独行法反対首都圏ネットワーク |
日本経済新聞12/26付記事への批判
(2000.1.5 [he-forum 522] Re: 日本経済新聞12/26付)
とても刺激的で独創的な論説ですが危険性を多く孕んだものです。極論といえども法案となり一気に国会を通過してしまう昨今ですし、教育改革国民会議が間も無く動き出しますので、学問の世界にいる者の方から思い違いなどを指摘すると共に、色々な角度から徹底的に批判やコメントしていくべきだと思います。
学生の大学運営への参加や、文部省の大学政策の問題点に全く言及していないことも気になりますが、一箇所だけ、批判します。
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> ちなみに、学問の自由とはいっても「自己のリスクです
>る限り与えられるもの」と考える必要がある。したがって学
>校の施設や費用を使ってする学事は大学の自由であり、
>教員や教員自治の自由に相当しない。
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学究的営為の核心的問題は「何が問題か」「何が研究に価する主題か」というものだと私は思っている。その問題を考えることができることが「学問の自由」そのものなのだと言いたい。この核心的問題を削除すれば、学問は「与えられた具体的問題の解決」という作業に退化する。無論その作業は通常容易なものではなく、情熱と才能を要するやりがいのある重要な作業だが、それが学問のすべてというのは正しいとは思えない。自由のない学問は学問ではない。
「学問の自由」と大学とは無関係だ、という主張は論理的には間違っていないが、それは、大学と学問とは無関係ということと実質的に同じことになる。生活と賭してしか学問ができない社会は寒々とした貧しい社会ではなかろうか。
もちろん今の大学で、与えられている学問の自由の場がどこまで活かされているのかと問われれば、答えはそれほど歯切れのよいものではないかも知れない。しかし、国民から委ねられた権力を国民の為にどこまで活かしているのかと問われた為政者に比べられれば胸を張って答えることはできるであろう(たいして自慢にはならないかもしれないが)。
なお「学問の自由」「大学の自由」「教員の自由」という<言葉遊び>が行われていることにも注意する必要がある。学問の自由を服装の自由と同列に考える風潮を助長しかねない。
辻下 徹