独行法反対首都圏ネットワーク

「国立大学の独立行政法人化に反対する名古屋大学教員の共同声明(案)」
賛同の呼びかけ運動
(1999.11.11 [he-forum 343] 独法化反対の共同声明(名古屋大学))

こんにちは。
名古屋大学の独立行政法人化に反対する共同声明の会です。

名古屋大学では、「国立大学の独立行政法人化に反対する名古屋大学教員の共同声明(案)」賛同の呼びかけ運動を進めています。

学内への呼びかけ文と共同声明案を紹介するために送ります。

====学内への呼びかけ文から抜粋====

 政府はこの夏以来、必要な論議を尽くすことなく、国立大学を独立行政法人化させる方向で急速に動き出しつつあります。この制度は重大な問題点を多く内包しているにもかかわらず、大学関係者の中にも独法化を既成事実のように受け止める傾向が見られます。しかし、マスコミがこの動きに批判的またはたいへん慎重な態度で臨んでいることが示すように、国立大学の独法化をもはやくいとめられないものと考えることは早計に過ぎます。
 国立大学の独法化を阻止し、高等教育と学問研究を守り発展させるためには、各大学の構成員がこれに反対する意思を示す必要があり、もし示さなければこれを容認することにもなりかねないと思います。この間、いくつかの大学では独法化には大きな問題があるという声が挙がっています。
 そこで、名古屋大学においても別紙のような「国立大学の独立行政法人化に反対する名古屋大学教員の共同声明」を出したらどうかと相談いたしました。そのために、この共同声明を連名で発表することにご賛同いただける方を募り、マスコミ等を通じて広く国民に大学人の意思を表明します。また、他団体との協力関係も視野に入れつつ、新聞等に意見広告を出すための募金活動も展開したいと思います。さらに、より幅広く職員・学生・一般市民にも、この共同声明への賛同署名を呼びかけ、国立大学の独法化に反対する世論を高めていきたいと思います。
 そこで、先生には共同声明に参加していただきたくお願い申し上げる次第です。誠に失礼かと存じますが、共同声明に参加することの可否につき折り返しご返事いただければ幸いです。
 共同声明をできるかぎり早急に本学の全教員にお示しし、11月17〜18日に予定される国大協臨時総会の前にマスコミ発表したいと考えています。そこで、誠に勝手ですが、マスコミ発表の第1次分として、11月12日(金)までにご返事いただけますようお願いいたします。

1999年11月5日  
独立行政法人化に反対する共同声明の会  
呼びかけ人一同

問合せ先
■学内便宛て先 名古屋大学 工学研究科 原子核工学専攻 玉置 昌義(独立行政法人化に反対する共同声明の会・事務局長)
 ■mail-address   m-tamaki@mail.nucl.nagoya-u.ac.jp
 ■FAX     052−789−6697
    
=================以上呼びかけ文抜粋============

=================以下共同声明案本文============


国立大学の独立行政法人化に反対する名古屋大学教員の共同声明(案)

1999年11月5日

独立行政法人化に反対する共同声明の会

呼びかけ人代表
池内  了(理学研究科・教授)
中嶋 哲彦(教育学部・助教授)
福家 俊朗(法学研究科・教授)
山内  章(生命農学研究科・教授)

呼びかけ人 31名

 政府はいま、大学関係者の反対や懸念、国民の間に広がりつつある慎重な検討を求める声にもかかわらず、国立大学を独立行政法人に移行させようとしています。
 独立行政法人制度は、国立大学における教育研究を経済効率優先主義のもとに置き、大幅な教職員の削減を押し付けることで、個々の研究のみならず学問の体系性や総合性を否定し、国民のための高等教育・研究を破壊してしまうものです。私たちは、時の政権に左右されない普遍的価値をもつ教育研究を通じて国民全体に奉仕することを使命とする大学人として、これを容認することはできません。

教育研究を時の政権のコントロールにゆだねてはなりません
 大学における教育研究が正常にその機能を果たすためには、教育研究および大学運営の自主性・自律性、つまり「学問の自由」「大学自治」が確保されることが必要です。これは、学問が真理にのみもとづいて調和的に発展できるよう、学問と大学に対するあらゆる権力的支配を排除しようとする原理です。そのため、大学には古くから教育、研究、教員人事などについて自治が認められてきました。日本国憲法でも第23条でこの原理を確認しています。
 他方、独立行政法人制度は、定型的な業務を大量かつ反復的に処理する行政機関に適用することを想定して、国の機関を企画・立案部門と実施部門とに分け、後者を国から切り離して独立行政法人とし、自己責任のもとで業務運営の効率性向上に邁進させようとするものです。しかも、その業務目標は担当大臣が指示し、3〜5年ごとに業務運営に関する評価を行い、効率が悪いと判断した場合は、その独立行政法人を改組・廃止できることになっています。
 大学が個別性と多様性に富む教育研究を自主的・自律的に遂行できるのは、教育研究に関する企画・立案機能と実施機能とを一体のものとして担っているからです。国立大学が独立行政法人に移行させられ企画・立案機能を奪い取られると、国立大学の活力は低下し教育研究機能は停滞してしまうでしょう。国立大学の独立行政法人化は、効率性評価におびえながら、時の政権から奨励または指定されたテーマについて、学問的必然性もなく黙々と研究する大学をつくることを狙いにしています。しかし、そんなことをすれば、教育研究そのものを根底から掘り崩すことになるでしょう。大学の衰退が日本の文化、産業、経済にきわめて深刻な打撃をもたらすことは言うまでもありません。

効率主義で学問と大学を衰退させてはなりません
 大学は、長期的展望に立って、基礎的な研究を積み上げ、新しい文化と価値観を創造し、より有効な技術体系を確立することを使命としてます。そして、それを通じて、社会と国民に貢献することが大学に期待されていると考えます。
 国立大学は世界水準から見ても少ない教育研究費・管理運営費のもとでこの役割を営々と果たしてきました。近年、「私立大学は少ない経費で教育研究を立派に果たしている。国立大学は非効率だから廃止せよ。」という考えが強調されることがあります。しかし、これは、学問の発展には広い分野にわたって研究者の厚い層が必要であることや、独立採算制の私立大学では担いがたい学問分野があることを見落とした、たいへん乱暴な意見と言わなければなりません。
 国立大学が独立行政法人化され、効率性評価にもとづいてしか研究費が配分されなくなったり、研究費を企業や団体に直接に依存しなければならなくなると、その配分をめぐっても短期的評価が可能な業績主義が幅を利かせることになるでしょう。研究分野や大学の立地などによっては、基本的な研究経費にさえ事欠く大学や研究者が出てくることは必至です。その結果、学問の発展が阻害され、次世代の研究者・技術者の養成は重大な障害に直面するでしょう。学問の調和ある発展のためには、研究分野ごとの、そして学問全体のボトムアップと、研究者相互の批判と協力に支えられた研究体制の確立こそ急務なのです。
 また、政府はこれまでにも国立大学の教職員を大幅に削減しようとしてきました。そのため、業務の外部委託などさまざまな合理化策をはかりながら、教職員の定員削減に対応してきました。しかし、いまやこれ以上教職員が削減されれば、大学としての正常な機能を遂行しがたいぎりぎりのところまできています。教員は担当授業科目や行政的仕事が増えて多忙化し、研究時間の確保がむずかしくなっています。事務職員・技術職員は定員削減を穴埋めするために、一人で不慣れな業務を幾つも受け持ち、長時間かつ過密な労働を続けています。国立大学が独立行政法人化されれば、経済的効率性の向上を名目にする教職員の定員削減が、これまで以上に大胆かつ容易にすすめられることになるでしょう。その結果、高等教育・研究に対する国民の期待は踏みにじられてしまうでしょう。

大学全体の調和ある発展をはかり、国民の高等教育を受ける権利を守りましょう
 国立大学は広く国民に高等教育を保障するとともに、優れた人材を社会の様々な分野に送り出し、社会の発展に大きく貢献してきました。言うまでもなく、国立大学が国費によって維持されることにより、相対的に低い授業料で質の高い教育を提供できたからです。とはいえ、国立大学の卒業生だけが特別な利益を受けてきたと考えることは早計です。国立大学の卒業生はさまざまな分野で活躍しており、社会全体がそこから大きな利益を受けているからです。だからこそ、国立大学を国費で維持することに、国民的同意が寄せられてきたのです。
 国立大学が独立行政法人化された場合、経済的効率性を達成するために、教職員数を減らすなどのコスト削減に加えて、授業料を私立大学並みか、それ以上に引き上げることを余儀なくされるでしょう。私たちは、自らの手で国民の高等教育を受ける権利を制限する日が来ないよう、国立大学の独立行政法人化に強く反対します。
 国民のための高等教育・研究ということにかかわって、文部省の大学審議会は、国立大学の役割の一つに「国の政策目標の実現」をあげ、公・私立大学を区別していますが、私たちはこれには二重の意味で異論があります。第一に、国立大学は、時の政権の政策に協力するために存在しているのではなく、普遍的・長期的視野をもって人類全体の幸福に貢献することに存在意義があると考えます。国立大学を支える国費とは国民が納めた税金にほかならず、国立大学は国民全体のために存在しているのです。第二に、教育研究を通じて国民全体に奉仕するという点では、国・公・私立の違いはありません。だからこそ、私立大学助成金や科学研究費補助金などの国費が公・私立大学にも投じられているのです。しかし、国立大学の教育研究費が圧縮されつつあるのと同様、私立大学への助成金も次第に削減される傾向にあります。国立大学の独立行政法人化は、同時に私立大学への公的助成のいっそうの削減をもたらし、ひいては高等教育・研究の公共性を破壊することになりかねません。

教育研究にふさわしい自主的な改革を、院生・学生・国民の皆さんとともに
 私たちは、新しい世紀を迎えるために、これまでの努力の成果をふまえつつ、長期的展望に立ったアカデミック・プラン(教育・研究・運営の基本計画)を確立し、その目標達成にもっともふさわしい教育・研究・運営の在り方を構想し、それを支える組織体制を整備することが必要だと考えます。国立大学がそれぞれの特質を生かし、個性的な教育研究を組織・展開していくためには、教職員間の徹底した議論はもちろんのこと、院生・学生諸君や国民の皆さんとの直接対話も必要だと思います。私たちはそのための努力を惜しむものではありません。
 私たちは、教育研究を通じて日本と世界の未来に責任を負う者として、国立大学を独立行政法人化することに反対します。また、目先の利益を追求する効率性原理にもとづいて、時の政権に都合の良い教育研究しか認めないようなあらゆる政策に強く反対します。
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