述べられており、「宣言」では、学問を通じて人類の諸課題に応えうる高度な能力を持つ民主的な市民を教育することも大学の役割としている。
 今回の勉強会で国立大学の独立行政法人化問題の根底で問われているものは、社会における学問の存在意義そのものであると感じた。筆者の専門は日本古代史という歴史学の一分野であり、今回の独立行政法人化のような経済効率優先の政策のもとでは切り捨てられかねない学問分野である。しかし近代以降の経済効率を至上のものとする人類の活動が人間阻害や地球規模の環境破壊をもたらしたことを考えると、経済優先の政策には大きな不安を感じる。経済優先の思考を越え、二一世紀の人類社会のより良い発展のために大学に学ぶ者として私自身は何ができるのか、今回の勉強会は、そのことを改めて考え直す機会を与えてくれるものであった。



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