独行法反対首都圏ネットワーク

東京学芸大学 国際文化教育課程欧米研究専攻教官一同による決議
(1999.11.9 [he-forum 322] 東京学芸大学の状況)

東京学芸大学についての初情報として、国際文化教育課程欧米研究専攻教官一同による決議をお送りします。
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国立大学の独立行政法人化に対して、重大な疑念を表明します

9月20日の「国立大学長・共同利用機関所長会議」において有馬文部大臣は、国立大学の独立行政法人化の意向を表明しました。通則法を特例措置によって条件を付加すれば、これまで以上に大学の自主性は拡大し、創造性が発揮できるという趣旨のものです。
しかし私たちは、大学が「行政」法人であるという考え方に、そもそも疑問をいだきますし、以下の点で大きな疑念を感じます。

○独立行政法人化するのは、国立大学の旧態依然の研究・教育・運営体制を打破するためという主張があります。しかしこれは事実と反しています。
この10年間、私たちは大きな力を費やして大学改革に取り組んできました。教育学部の中を「教育系」と「教養系」に分け、「教養系」では、新専攻を立ち上げて需要を開拓し、「教育系」では教養系が裾野の役割を果たし、学生の間でも教官の間でも新しい刺激と知的結びつきを生み、研究・教育の分野で多くの成果をあげてきました。
そして一昨年よりの改革では、この有機的結びつきを更に発展・充実させて、4月より新体制がスタートしようとしています。旧態依然では決してなく、しかもこの上になお改革をと要請されても戸惑うばかりです。独立行政法人化は、こうした自主的改革を一切無視した形で唐突に出されたもので、到底納得できるものではありません。

○教育学部はその性格からして、計画養成、目的養成を趣旨としており、これによって教育の安定性、系統性、公共性を保障してきました。独立行政法人化によって、各大学の教員養成がばらばらに、市場原理によって、当面の需要・供給のみに曝されるならば、今まで培ってきた、将来を見通した教育の安定性は、大きく破壊される恐れがあります。

○独立行政法人の基礎にある考え方は、市場原理と自己責任制と民間活力の活用といわれています。しかし、高等教育をマーケット的な合理性に委ねることは、正しい方向でしょうか。基礎部門は切り捨てられ、解体させられてしまうことは、目に見えています。
「不易流行」でいうなら、人類が積み上げてきた「不易」の部分は衰退し、当面要請される「流行」の部分は跛行的に発展するという、歪んだかたちになる恐れがあります。

○従来の対等、平等、共同の大学運営から、垂直型の生産ライン的、目標設定的、効率評価的な大学運営に変わることが意図されています。しかし大学は、会社ではありませんし、行政組織ではありません。こういう形で学問と教育の自主的、総体的、創造的発展が可能でしょうか。とりわけ教育の仕事は短期間では決して評価の出せないものです。学問と教育がいびつなものになっていくことを懸念します。
私たちが自己変革を求められているこはと十分承知していますが、独立行政法人化は、国立の大学としてこれまで培ってきた学問研究、芸術創造、教育活動に対して、余りにも性急に、異質の原理を押しつけるものであり、この動きに重大な懸念を表明すると共に、1997年6月30日の国大協の「要望書」の趣旨が生かされることを望むものです。

1999年10月28日
東京学芸大学 国際文化教育課程 欧米研究専攻 教官一同



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