独行法反対首都圏ネットワーク |
国立大学の独立行政法人化と大学教育の未来/大阪大学理学部 湯淺精二
(1999.12.17 [he-forum 489] 大阪民主新報記事)
神代@阪大教職組です。
阪大教職組の署名集約は、16日(夜)現在の署名集約数は、5634人になりました。
また、阪大の名誉教授に依頼した反対署名が返送されてきています。
大阪地区では、明日(12/18)午後一時から三時まで、JR大阪駅東口で街頭宣伝署名行動を阪大、大阪教育大、大阪外大の三大学で統一行動を行います。(大外大は別行動)
下記に大阪民主新報 12月5日付けの記事を転載します。
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大阪民主新報 12月5日
(見出し)
国立大学の独立行政法人化と大学教育の未来
大阪大学理学部 湯淺精二
独立行政法人とは、中央省庁再編の一環として一部の行政機関を国から切り離して法人とし、独自運営を課すものです。直轄大臣(主務大臣)が、法人の長と法人ごとに三年から五年の目標と計画を認可し、国の評価委員会が評価した目標達成度をもとに交付金の出資と運営指導をおこない、法人の改廃や人員削減などを含む生殺与奪の権限を持ちます。二千一年から研究所を含めて八十九の機関の法人化がすでに決まっています。
(中見出し)
なぜ国立大学を
いま、全国の九十九国立大学が独立行政法人化の標的になっています。国立大学を個々の独立行政法人とし、国立大学としての使命を終わらせようとしています。国立大学までが、なぜ対象にされるのでしょうか。
政府は、新省庁体制が始まる二千一年に総定員法を改正し、国家公務員を初めの十年間で十%削減するすることを決めました。国立大学は一応別枠とされてきましたが、今年一月の自自合意によって、削減幅が十%から二十五%となり、上乗せの十五%を国立大学(全教職員数:十二万五千人)の独立行政法人化によってまかなうことが提案されました。
国立大学に法人格を与えることで、現在の国立大学は国の機関ではなくなります。いずれ民営化も日程に上ることとなり、国民に対する責任ある教育は期待できなくなります。
国立大学の法人化によって、大幅な設置形態の変更が求められることになります。企画立案機能部門と実施機能部門が分離され、前者は主務省に残し後者が大学行政法人に委ねられます。これでは、教育と研究を推進する大学組織として全く機能をしません。国立大学が現在のように両機能を持ち続けることが、大学が個別性と多様性に富む教育と研究を自主的、自立的に遂行するために必要不可欠です。
また、大学行政法人は、五年の目標と計画の許認可のもとに運営されますので、その期間に成果を上げることが要請されます。これが大学教育のあるべき姿なのでしょうか。
(中見出し)
管理と合理化
さらに、法人への教職員の雇用については、かつての「国鉄精算事業団」の再現になる可能性があります。
文部省は、以前から、大学の管理運営の強化、大学経営の市場原理の導入、社会的ニ−ズに対応する大学の種別化、大学院設置による大学の高度化、研究予算の重点的配分、事務組織の簡素化、定削とパ−ト化および任期制導入などの合理化による「大学の自主改革」を主張し、各大学に対しては、「民営化が怖ければ我が儘を言うな」と、管理強化と合理化と大学再編を急がせてきました。
そして、国立大学の独立行政法人化の布石とも考えられる文書「二十一世紀の大学像と今後の改革方策について−競争的環境の中での個性が輝く大学−」(大学審答申:昨年十月)を作成しました。つまり、文部省は初めから国立大学の独立法人化を目論んでおり、「大学の自主改革」の音頭取りは、大学に独立行政法人化の「予行演習」をさせる巧みな罠だったのです。
そして、九月二十日、文部省は、全国立大学の学長と事務(局)長を集め、全国立大学の独立行政法人化の方向を示しました。つまり、国立大学を日本から無くす方向を示したわけです。
そもそも大学はどうして必要なのでしょうか。大学は国家と対決して国政を矩すために必要です。大学は、科学が真に人間の生命尊厳の保持と発展に寄与する「知の体系」を確立し、科学が人間に及ぼす否定的な面を巧みに制御し、人間の無限の生存権を保証する積極的な面を醸成するように、政治や経済のあり方を提示するために存在しています。
(中見出し)
社会発展の力
大学は、時の権力に左右されることなく、全ての青年に絶対的人間観を構築させるために存在しています。目先の社会現象のみに翻弄され、役に立たない、人気がない、金にならない、などの理由で教育と研究の権利を奪うのではなく、先を見る力、現代を生きる力、社会を発展させる力、歴史を読む力、予測する力、などを養成してこそ国民の負託に応えることのできる学問の府としての大学といえます。
大学に代表される高等教育は、「民主的で文化的な国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献する」(教育基本法)ことを目的とし、日本の社会の健全な発展の根幹をなすものです。持続可能な社会を建設するために必要な国民の知的・倫理的基礎を構築する最終段階を担うものです。従って、長期の展望のもとに、企画立案と実施の両機能が総合的に発揮できる現在の国立大学が必要なのです。
国立大学は国民のための大学ですから、国民の総意に基づいて税金を拠出し、国民のために運営されるもです。だから、日本社会の健全な発展のために、長期的視野からバランスのとれた教育と研究、計画的な人材養成を行うことが要請されます。国立大学が全国に配置されているところから、居住地域に関わらず教育の機会均等を国民に保証しています。比較的低廉な学費で先端的高等教育が提供されています。いずれの大学からも大規模大学大学院に進学できるのもそのためです。
(中見出し)
国家百年の計
大学が、時代の流れと称して、農学、教育、原子力工学、地学(鉱山、天文)などを廃して、流行のものに変質させられてきましたが、全ての分野を公平に発展させ、そこで健全な後継者を育成することが必要であったはずです。将来の発展に資する最高の教育を保証するのが国立大学の存在意義です。
かって国鉄が民営化し「幹線」の整備はすすみましたが、鉄道が無くなった地域は過疎化がすすみました。国立大学がなくなれば、地域のみならず国全体の文化の過疎化、すなわち国の死がきます。
山の環境が海の生態系を支配していることがわかってきました。そこで、漁業者は、五十年、百年後に海に魚を呼び戻そうと、いま盛んに山に木を植える活動をしています。「海の魚を育てるために山に木を植える」活動のように、国家百年の計を実現するためにこそ国立大学を充実発展させなければなりません。
景気が悪く私立大学が経営難であるといわれ、国立大学のみが「潤沢」では困るといわれますが、そのときだからこそ景気に左右されないで、国民にとって必要な教育を可能にするのも国立大学です。
国立大学を含む高等教育を行革の対象にすることは、今でさえ立ち後れている日本の高等教育の状況をさらに悪化させ、教育に力を入れている先進資本主義国に大きく水をあけられることは必至です。教育こそが世界で通用する切り札であり、全ての国民にそれを提供することが国の最大の任務であること、そしてその最終段階を担っているのが国立大学であることを、改めて確認したいと思います。
(中見出し)
運動へ協力を
いま、全国で国立大学の独立行政法人化反対の大きなうねりができています。全国大学高専教職員組合は、「国立大学の独立行政法人化反対・百万人署名」を取り組んでいます。是非、皆さんのご協力で国立大学を守り、二十一世紀に素晴らしい教育環境をつくりましょう。