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大学改革阻む「教員自治」
新たな議決機関 法制化を
(2000.1.4 [he-forum 520] 日本経済新聞12/26付)
『日本経済新聞』1999年12月26日付
大学改革阻む「教員自治」
新たな議決機関 法制化を
学事・経営・設置者で構成
教授会には拒否権与えず
日本能率協会コンサルティングのコンサルタント、太田実氏は、大学自治の実態は教員自治であるとして、学事・マネジメント・設置者の三者で構成する新たな「大学自治機関」の法制化を提言している。
昨年の大学審議会の答申以来、学事に偏っていた大学改革論議は、大学のマネジメント問題にまで及ぶようになった。しかしそこでは常に、大学の自主・自律、すなわち大学自治の確立・擁護が大義名分とされている。果たしてそれでよいのだろうか。
私益を守る組合に
マネジメント・コンサルタントとして、このところ大学改革・改善の手伝いをすることが多いが、その経験からすれば、大学自治の実態は教員自治であり、真の意味での大学自治は存在しないことを痛感する。驚くことに教育法規も行政も大学教職員も、そのすべてが教員自治を大学自治そのものと思い込んでいるかに見える。これではいかなる改革案も形だけとなり、大学改革は実現しないと懸念する。
そもそもマネジメントの常識では、大学のマネジメント権限は財産や運用資金を提供する学校設置者(国公立大学では行政、私立大学では学校法人)が当然に所有する。しかし教育法規は、それを建前としては認めているものの、同権限を設置者に集中することを禁じている。その結果、学校経費やその財産管理など、学事運営の必要条件整備を設置者の主たる権限とし、大学自治機関の側に事実上のマネジメント権限を委譲させている。
その大学自治機関には、国公立大学では学長、評議会、教授会(大学管理機関と呼称)の三つが法定され、私大ではその規定が無いものの教授会が事実上それに該当する。このうち教授会に対して、法規は重要事項の審議権を与えているが、その審議権には「大学の経営管理(マネジメント)と学事は密接な関係があるため、経営管理についても教授会の意向を反映させよ」との判例が示すように、事実上マネジメントの「決定」権まで含まれているから、法規は教授会を大学自治の議決(意思決定)機関にしていることになる。したがって教授会が否認すると学長、理事長、大学事務局は、何事によらず動けないという支配的事実が生まれている。
しかし教員も人間であるから、自分がかわいいことに変わりはない。教授会もこうした人間としての教員の単なる集合体であり、責任者がだれもいない自治機関であるから、その意思決定が教員私益を守るという組合的動機を持っている。
だからこそ、教育機関としての大学が時代に適合する上で重々必要とわかっていても、教授会は学部、学科、講座の統廃合や世間水準を大きく超える教員定年短縮には名分をつけて反対する。研究費の重点配分が実らない。大学に入った学納金は大学の教員が稼いだものとの意識から、その一部を同一法人内の別の学校運用へ流用することに抵抗し、訴訟を起こしてまでつぶすということが起こる。
教授会以外の自治機関とする学長、評議会(現学長、学部長、学部ごと2人の教授、付置研究所長)にしても、「教員によって選ばれる」立場であるため、しょせん教員の利害から自由にはなれない。したがって教育法規が用意した大学自治機関はすべて教員自治機関であり、大学自治機関は何一つ仕組まれていないといえるのである。
当事者が存在せず
このように大学自治機関が存在しないということは、大学が自主・自律で動こうにも、その当事者がいないということであり、改革しようにも大学は動けない、動かないということである。そもそも大学が学事を公共的立場で営めるためには、公権力や設置者の私益による干渉排除を保障する必要があり、そのための大学自治であるからには、大学自治は当然に教員私益からも自由が保障されて当然であろう。
とすれば、大学自治の意思決定は学事に対する純粋な見識と(学校運営の継続を工夫する知恵である)マネジメントに関する良識及び設立者の設立趣旨・その責任などに配慮し、その三面に関してバランスのとれた形で行われる必要がある。
したがって大学自治の議決機関の構成員は、国公私立のいかんを問わず、学事・マネジメント・設置者の各代表をそれぞれ均等な員数で組み合わせたらよい。例えば、学事側は学校内外の学識者とし、「議決機関が自ら選任する」学長と学識経験者、マネジメント側としては同機関が選ぶ大学事務責任者と外部経営経験者、設置側としては国公立では行政の選任者、私立では創立者かその代理人とする、などが考えられる。この場合、教授会は大学自治のスタッフ機関とし、拒否権の無い審議機関とする。
なお上記のような自治機関の導入は教員自治の利害と対立することも起こる以上、教員自治下で実るはずがなく、法制化することが不可欠となる。
学問の自由を侵す
このような大学自治機関にとっての学問の自由とは、「意図する学事を自主的に取捨選択し、その運営を自主的に継続できる」こと以外にない。
とすると、学科・講座・研究テーマ・カリキュラム・教育方法などの決定権や、教員の採用・昇格・任免・懲戒処分・教員定年などの教員人事権は大学機関としての特色・学事の質やそのレベルなどを決定づけたり、大学存続を左右する収支構造を確定するものであるからには、大学自治の自由でなければならない。教員自治にその決定権を与えている教育法規は、学問の自由を侵すものといってよい。
ちなみに、学問の自由とはいっても「自己のリスクでする限り与えられるもの」と考える必要がある。したがって学校の施設や費用を使ってする学事は大学の自由であり、教員や教員自治の自由に相当しない。
しかし彼らの自己負担でする学事については、当然に公権力や大学自治から干渉されてはならないから、これについては教授会の賛同が得られることを条件にその干渉を排除できるものとし、必要な訴訟費用は大学機関に負担させることを法制化する必要がある。
大学間の競争激化へ
重み増す学長の指導力
「学長になって本当に自分の判断だけでできたことは老朽化した女子トイレの改修工事くらい。後は全部、学内でお伺いしないとなにもできない。学長の権限なんてそんなもんだよ」。ある国立大学学長からこんな自虐的な言葉を聞いた。
「我が大学の学長選は4学部間の覇権争い。各学部が一人ずつ推してくる候補は、その学部の有力教授でかつ利益代表。最後は他学部の支援を最も集めた教授が勝つ」。こんな話をしてくれた国立大学教授もいた。
大学審議会答申が「学長のりーダーシップ」を強調するのは、裏を返せば今の大学、特に伝統的な大学では、それがややもすると欠けているからであろう。時として、このことが大学の改革を阻む大きな要因にもなっている。
一方で、新設の公立・私立大学の中には、学長を中心にした強力な指導力で、ユニークな大学作りに取り組むケースも増えている。
大学の伝統的な価値観からみると、太田氏の指摘に違和感を覚える大学人は多いかもしれない。しかし、18歳人口の減少や国際競争の激化など大学の生き残り競争が激しくなる中、大学運営はこれまでにない難しい舵(かじ)取りが求められている。今後、大学トップのリーダーシップの確立がますます重要になってくるのは間違いないだろうし、社会が大学を見る目も厳しくなるだろう。(横)