独行法反対首都圏ネットワーク

ニュージーランドの経済改革と科学研究/河内 洋佑
(1999.11.30 [he-forum 413] ニュージーランドの行政改革 その2)

皆様、

 昨日紹介しましたニュージーランド行政改革に関する論文に関連して、同じく河内洋佑氏による論文が「日本の科学者」に出ております。
 研究・教育面での状況に限られてはいますが、より詳しく説明されています。
 なお、本MLへの転載については、著者及び『日本の科学者』編集委員会の了解を得ております。(OCR原稿の校正については、鈴木恒雄氏が尽力されました。)

   青木健一(金沢大学理学部物理)

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『日本の科学者』 vol.31 No.9 Sep.1996

ニュージーランドの経済改革と科学研究
河内 洋佑

ニュージーランドの経済改革とその影響

 人口僅か360万人の小国であるにもかかわらず,ニュージーランド(NZ)は科学研究において優れた人材を多数生んできた.しかしその伝統は今,「全てを神の見えざる手にまかせる」極端な市場経済至上主義の教科書的適用によって破壊されようとしている1).
 「NZの経済改革に日本の政財界から熱い視線が注がれ」経済改革は「大成功」と伝えられている2)ようであるが,その実体は庶民にとっては医療,社会保障,教育,雇用条件などの何れを取っても切り下げと改悪しかもたらしていない3).紙面の制限のためこれらについてここで詳述することはできないが,貧富の差は増大し,最低限度の生活を維持するのに必要な所得水準以下の家庭の数は政府統計によってさえ増大している.1930年代の大恐慌以来初めてスープキッチンやフードバンク(貧困者に無料の食事や食料品を援助するところで,教会などのボランティア団体が経営している)が復活し,犯罪件数は増え,警察,裁判所,刑務所などの予算が大幅に増加し,例えば警察官の数は1990年の6,037人から,1995年の8,639人に43%も増加している.私的医療保険に加入していれば市場価格を支払って私立病院で治療を受けられるが,そうでなければ,「非緊急」(差し当たり生命に関係しないという意味で,老人性そこひや前立腺の手術などはこれに入る.実際には待っている間に亡くなった人も出ている)の手術を安価な公共病院で受けるには数年の待ち時間が普通になった.地方郵便局は廃止されたので,地方にいる人は郵便や貯金には例えば50kmも離れた本局まで行かねばならなくなった.そういうところでは公共交通機関もなくなったので,車のない人や老人は非常に困っている.雇用契約法の制定によって,労働組合が一括して交渉を行う権利は大幅に制限され,雇用条件は雇用者と個々の被雇用者との直接交渉によって決まることになった.社会保障は切り下げられ,受給資格も厳しく制限されるようになった.


科学研究への影響

 科学研究でも目先の利益優先のテーマの押しつけが行われ,真に新しい研究や基礎的な研究にはほとんど予算が与えられなくなっている.大学は授業料として管理運営費のかなりの部分を負担する学生に,その対価として個人的な利益をもたらす教育を与える場所と定義され,学科や教育内容は市場の要求に応えることが第一に重要ということになった.
 教育予算は学生数に応じて配分され,.授業料は大学毎に決められることになり,七つの国立大学間での学生のとりあいが激しくなった.授業料は毎年のように値上げされているが,最も費用のかかる歯学部ではNZ人学生は授業料が払えなくなり,75%が外国人学生になった.学生数が少なく費用を回収できない学科は,廃止や削減を取り沙汰されている.優秀な学生は自然科学に来なくなり,手っとり早く金になると信じられている分野,すなわち商学や観光学科などに殺到している.市場の需要があるということで,大学や高専のコースとして,占星術やホメオパシー(homeopathy)を応用科学の名のもとに開講しようという動きすらある.教育を外貨収入源として位置付けることにより,NZ人の10倍も授業料を払う留学生が歓迎され,私のいる大学では今年留学生は10%に達した.大学職員の給与は授業料を財源にしなければ上げられない仕組みになった.
 王立協会(日本の学士院に相当)会長ブラック教授が,昨年オーストラリア国立大学とネーチヤー誌主催の討論会「研究において創造力を如何に育てるか」で行った講演4)に基づき,私自身の経験も加えて,ここに経済改革が科学研究に及ほしている影響を報告する.因みに,ブラック教授の演題は「文化大革命下にあるNZ科学研究の現状」であった.
 科学研究が社会の利益につながっており,社会と全く切り離されたものでないことはいうまでもない.経済的,社会的な目標を定め,それに応じて研究費という名で税金を支出することは,どこの国でも行っていることである.しかし,NZほど科学研究を「経済に直接有用」な方向に絞ったところはかつてなかった.このような方向づけに際して,科学者はほとんど相談を受けなかったし,この変更があまりに早いスピードで行われたので,研究者は生き残るのに精一
杯だった.科学研究予算配分におけるキーワードも,経済・社会一般と同じく,「自由化」,「競争」,「受益者負担」となった.最初にこの新しい政策の影響を受けたのは,国立研究所の科学者であった5).

国立研究機関では

 NZは歴史的にGDPの0.4%以下しか研究開発に投下してこなかった.特に産業界からの投資はほとんどなかった.1980年代には経済的苦境にあったこともあって,科学研究費は30%近く減少した.経済的苦境を脱出するためには改革が必要であった.科学研究での改革は1986年あたりから始まったが,明瞭な方向が定まったのは1988年頃からである.
 国立研究所は再編成縮小され,遂に廃止された.研究分野ごとに分けられていた研究所は,新たに産業に直結した研究結果(output)別に再構成された.例えば,日本でもよく知られた科学工業技術庁(略称,DSIR)はなくなり,旧国立研究所の人員・設備は10研究所からなる公共研究企業体(Crown ReseachInstitutes,略称CRI)に移された.DSIR傘下の化学研究所,物理・工学研究所,土壌研究所,気象研究所などは,産業加工株式会社( Industrial Processing Ltd),国土管理株式会社(1andcare Ltd),国立水・大気圏研究所株式会社(National Institute for Water and Atmosphere)などになった.
 これらは商業活動を行う会社として,それぞれ個別の重役会の管理経営下におかれている.重役会はほとんど経営者,会計士,弁護士などから構成されており,科学者は一人しかいないのが普通である.
 CRI傘下研究所は利益を挙げることが要請されており,そのためには国内国外,国立民間の同様なことをしている機関と成果を競うことになった.利益は再投資され,長期目標も利益を挙げられるかどうかに基づいて決まるようになった.現在利潤は挙がっていないが,将来は利潤を株主である大蔵省,科学技術省に支払うことが期待されている.CRI研究所のあるもの,例えば環境科学研や産業加工株式会社は,それぞれその予算の90%以上および40%を警察依託の法医学鑑定や食品加工の研究などで稼いでいるが,他は帳尻合わせに四苦八苦しており,数学研は1994年に破産して消滅した.
 研究所の再構成と同時に,研究費配分方法も変えられた.政府の支出する非現業部門の研究費は全て科学技術研究基金(Foundation of Research,Science and Technology,略林FRST)の管理する公共有益科学基金(public Good Science Fund,略称PGSF)から出ることになり,定められた課題に応じて行われる研究の結果を,科学技術省が「買いあげ予約」するという形で配分されることになった.
 この基金の形態と配分方法は他国に例を見ないものである.すなわち,PGSFは経済戦略遂行のための研究基金であり,配分は研究の過程ではなく,予想される結果に応じてなされるのである.つまりこの基金には,あらかじめ決められた研究「結果」の分野があり,その「結果」に応じて応募することになっている.
 PGSFができたときには40の重点分野が挙げられ,その配分はそれまでの実績によって行われた.例えば,1990/91年度には40テーマがあった・その中16は農業関連の応用テーマで,羊の生産,園芸,牧草などが,PGSF総額の52.5%を占めていた.一方,基礎的知識というテーマには僅か1%の額が割り当てられた.指定分野はその時々の戦略的重要性に応じて徐々に変えられ,1995年には17テーマに減り,農漁業の応用テーマ8件で額として76%を占めるに至った.
 テーマの選択は専門家による査定を経て独立の委員会が行うが,その選択基準は「公共の利益」になるかどうかであり,その「公共の利益」とは国民一人当たりの収入増加をもたらすかどうか,雇用を作り出すかどうか,外貨を稼げるかどうか,自然と文化環境の改善に役立つかどうか,自然環境の保全と改善に役立つかどうかなどである.
 PGSFは非常に複雑で,かつ,お役所的に運営されている.研究の「提供者」(個々の研究者や機関のこと)は研究費の申請に際して,前年の割り当て額の125%を越えることはできない.従って,・ある年に認められなかった研究が翌年認められるチャンスはほとんどない.また,新しい研究用機器の購入は許されない.研究に使用した既存機器の費用は減価償却分を計算し,減価分をPGSFとの研究契約に含めることによって回収するのである.配分を受けるには科学的に優れているかどうかや,重要であるかどうかは問題ではなく,基金の管理者の期待に答えているかどうかだけが重要である.すなわち,経済戦略的に重要かどうかが大切であり,その判断の基礎の一つは研究結果が最終的に応用可能かどうかである.

大学では

 大学では,1990年に,それまで政府から独立して研究費の審査配分をしていた大学研究基金委員会(University Grants Committee)が廃止された.全ての新規研究用機器の費用はこの基金から支出されていたので,新しい機器の購入は不可能になった.ポストドックや博士コースの奨学金はPGSFに移管された。これによって、政府の支出する研究費は完全に一元化された.研究はこうして実用化の見通しのあるものに限定されることになり,基礎的研究には全く金が出ないことになった.これは大学の研究者にひどい打撃をもたらした.
 もっとも,1995年になってマースデン基金というものが設立され,純粋基礎研究にも多少金が出ることになった.一方では,国立大学を全部売却して私立大学とし,純粋に商業的に運営することも議論されている.
 以上のような改革に積極面があるとすれば,大学,国立研究所,民間の交流が密接になり,実用や戦略的目標がより強く意識されるようになったことだろう.人事の交流も前よりスムーズに行われるようになり,技術移転も容易になった.科学の普及や海外との交流もマーケッティングにとって重要な限り,より積極的に行われるようになった.
 しかし,それ以上にマイナスの面がたくさん現れて来たことは否定できない.すなわち,実用性,実現可能性などが先に来て,内容が科学的に優れているかどうかや.創造性は,研究費割り当てにとって比較的に重要でなくなったことである.純粋な好奇心に基づく研究や,結果がどうなるかわからない研究には予算が全く付かなくなった.長期的に見て,これはNZ科学の発展にとって重大な損害を及ぼすであろう.

三つの問題

 問題点は三つある。第一は、現代の政治のイデオロギーが科学の論理と正面から衝突することである.第二は,研究費配分があまりに官僚統制の下にあり複雑なことであり,第三は,研究費の絶対額があまりに少ないことである.
 NZの経済的「実験」は自由市場というイデオロギーから発想されたものであり,その及ぼす影響について十分検討を経たものとはいい難い.研究はコマーシャルな応用のできるものに重点が移り,研究用機器の更新・新規購入が不可能になっただけでなく,研究者の新採用も極めて難しくなった.
 政府によれば,大学が新しい機器を必要とするならば,その財産を売却するか,抵当に入れて借金するかして費用を出すべきだという.この問題が解決するまでには,NZの大学の研究機器は全て時代遅れになっていることであろう.
 PGSFは最初単年度限りだったが,その後2年に延長された.しかし,予算請求をあまり長期的な計画や見通しに基づいて行うことは,科学に内在する論理からして非常に難しい.明らかにこの政策の立案者は,新規な発展に直ぐ応じる必要などは認めていないのである.PGSFには給与も含まれているので,2年毎にあらためて応募することになっている予算が取れなければ給与がなくなることになり,科学者の地位は極めて不安定になった.士気は低下し,成果のすぐ上がり,結果の予想がつけられる「安全」な研究だけが幅をきかすことになった.
 PGSFの運営には,改革に直接関連しているわけではないとしても,大いに問題がある.申請書には研究方法から予想される結果までを詳述しなければならず,まるで研究を始める前に答を知っていることを要請されているようなものである.決められた課題二つ以上にまたがった申請は許されない.申請者の履歴書,論文目録,その他必要書類全部を含めると,一件の申請書は数十ページから数百ページになり,これを何件も読む査読者はたまらない.こんな書類は隔年毎に提出したり,審査を依頼されて読まされるのは資源とエネルギーの無駄であると研究者は皆思っている.ましてや,採択件数は申請件数の10分の1程度なのである.
 過去に申請を受理された実績が重視されるので,新進気鋭の研究者のテーマが採択されることは難しい.採択テーマのリストを見ると,ほとんどが知名度の高い人のものによって占められている.このような制度の下では,後進を育成することは不可能に近い.
 PGSFのテーマは大学でのテーマと何の関係もなく決められているので,大学関係者が予算を獲得するには別の困難がある.また指導者に予算が来たとしても,大学院学生のための枠はない.予算の流用は認められないので,院生は将来就職につながるかどうか分からない研究を何年も自費で行わなければならない.
 PGSFの総額は,過去5年間にほんの僅か増えたにすぎない(90/91年度255,414,000ドルから95/96年度257,800,000ドルへ).基礎研究については,どこでも商業活動の利益の中からかなりをやりくりしているのが現状である.
 NZ経済が最近やや上向いた結果,多少明るい見通しも出てきたといわれている.2010年にはGDPの0.8%(現在は0.4%)が科学研究に向けられる予定であるという.また基礎科学研究のために紐の全くついていないマースデン基金が創設された(1994年).1995年,この基金の管理は科学技術研究基金から王立協会に移った.ただし,この基金は総額が小さく(PGSFの2%),またその初年度には応募1,028件に対して,採択は60件に過ぎなかった.
 このように,NZの基礎科学は市場経済理論の乱暴な適用によって大打撃を受けている.仮に問題点が今すぐ修正されたとしても,回復にはかなりの時間が必要であり,その将来は決して明るいものとはいえないであろう.

参考文献
1)河内洋佑,ニュージーランドの教育・研究の危機,ニュージーランド便り(2),地質ニュース438号,1991年2月,57−61ページ.
2)朝日新聞,1995年12月24日14版9ページ,「この人にこのテーマ」(ニュージーランド大使マーティン・ウイーバーズ氏のインタビュー).
朝日新聞,1996年3月30日夕刊2版5ページ,「ニュージーランドの経済改革を見た」.
毎日新聞,1996年5月13目社説.「市場国家」への大きな試み.
北海道新開,1996年5月27日夕刊,小国の大仕事.
3)河内洋佑,楽園の実験,科学朝日1994年4月号63ページ.
Kelsey,Jane(1995),The New Zealand Experiment.A World
  Model for Structural Adjustment?Auckland University Press.407p.
4)Black,Philippa,(1995),Research in New Zealand; Working though a
Cultural Revolution・Manuscript of a speech given at a
  Symposium in Canberra on ideas as the Foundations of Innovation.
Novemberl.13p.
Lowe,Jan(1995),New Zealand reforms come
  at a cost New Scientist,2 December,P.54.
5)河内洋佑,ニュージーランド地質調査所の解体再編成,ニュージーランド便り(5),地質ニュース45O号,1992年11月,26−29ページ.

(ニュージーランド・オタゴ大学,鉱物学)



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