独行法反対首都圏ネットワーク

11.17シンポジウム基調報告
「独立行政法人と大学の未来」
(1999.11.17)

独立行政法人と大学の未来

1999年11月17日

現情勢の特徴

一、文部省路線の破綻

 9月20日の国立大学長・大学共同利用機関長等会議において、有馬前文相は従来の方針を転換する「あいさつ」を行った。そこでは、独立行政法人化を(1)教育研究システムの柔構造化、(2)責任ある意志決定と実行システムの確立、(3)多元的評価システムの構築、という大学改革のあり方から検討することを提起し、独立行政法人化の「意義」を、これが法人格の取得であること、自主性・自律性が拡大すること、個性化が進展すること、などと述べた。

 「検討の方向」を加えた、この9.20文部省提案の発表以来、全国の反対運動によって、こうした提案がことごとく幻想であることが明らかとなった。教職員組合の活動、学長や学部長会議、大小の部局、学会、科学者会議の声明、個人や有志による多様な活動、そして出版活動等を通じて、9.20以来、文部省によって主張されてきたあらゆる幻想が打破されたと言ってよい。これは、各地区の学長会議における文部省発言などを見ても明らかである。現在では、文部省自身が自らの提案の破綻を自認するようになっている。

 第一に、独立行政法人化によって定員削減計画から外れ、国家公務員身分が維持されるという宣伝に対し、非公務員型への転換を提起した国会付帯決議や、中央省庁等改革推進本部第15回顧問会議(1999年9月21日)における「純減」論によって、移行期にも定削があり、移行後にも「純減」があることが明白となった。「第10次定員削減については、独法化の場合でも実際に独法化されるまでは削減の対象となり対象年次分の削減を受ける」(東北地区、九州地区など) というのが文部省の立場である。また、国立大学が公務員型になるかどうかは、今後「説明し、理解を得たい」(近畿地区)という程度の性格のものである。

 第二に、独立行政法人化を欧米諸国と同様の「独立した法人格の取得」と強弁する有馬前文相のあいさつは、諸外国との比較を踏まえたものでは決してないこと、大学が行政機関から自立したいという希望を利用して、法人化一般を独立行政法人化と等置しようとする詐術であることが明白となった。

 第三に、独立行政法人化による財政的自主権の拡大という宣伝に対しては、通則法自体が法人の財政的自主権の拡大ではなく、「実施機関」の財務の効率性を高めることを目的としていることが明らかにされ(田端論文)、また、信用力の格差(日経新聞)により、かえって財政的破綻をきたす可能性が強いことが明白となった。これは、競争的授業料の導入を認める河村文部総括政務次官の発言(11月9日)によっても裏付けられている。文部省自体すでに、授業料は「自己収入として自己決定が基本である」(近畿地区)と明言している。また、現在文部省が大学関係で抱えている1兆円ほどの負債は独法化後も各法人で引き継ぐ(東北地区) とされ、独自の財務運営の余地が制限されることが示されている。さらに、運営交付金の交付基準、交付額については現在定まってない(東北地区) とし、財政的裏付けについては何の保障も示されていない。しかも財政面については地区ごとの文部省の説明に差違があり、何の展望も持っていないことが明らかとなった。

 第四に、文部省の「特例措置」は特例法の制定や「国立大学法人法」の制定に帰結するものではないことが明らかとなった。各地区の国立大学長会議で文部省は通則法のスキームで処理することを明言し、「通則法の枠内で勝負する」(東海・北陸地区)としている。その論拠は、「多大な労力と時間を要すること」と「私学の学校法人とどう違うのか」という問題をひきおこすことに尽きており、特例法や「国立大学法人法」の制定要求の理念に対する配慮はない。しかも文部省は、例えば「特例措置を設ける場合は法令事項もあれば、運用で処理する事項もある。特例措置をどう設けるかは、今後の検討課題だ。」 (10月1 日の佐々木正峰高等教育局長の発言)とし、実際には大学自治の根源にかかわる問題を単なる運用によって処理する可能性を示唆している。これは「先行」独立行政法人の個別法の内容が明らかになるにつれて、「通則法の枠内」では、文部省の「特例措置」さえ実現できないことが判明したためでもある。また、最近文部省は、(1)通則法だけ、(2)個別法で配慮、(3)通則法の例外措置の三種を示し(関東・甲信越地区、近畿地区)、大学はこの(3)であると説明している。しかし、通則法の枠内であることに全く変わりはない。

 第五に、文部省はそのまま九九の法人を作るという方針を転換し、大学側の希望があれば数法人の連合を認めると発言し(近畿、東海・北陸など)、国立大学の実質的な廃止・統合路線を取ることを明らかにした。

 第六に、大学が学長を選任すること、教員の任用については教特法が適用されることに表現されているように、位階制に基づく大学運営の企図は破綻しつつある。にもかかわらず、通則法に基づく大学の管理・運営は、依然として、主務省の強大な権限を認めることに他ならない。それは、「法人の長の責任の重さは、中期目標を立て、評価があり、その結果だめなら、法人の長の首を切るということだろう」(東海・北陸地区) という発言や、従来の学長選挙が廃止される(読売新聞)ことにも示されている。

 第七に、独立行政法人化自体が行政改革の一環である、という宣伝にもかかわらず、独立行政法人の幹部職員数が三倍となり、特殊法人に類似した形態になることが明らかとなった。藤田論文の言う「改良型の特殊法人」の実現である。これらの役員は、公募も含め「高度な知識や経験を有し、事業を適正、効率的に運営することができる者」の中から主務大臣が任命するなどとなっており、官僚OBの起用が可能であり、まさに「官僚一人勝ち」(蓮實東大総長)となる。

二、文部省による論拠の再構成(独立行政法人化=大学改革=大学審議会答申)

 こうした、幻想の破綻は、反対運動の成果であり、もはや文部省は従来の論拠に依拠できなくなっている。そのため、現在、文部省が推進しようとしているのは、この独立行政法人化を「大学改革の一環」であるとする立場を固守することである。つまり、独立行政法人化とは大学改革の一環であり、それは大学審議会答申の具体化である、という図式を作り上げることが、独立行政法人化を国立大学に強制する最後の論拠となっている。それは次のような大学審議会答申の路線の貫徹である。

 1. あらゆる場面で「競争的環境」作りを促進し、各大学の生き残り競争を「個性化」の名の下に推進しようとしている。

 2. 独立行政法人下の大学運営におけるトップダウン方式を大学審議会答申の具体化と捉え、学長の裁量権と責任を強調する。従来の学長選挙の廃止もその一環である。これが、責任をもった意思決定と実行のシステムである、と自賛する。

 3. 事後評価機関としては、大学評価・学位授与機構(仮称)を第三者機関と位置付け、また、文部科学省の評価委員会や、とりわけ総務省の審議会の役割は過小に説明する。これらは教育研究の改善のための「多元的評価システム」の確立だと説明する。それによって、定量的評価を行う通則法の原理は、大学については定性的な評価となった、とすりかえて説明しようとする。この「評価」はしかし、資源配分と連動して、大学間競争を一層促進することになる。

 この大学審議会答申の路線を前提として、文部省は今後、次のような説明を中心的に行うであろう。

 1. 「特例措置」の若干を認めさせた段階で大学側の見解は容れられたと宣伝する。この特例措置によって、規制の排除と大学の教育・研究システムの柔軟化を図ることができる、とメリットを強調する。とりわけ、中期計画・中期目標の問題性については、ヒアリング(意見聴取)を導入することで解消されると強弁する。

 2. 少子全入時代を迎え、大学教育の実効性が問われ、学生による大学選択の時代になるとし、一層の「大学改革」を促す。

 3. 国立大学の存在意義や公財政投資の有効性が問われているとし、財務の効率化と費用対効果の観点を一層強調する。

 4. 独立行政法人化は、民営化とは異なり、財政的支援は可能な限り行うとし、独立採算制ではないから、不足分は国庫からまかなうという口約束をする。定員削減の圧力のみを説明し、行政コスト30%削減という、いまひとつの「公約」については絶対言及しない。

 国大協第一常置委員会の中間報告に見られるように、大学改革の理念を大学審議会答申に置き換え、今またそれを独立行政法人化によって実現するというスリカエの論理を採用するなら、本来の大学改革の理念は永久に失われるであろう。

三、生存競争論の出現

 本年1月に発表された『学際的基幹大学としての新潟大学』というレポートは、大学審議会答申の具体化を目指したものであり、副題である「21世紀を生き抜く新潟大学」に表現されているように、独立行政法人化を念頭に置きながら生存競争への参入を図ろうとしたものである。戦前の「北陸帝国大学」構想の系譜を引き、周辺諸大学をことごとく併呑しようという「改革」の方向は、大学審議会答申がいかなる事態を促進しようとしているかを示している。

 また、11月4日に公表された、東京地区の5大学連合の動きは、生存競争論を促進し、独立行政法人化問題に対する国大協の統一した対応を困難にすることを意図したものである。これは教育体制の柔軟化を看板としたものだが、実質的には以下のような内容を有している。

 1. 国立大学から大学再編の動きを開始し、分断、併合、廃止の道筋を示す。この際、独立行政法人化に反対する動きを「守旧派」と名付け、自らを「改革派」と描き出す(中嶋東外大学長)。文化大革命の四人組も出現時には「改革派」を標傍したことを想起すべきである。

 2. 旧七帝大を中心とする国立大学の位階制を崩す役割を負うものとの社会的評価を得て、国立大学全体からの予算の切り取りを図る。従来、「煮湯を飲まされてきた」ことへの対抗(毎日新聞)というある学長の発言はその意図を示している。

 3. このプロセスを大学側からのイニシアチヴに基づくものとして、文部省が各大学に「自主的」リストラを促す宣伝媒体として利用する。それに応じ、各大学は戦国時代さながらに「国盗り物語」に奔走する。

 4. 計画それ自体と同様に、学長によるトップダウン方式を定着させる。企業経営と同様の意思決定システムを導入し、これに反対する者を再び「守旧派」と描き出す。

 5. 教養教育の共通化についても、それが一般教育部門のリストラを目的とすることは明らかである。

 これらは、生存競争の論理を表面化させることによって、この動きを自動運動化し、独立行政法人化を一挙に進めようという動きに他ならない。そこには、大学における教育・研究の理念に対する真摯な議論は存在しない。この動きを許容するなら、長期にわたって高等教育の姿を歪めることになろう。

独立行政法人化の意図

 国立大学の独立行政法人化が大学改革の一環ではなく、行財政改革の一環として提起されたことは論をまたないが、政財界は独立行政法人化をステップとして「民営化」に至る道筋をつけようとしている。「民営化を視野に入れた国立大学の独立行政法人化を推進」(加藤紘一総裁選挙公約) 、「民営化か地方公共団体への移管」(菅直人党首選公約)、「国立大学は、原則としてすべて民営化する。ただし、地方自治体が希望する場合には、公立化する。国立大学は、民間のインセンティブが働きにくい基礎研究などを行う少数の大学院大学に限定する。」(民主党政権政策委員会の提言)などの一連の発言は、高等教育を市場原理主義の下で民営化しようという全般的な意図を示すものである。

 最近の文部省の動向には、この一連の流れに屈服し、それを大学改革との関連で再定義し、大学審議会答申の路線を独立行政法人化を梃子として一気に実現しようという意図がうかがえる。その意図とは次のようなものである。

 1. 新自由主義の世界像を背景に、世界的規模での市場の再編に適合的な社会システムを形成し、高等教育・研究をそれに資する人的・技術的資源の供給源として再編する。

 2. 大学の再編を市場原理主義の導入による「ショック療法」によって促進し、研究の産業化と産学融合を図る。企業の委託研究の受け皿を作り、技術移転に適合的な大学の研究体制を作る。教育体制の柔軟化ではなく、技術移転の柔軟化が最大の目標となる。

 3. ただし、これらの政策は、高等教育を財政的に重視するものではなく、景気浮揚と新産業の創出を基本とし、研究・教育、文化、福祉などの分野は相対的に後景に退くものと考える。その大枠の中で産業化に必要な分野のみに対して選択的に財政支出することを目指す。

 4. 大学間、部局間、学問分野間、地域間の格付けはこの一環であり、研究大学を頂点とする種別化・序列化と階層的秩序の形成を行う。大学の「個性化」はこの文脈で遂行する。これは、大学を、(1)高度な研究に力を入れる大学 (2)職業に直結した教育が中心の大学 (3)学生に一般教養を身につけさせることに主眼を置いた大学、の三類型に分割し、それに応じた階層的入試制度と教育内容の格差付けを求めた中教審の路線(5月31日小委員会)と符合するものである。

 5. 技術移転に適合的な学問分野に対応する組織を機動的に再編するために、意思決定機構を強化する。文部省はこの間、評議会を取締役会、学長を社長になぞらえている。

 6. ただし、すべてを民営化することはせず、国際競争に耐えうるナショナル・イノベーション・システムの構築を戦略的に実現する部門、ナショナル・ミッションを実現する部門は国家戦略として位置付ける。

 7. 「自由な労働力」を確保するため、任期制や、時間雇用職員、派遣職員を活用する。独立行政法人が国会に報告するのは常勤の職員数であるため、常勤職員数の削減という体裁を取ることもできる。賃金格差に基づいて「人事の流動性」を確保し、研究大学、研究部門への人材移転を図る。教育についても、市場メカニズムによる人材需要の変化に即応できるシステムを構築する。

 8. 競争的授業料の導入は、奨学ローン(奨学金ではない)の導入によって補完する。全体として機関補助(私学助成など)から個人補助(奨学ローン)への転換を図り、この際、日本育英会などの公的貸付ではなく、競争促進のために民間銀行を活用する。

 これらは経団連などの経済団体の高等教育改革案や、経済企画庁経済研究所の報告書の路線と合致する。企業による研究部門の縮小を代替するものとして、大学の研究部門からの技術移転を図るとともに、そうした部門を積極的に形成していこうとする意図がこの政策の背後に存在するのである。

問題提起

 以上の現状分析を踏まえ、これに全面的に対抗していくためには、国立大学の独立行政法人化に対する批判と同時に、現在の政策の背後にある市場原理主義的思考自体に対する批判が必要である。

 第一に、中期目標・中期計画の策定に関する問題は、憲法二三条と判例により確立した大学自治論を積極的に対置する(山本、石井論文など)。そこでは、大学側との協議という形態を取ることによる「緩和措置」によっては解消しえない、大学自治の原則的主題として把握することが必要である。

 第二に、第三者評価機関として形成される大学評価・学位授与機構(仮称)が、それ自体文部科学省に従属する独立行政法人となることを批判しなければならない。同時に、主務省の評価委員会、総務省の審議会の介入をやはり憲法問題として位置付けなければならない。

 第三に、企業会計原則が業務の効率化を図るためのものであり、大学の自主性・自律性を著しく阻害するものとなること、競争的資金の増加を通じて基礎研究、基礎教育の破壊をもたらすものであることを示すことが必要である。そのためにも、独立行政法人会計基準研究会の議事録・報告書に対する会計学の立場からの分析が急務である。

 第四に、独立行政法人化を通じて労働組織が再編され、「自由な制度設計」の名の下に人事の流動化と労働環境に対する強烈な競争原理の導入が行われることを認識しなければならない。その際、定員外職員の増加、パートタイム労働、派遣労働の横行といった事態が生じることは、「先行」独立行政法人の制度設計からも明らかである。こうした事態を防ぐには、労働問題の理論的分析の深化とともに、労働組合の包括的強化が必要となる。

 第五に、大学における教育・研究を窒息させる位階制的意思決定組織を打破しなければならない。独立行政法人が第二の特殊法人を生み出し、管理・運営部門が肥大化するという行政改革の本来的理念にも逆行する事態が出現する。これに対しては、分権化を通じた行政改革という理念を再構成し、これを積極的に主張しなければならない。

 第六に、この設置形態の大幅な改変が本来の大学改革の理念とは根本的に矛盾するものであること、大学における基礎研究・基礎教育の長期的衰退をもたらす愚策であることを、社会に対して訴えなければならない。そのためには、企業にとどまらず社会に開かれた大学改革作りの理念を訴え、リベラル・アーツや基礎理論の軽視は、長期的に見て社会自体を衰退させることを示すべきである(全国理学部長会議の声明)。

 第七に、国立大学の設置形態の改変が、ひとり国立大学にとどまるものではなく、私立大学、公立大学を含めた、大学制度全般を根本的に再編する試みであることを認識し、広く社会的な主題として提起していかなければならない。

行動提起

 大学改革の理念は、大学審議会答申の具体化にはない。むしろ、大学人自身の自律的改革の問題として捉え直すべきである。それには、まず「性急な設置形態の改変は将来に禍根を残す」ことを強調するとともに、独自の改革案を策定し、社会に訴えることが急務となろう。

 具体的には、大学の法人格のあり方、財政的自立の方法、運営の自立を保証する法体系の整備、研究・教育の自立を保証する大学運営のあり方、教職員の自立を保証するシステムの構築、学生、社会に開かれた大学を構想しなければならない。

 また、宣伝、署名活動等を通じて、この問題を社会的問題として訴えること、大学内の学科、学部等のそれぞれの部局、学会などでこの問題への取り組みを一層強化することが必要であろう。それらの経験を共有し、大学や地域を横断した運動を作り上げることが、生存競争論への転落を阻止し、すべての大学や高等教育の21世紀を見据えた未来を構想する改革につながるのである。それこそが、協力社会を模索する大学人の社会的・歴史的任務でもある。


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