独行法反対首都圏ネットワーク

「教育問題あれこれ」
原 卓也<前東京外国語大学長(ロシア文学)>
(1999.12.2 [he-forum 429] 前東京外国語大学長の発言)

原 卓也前東京外国語大学長(ロシア文学)の文章をお送りします。
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東京外語ロシア会会報、復刊第2号 (1999年10月25日)

「教育問題あれこれ」   会長 原 卓也

 秋に入って教育関係のニュースが新聞でいくつか注意をひきつけた。
 「問題教師」教室からなくせ というかなり大きな見出しが、元教師のわたしをぎょっとさせたのは九月早々の「読売」だった。文部省が全国の都道府県教育委員会に、授業が成りたたぬ程「指導力不足」の教員を教壇にそのまま立ちつづけさせぬようする対応策を考えてもらうことを要請したという。たしかに、これは困ったものだと頭をかかえざるを得ないような教師にでくわすことはめずらしくないから、この要請はもっともである。むしろやっと今頃、といった感すらある。
 ただし、この「問題教師」なるレッテルを、だれが、どのように貼るか、それがむずかしい「問題」でもある。へたをすると、とんだ方向に流れてゆきかねないからだ。
 高校入試がここにきて大がかりな見直しを迫られているらしい。中教審(中央教育審議会。文部省の諮問機関)は文部省に対して高校入試に最低線を設けず、全入を認めるよう提言する方針を固めたという。現在の入試では多くの高校は、一定のレベルを保つため、定員割れしても足切りをしている。これをやめて定員いっぱい入学させるべきだという提言である。
 また東京都教育庁が九月七日に行なった発表によると、「チャレンジ・スクール」とよばれる全国初の新しいタイプの定時制高校を、来年度からスタートさせることに決めたらしい。この高校では、入学のための学科試験も行なわなければ、内申書の提示も求めず、志願者の熱意を最も重要とみなして、面接などを中心に選抜を行なうのだそうだ。
 こうしたニュースからみと、これまで高校の入試は、希望する高校での教育を受けるのに十分な能力と資質を判定する「適格人物主義」であったのが、しだいに各高校の特色に配慮しながら一任する方向に変ってきたと言えそうだ。高校進学率が九十七パーセントにのぼり、「高校は事実上すべての国民が学べる教育機関」という位置づけになったとされる現在、方向そのものは歓迎すべきものかもしれない。しかし、それであればなおさら、母子家庭や困窮家庭の子女が中学だけで心ならずも学業を打ち切らざるを得ぬような事態は絶対生じさせてはならない。現在でもなお、そのための十分な保護を受けているとは言いかねるだろう。
 大学入試に関しては、まったく反対のことが検討されようとしている。つまり、大学生のいちじるしい学力低下に対応するため、入試の受験科目を増やすことが真剣に考えられはじめているという。しかし、入試の強化が学力向上に直結するかのような発想こそ、時代遅れもいいところだろう。むしろ、受験バカを増やすだけにすぎないのではないか。中央大学商学部では、教科書や参考書以外の本をほとんど読まずに入学してくる学生がいるため、推薦入試などの合格者を対象として、入学前の学力向上を目的に通信教育を行ない、最終的には「新書を読めるレベル」にまで指導するという。これまたご苦労な話だ。
 ところで、教育関係の最近のニュースのうち、わたしのいちばん気になったのは、来二千年度文教予算の要求、総額約六兆円のうち、大学改革という項目に二億六千五百万円が計上されていたことだった。すでにだいぶ以前から、国立大学を独立法人化しようという検討がはじめられている。外語大でも議論されていることと思う。独立法人となった各大学には中期目標が定められ、三年から五年の間にそれを実
施して「評価委員会」に判定をゆだねることになるだろう。今回の概算要求にあげられている「大学改革」の項目では、まさしくその二億六千五百万という巨額の金が、国立大学の教育研究活動を評価する「大学評価・学位授与機構」(仮称)の新設に当てられることになっている。これはきわめて危険な発想ではないか。この新しい「機構」によって大学の活動が評価され、その判定にしたがって予算の配分まで動かされることにでもなったら、独立法人化した各大学は予算獲得のためにあらゆる方策を考えざるを得なくなるからだ。そうなったら、教育や研究の自由さえ制約されることになりかねない。崩壊した旧ソ連の大学やアカデミーの実状がどうであったか、思い起してみればよいだろう。(昭28卒・前東京外国語大学長)



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