独行法反対首都圏ネットワーク

「独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の意見書」の提案について
独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の意見書
(1999.10 [he-forum 287] RE独立行政法人問題に関する山形大学人文学部有志)

全国の皆さまへ。
 「独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の会」が作成した「独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の意見書」を送りいたします。
 ネットワ−クで流していただいた皆様の質の高い議論に学びながら、法律学のスタッフを含む教員有志が頭を寄せ集め作成したものです。
 人文学部の全構成員に配付し、議論し、現在のところ構成員の75%の賛同をいました。また、人文学部教授会では、国大協第一常置委員会の「中間報告」の特例法案を含め、現在検討されている独立行政法人制度の諸案に反対であり、いくつかの個別的修正による独立行政法人制度では大学の本質的問題を克服できないとする教授会の見解をまとめ、評議会に提出しました。
 以下の「有志の意見書」は、こうした人文学部教授会の意見形成に一つの役割を果たしたものです。独立行政法人化問題に対し地方国立大学の連帯・連携が求められていると思います。ともに頑張っていきたいと思います。(山形大学人文学部:鈴木 均)
---------------------yobikake_bun-----------------------------------

山形大学人文学部構成員 各位

1999年10月5日
独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の会


「独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の意見書」の提案について

 ご存じのように、現在推進されようとしている国立大学の独立行政法人化は、激変する世界に対応した将来の世代の知的・倫理的バックボーン形成に中核的役割をもつ高等教育制度をどのように充実・発展させるかという根本問題の検討を回避して、もっぱら国家公務員数の25%削減という著しく政治的で、本来の教育政策とはかけ離れた文脈で提出されたものです。そして、その問題点は、本年1月の本学評議会の議決にもあるように「21世紀の教育・研究の発展を阻害し、わが国における学術研究の発展に重大な禍根を残すものである」ところにあります。
 この独立行政法人化の問題点・危険性は、いくつかのマスコミの記事のように、大学の外部からも指摘されつつあります。他方、残念ながら大学の内部では、独立行政法人化の問題点が察知されながらも、現在の政治状況ではやむをえないという雰囲気のなかで、次第に独立行政法人化の流れに流されていく気配があるように思います。
 しかし、いま必要なのは、この50年間、とりわけ地方国立大学が日本の学術研究と高等教育において果してきた役割とその成果を正確に認識しつつ、将来の大学像を展望すること、そして国大協第一常置委員会の「中間報告」と文部省の「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」を冷静に検討し、その問題点を十分に把握したうえで、独立行政法人化に反対する態度を明確にすることではないでしょうか。いま私たちがこの問題についてはっきりと主張しておかなければ、それこそ将来に「重大な禍根を残す」ことになるでしょう。
 人文学部では、10月13日の臨時教授会において教授会の意見のとりまとめがおこなわれ、10月20日の評議会で山形大学の意思形成がおこなわれます。その間にも各地区毎の学長会議が開かれ、事態が急速に展開していくことも予想されますが、11月の国大協総会にむけて、議論の渦を巻き起こしていくことが急務です。
 最近、状況は少しづつ変わりつつあります。宮崎大学評議会が9月28日に「国立大学の独立行政法人化に反対する」との声明をあらためて確認したことをはじめ、各国立大学では真剣な議論が展開しています。全国の地方新聞も、地域にとっての国立大学の意義を論じ、独立行政法人化の無謀さを指摘する記事を掲載することが多くなってきています。さらに、中央紙もことの重大さに気づきはじめ、独立行政法人化に反対する解説や知識人の論説を掲載するようになってきました。わたしたちも、真剣に議論を展開していきたいと考えます。
 「独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の意見書」は、こうした気運のなかで教員有志が集い、とりまとめたものです。短い期間でまとめたものなので、いたらないところがあると思います。人文学部構成員の方々にいくつかの論点を喚起し、賛否双方含めてご意見をいただきたいと考えています。
 この意見書は、人文学部構成員として学長および評議員に意見を提言するというスタンスで書かれています。わたしたちは、もし多数の賛同が得られますならば、この意見書の主旨を人文学部教授会としての意見に反映していきたいと考えています。そして、全学の意思形成に向けて発言していきたいと考えています。
 また、わたしたち人文学部および山形大学の将来を考えていく一つの重要な契機とし、議論のなかで、その内容を深めていきたいと考えています。
 よろしくご検討をお願いいたします。

----------------------yusi no iken--------------------------------

《目次》

はじめに
I  独立行政法人問題の経緯と問題点
II  国立大学および山形大学の存在意義
III 「中間報告」および「検討の方向」の問題点と課題
おわりに

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1999年10月


独立行政法人問題に関する山形大学人文学部教員有志の意見書

はじめに

 山形大学評議会は本年1月に「国立大学の独立行政法人化についての反対声明(案)」を決定した。「現在検討されている国立大学の独立行政法人化は、21世紀の教育・研究の発展を阻害し、わが国における学術研究の発展に重大な禍根を残すものであり、また、その下で本学の使命を遂行することは、到底できない」とし、「山形大学は、国立大学の独立行政法人化に反対の意思を表明する」と議決した。
 その後、本年9月に国大協第一常置委の「国立大学と独立行政法人化問題について(中間報告)」(以下、「中間報告」とする)と文部省の「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」(以下、「検討の方向」とする)が発表され、国立大学の独立行政法人化の検討が進められたが、それらは国立大学全体および本学の学術研究・教育の発展にとって残念ながら有益な提案をおこなった内容とはなっていない。以下に、その理由を簡潔に記し、学長および山形大学評議会が本年1月の議決を遵守し、わが国の高等教育の発展のために、国大協・文部省およびひろく国民に対して独立行政法人化反対の立場を主張し、今後の進むべき道を提起することを求めるものである。

I 独立行政法人問題の経緯と問題点

 国立大学の独立行政法人化の議論は、わが国の高等教育・学術研究の発展を検討する議論のなかから内在的に出てきたものでは決してない。独立行政法人は政府の行財政改革における国家行財政の減量化という課題のなかで持ち出された。国家の行政活動のうち、企画立案機能(部門)と実施機能(部門)を分離し、主に定型的で大量反復的な業務を遂行する後者の機能を担う機関を外部化=独立行政法人とし、行政のスリム化を果たそうとする政策構想のなかで提起されてきたものである。独立行政法人制度は「市場原理」=短期的経済効率主義により、法令でその範囲を規定された特定業務の効率化および減量化をはかることを制度の本質としていることが十分に認識されなければならない。したがって、企画立案機能と実施機能を分離することが本来できない研究教育を担う大学・大学共同利用機関などは、当初はその対象にはなっていなかった。しかし、一方で、行財政改革のなかで25%の国家公務員削減という政策課題が浮上し、その達成のための「数合わせ」として急速に、大学・大学共同利用機関なども独立行政法人化の対象とされるようになった。この過程においては、わが国の学術研究・高等教育あるいは文化行政をいかに展開していくべきかという、学術機関の設置形態変更に際しておこなわれるべき本質的な議論がなされないまま、政策的要請から国立大学の独立行政法人化の検討が推進されてきたといえる。
 本年7月に制定された「独立行政法人通則法」(以下、「通則法」)で規定された制度により国立大学を独立行政法人化することについては、さまざまな問題が指摘されている。主な論点として、以下の諸点をあげられる。
 (1) 独立行政法人という名称に反して、主務大臣や評価委員会、総務省の審議会、の権限が強く、憲法で認められている「学問・教育の自由」の制度的保障となっている大学の自治の本旨と矛盾し、大学の自主的な改革や教育・研究の改善・発展をむしろ妨げる制度内容となっている。
 (2) 学術研究・高等教育は定型的で大量反復的な業務ではなく、また大学の教育研究においては企画立案機能と実施機能をわけることはできない。独立行政法人は中期目標と中期計画の策定のもとで、業務運営の数的な減量と効率化の達成度合により当該法人を評価していくシステムとなっているが、基礎研究はもとより大学の教育研究の全般が数的指標に還元できない本質をもっており、また教育研究の成果は決して3〜5年の期間で評価しうるものではなく、独立行政法人の事業計画・評価システムの制度的本質が大学になじまないものである。
 (3) 独立行政法人における企業会計原則の導入は、大学の教育研究において短期的かつ実収入に結び付く実利的な成果を追求する結果を招来する。そこにおいては、基礎研究の軽視や委託研究の増大を招き、大学における学問各分野のバランスのよい発展を阻害し、かつ教員の学問的な倫理や主体性を著しく低下させる結果を生む。また、企業会計原則の導入は、財政自主権を大学にあたえるものではなく、財務の効率性を高めることを意図するものであり、わが国の高等教育・学術研究の均衡ある発展を担う大学の活動を阻害する本質をもっている。
 諸外国において、日本と同様に、行政コスト削減の見地から類似の「独立行政法人」化を大学に対しておこなったニュージーランドでは、行財政改革のなかでの政府予算給付の削減、学費の値上げ、教職員の人員削減と負担増、応用的実利的な教育・研究の重視とそれに対応した学部・学科再編、授業の質の切り下げといった教員のモラルの低下、などが引き起こされていることが報告されている。大学における各学問分野の均衡ある発展が著しく阻害され、財政削減の要請による予算の重点配分の結果、伝統校と地方ないし新設校との格差が一層拡大していったことがあきらかとなっている。イギリスなどでも同様の事態が起きており、こうした動向は、日本における国立大学の独立行政法人化の危険性を実証的に示唆している。
わたしたちは、こうした独立行政法人検討の経緯の問題点、制度内容自体がもつ危険性をよく認識し、わが国の高等教育・学術研究の発展に責任をもつ者として、国立大学の設置形態に関する本質的な議論を充分におこなう責務がある。

II 国立大学および山形大学の存在意義

1.国立大学の独自な存在意義
教育基本法では、教育の目的を「民主的で文化的な国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献する」と定めている。教育は、わが国の健全な発展にとって極めて重要な営みであり、大学などで実施される高等教育は、この営みのいわば総仕上げをおこなう場である。また、大学における学術研究は、人文・社会科学、自然科学などそれぞれの学問分野の探求を最先端で前進させる高度に知的な営みであり、世界とわが国の学術・文化・産業の発展に多大な寄与をなしてきた。21世紀に向けて、社会秩序や自然環境は激変の様相を呈しており、人々の内面的な価値観や倫理も大きな変化をみせ、あらたに解決を迫られている社会的自然的な課題は噴出している。こうした状況に対して、大学における学術研究は自主的な改革を常に迫られており、また各学問分野の全体的な発展が一層求められている。大学における高等教育も、様々な事態の生起に主体的に対応し、民主的文化的な社会の建設を担うことができる人材を育てていく課題を一層帯び、多面的かつ全人格的な調和ある教育をさらに実施していくことが求められている。
 国立大学は、こうした状況をふまえるとき、あきらかに以下の独自な存在意義を有している。
 (1) 短期的効率的な目標達成や特定の企業・産業の利害にとらわれずに、長期的・大局的見地から研究教育体制を組織することができる。基礎的な学問分野を含め人文・社会科学、自然科学各分野のバランスのよい研究・教育体制を築き、教養教育を含めて多面的かつ全人格的な資質をもつ人材育成をおこなうことができる。わが国の学術研究全体の均衡ある発展にとって、国立大学の果たしている役割は極めて大きい。また、地方国立大学は地域の文化・行政・産業の推進に対して学術的な貢献を果たす核としても大きな実践的な役割を果たしてきている。
 (2) 全国に設置されることにより、居住地域にかかわらず国民全体に高等教育の機会均等を保障することができる。とくに、地方国立大学は地域を支える人材養成の核として大きな役割を果たしている。
 (3) 比較的低廉な学費で高等教育を提供することにより、所得水準にかかわらず教育の機会均等を国民全体に保障することができる。とくに、経済不況のなかでは、低所得層に高等教育を提供する場として国立大学はその役割を一層増している。
このような国立大学の独自な存在意義に照らして、その設置形態に関する本質的な検討が充分になされるべきである。

2.山形大学の存在意義
 山形大学は、地方国立大学の一つとして今年、創立50周年を迎えた。山形県において4年制大学はつい最近まで本学のみであり、旧制山形高等学校などの時代をもあわせて、東北地方、とくに山形県の地域社会における行政・産業・教育・医療・文化を支える人材を育成するまさに中心的な機関として、他の追随を許さない役割を果たしてきた。人文学部の場合も、山形県の行政・産業・文化に携わる担い手を数多く育成し、また教員の地域貢献も公共政策立案・社会行政・紛争調停・文化活動・地域教育などの多方面におよび、地域のシンクタンクとして多大な役割を果たしている。また、近年設立された東北芸術工科大学が他の4年制大学として存在するが、双方のスタッフの学問分野で重なるものは非常に限られており、本学は地方国立の中規模総合大学として地域における多分野の学術研究の推進に中心的な役割を果たし続けている。上述の(1)〜(3)に述べた国立大学の独自な意義に照らして本学の存在意義を述べるならば、東北地方に居住している国民を中心に高等教育の機会均等を保障し、また世界あるいはわが国において重要な研究成果を各学問分野においていくつも生み出してきた。こうした本学の実績は、国民とりわけ地域住民に受けとめられ、山形県において不可欠の存在として本学の存在意義はとらえられていると考える。
 また、近年の大学改革のなかで、教育研究組織の見直し、情報公開、学生による授業評価の導入をはじめ評価制度の改革、公開講座や地域教育の開設など、時代や地域の要請を主体的にとらえつつ自己改革に努めてきた。改革はなお途上であり、厳しい評価を受けなければならないが、本学のこれまでの改革の努力について国民および地域住民に対して一層アピールしていく必要がある。
 国立大学を独立行政法人化した場合、Iの(1)〜(3)などで指摘した独立行政法人制度の本質的問題から、上述の(1)〜(3)で述べた研究・教育体制の全体的な均衡ある発展は大きく妨げられ、わが国の高等教育・学術体制の将来に多大な禍根となることは必定である。
 地方大学である山形大学が独立行政法人化された場合、運営交付金の重点配分=大学間格差政策の推進と大学運営における「市場原理」=短期的経済効率主義の導入により、とりわけ基礎的学問分野の研究教育は軽視され当該教育研究組織は統廃合を余儀なくされ、現在の総合大学としての研究教育体制は著しくバランスを欠いたものとなるであろう。また、教養教育についてもその基盤となる基礎的学問分野の衰退により、充実した体制をとれなくなると考えられる。また、運営交付金の重点配分策の推進により、本学全体としては交付金の額が切り詰められ、学費の値上げを余儀なくされていく可能性が高い。地方大学のこのような状況はスタッフの充実にとっても悪条件となり、有能な人材の流出が続き、本学の研究教育の全体的な力量は低下すると考えられる。
 こうした未来像は、まさに(1)〜(3)で指摘した国立大学の独自な存在意義が否定されていくことを意味する。地方国立大学の場合、全体的な衰退、均衡を欠いた教育研究体制への移行は著しく、これまで地域で果たしてきた中核的な役割を実現しえなくなり、地域の行政・産業・文化の長期的発展の基盤も大きく堀崩されていくことになると思われる。高等教育の機会を奪われる地方の学生の立場からも、重大な問題である。
 わたしたちは、国立大学の設置形態に関する本質的な議論を「地域のなかの大学像」=そのあるべき将来像という見地からも慎重におこなっていかなければならない。

III 「中間報告」および「検討の方向」の問題点と課題

 以下の検討は、「通則法」を前提としつつ、国大協第一常置委の「中間報告」および文部省の「検討の方向」の問題点を浮き彫りにし、わたしたちが今後検討していかなければならない課題をあきらかにすることを目指している。以下では、問題点を「通則法」の構成にしたがって逐次検討していきたい。

(一)「総則」に関して
 「通則法」によれば、独立行政法人とは、a)公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務および事業であって、b)国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、c)民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれのあるものまたは一つの主体に独占して行わせることが必要であるものを、d)効率的かつ効果的に行わせることを目的として、e)この法律および個別法の定めるところにより設立される法人と定義されている。しかし、IIの「1.国立大学の独自な存在意義」で述べたように、国立大学は基礎的な学問分野を含めて各分野のバランスのよい研究教育を実施し、また居住地域あるいは所得水準に拘わらず高等教育の機会均等を国民全体に保証するという重要な役割を果たしており、「国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもの」と断定することはできない。
 また、Iの「独立行政法人問題の経緯と問題点」のところで述べたように、独立行政法人化とは、国家の行政活動のうち、企画立案機能(部門)と実施機能(部門)を分離し、主に定型的で大量反復的な業務を遂行する後者の機能を担う機関を外部化=独立行政法人とするものである。しかし、大学の研究教育は企画立案機能と実施機能を分離することができず、大量反復的な業務にとどまるものでは決してない。したがって、実施部門を念頭に置いている「効率的かつ効果的に行わせること」になじむものではない。
 「中間報告」および「検討の方向」は国立大学の特徴をふまえた「特例措置」などを施せばこのような問題点は可及的に除去できると述べているが、以下述べるように、多くの問題点があり、国立大学等の高等教育機関を「通則法」の総則の定義の対象に含めることは本質的に誤りである。

(二)「役員及び職員」に関して
 「中間報告」および「検討の方向」によれば、「特例措置」の一環として、学長の採用については現行の「教育公務員特例法」に配慮し、評議会の議に基づいて、学長の定める基準により、評議会が「選考」を行うこととされ、それに基づいて主務大臣が学長を任命するとされている。しかし、「通則法」および「中間報告」「検討の方向」によれば、必要的役員として複数名「監事」をもうけることとされている。「監事」とは、言うなれば株式会社の「監査役」のようなもので、法人の業務運営の適正について監督する役割であり、無駄なコストが使われていないかなどチェックし、主務大臣に報告する権限を有する役職である。これの任免については具体的な手続が全く規定されておらず、事実上主務大臣の裁量によって任命できることになり、大学の自立的な運営に重大な悪影響を及ぼすおそれがある。この点についても「中間報告」および「検討の方向」は十分に論じてはいない。

(三)「業務運営」に関して
 「通則法」によれば、各独立行政法人の業務の範囲は個別法で定めるとあり、また法人の業務は個別法令で定める本来業務、付帯業務に限るとされる。この点について、「中間報告」および「検討の方向」は、業務の範囲は大学が、教育研究の遂行に支障が生じない範囲内で、大学としての目的を達成するために必要な業務について、できる限り広範に展開できるように配慮するとしている。しかし、法律によって各大学ごとの業務をある程度具体的に規定するとある以上、大学間の業務範囲に差異があることは当然の前提とされている。「中間報告」および「検討の方向」もこの点について容認しているが、これでは大学の自主的な業務運営について「十分な配慮」を果たしているとは言えない。
 理由を指摘すれば、1998年10月の「大学審答申」をもふまえるならば、こうした規定を設けることによって、大学の種別化が、ひいては役割の固定化がもたらされることが十分に予想されるからである。たとえば、研究に専念する大学がある一方で、もっぱら高度職業人養成をその役割とする大学、さらに教養教育、生涯教育をその役割とする大学に種別化が進められるおそれがある。すでに文部省は平成12年度概算要求において、教官当および学生当積算校費を廃止し、大学の種別化による重点配分政策を推し進めることが可能となるシステムを盛り込んだ。独立行政法人化が、こうした大学の種別化=重点配分策をさらに推し進めることは十分に予測される。こうした状況の中で、こと地方国立大学の業務範囲は不本意な業務に限定され、それを前提とした中期計画が設定され、それに基づいて評価がなされることになる。本来、大学における研究教育活動は、創造的かつ総合的な性質を持っているのであり、業務の範囲の固定化は学問の活力を阻害するばかりでなく、教員の学問的な主体性や意欲を損なう結果につながる。この点は、本来、業務の範囲を確定しやすい実施部門を念頭において設計された独立行政法人制度が大学になじまない本質的な問題の一つである。

(四)「中期目標」「中期計画」に関して
 「通則法」は、主務大臣が3〜5年の期間の中期目標を定め、各法人に指示し、公表するとしている。しかしながら、大学の教育研究はIでも述べたように決して3〜5年の間で評価できるようなものではなく、その目標や達成期間は教育研究のそれぞれの特性に応じて、主体的に定められるのでなければならない。「通則法」の定める中期目標期間に大学が拘束されるとすれば、短期的かつ比較的に達成の容易な研究ばかりが行われるようになり、基礎研究をも含む学問研究の健全な発展に重大な悪影響を及ぼす。文部省の「検討の方向」はこの点について考慮し、中期目標期間を5年とする一方、中期目標を定めるに際しては各大学の教育研究の長期的な方針を配慮すべきであるとし、また各大学からの事前の意見聴取および協議する義務を課すなどの「特例措置」を設けることとしている。「中間報告」も同様の立場をとっている。しかし、その「配慮」の主体は主務大臣であり、事前の意見聴取や協議の結果が中期目標の策定内容に反映されるという保障はなにもない。このような「特例措置」をもってしても、「通則法」による「中期目標」「中期計画」のもとでは、大学が主体的に教育研究を行うことは困難である。この点もまた、本来、業務の範囲を確定しやすい実施部門を念頭において設計された独立行政法人制度が大学になじまない本質的な問題の一つである。

(五)「評価」に関して
 「通則法」では、年度計画、中期計画等の実施状況や達成状況を評価するために、主務省に外部有識者等からなる「評価委員会」を設けるとしている。「評価委員会」は、毎事業年度および中期目標期間の終了時に各法人の業績の全体について総合的な評価を行い、そうした評価結果は各法人に伝えられるとともに、業務改善勧告を行うことができるものとされる。さらに、中期目標期間終了時に主務大臣が各法人の組織・業務の全般にわたる検討を行い、その結果に基づいて組織改廃等を含む所用の措置をとるとされるが、その際に主務大臣に対して意見を述べるものとされている。この「評価委員会」に期待されているのは、主務大臣が単独で独立行政法人の業務を評価することに一定程度制約を設け、多角的な評価を可能にすることである。この点について、「中間報告」「検討の方向」は「特例措置」の一環として、「評価委員会」は、教育研究に関わる事項については、大学内におかれる自己評価、および設置が予定されている「大学評価機関」などの第三者評価機関の評価結果を尊重して、意見を表明すべきであるとする。この限りで、大学における教育研究の特殊性に鑑み、それぞれの分野の専門性を業務実績に関する評価に反映させようとする努力は認められる。
 しかしながら、「中間報告」では、評価組織の機構そのものが「通則法」で定められているものをそのまま踏襲しており、ただ主務省の評価委員会の審議が大学の自主性を尊重することを要望するにとどまっている。そもそも、「通則法」が独立行政法人の業務の効率化、それも行政コストを削減するという方向での効率化を目指すものである以上、大学の業務実績に関する評価が多角的で専門性を反映したものになるとは考えにくい。「評価委員会」が財界人等外部の有識者からなり、主務省の内部に設けられるというところからしても、多角的で専門性を反映した評価は著しく困難であると思われる。むしろ、定型的・数量的な評価が重畳的に行われることになり、大学における研究教育の自主性が著しく損なわれることが予想される。
 しかも、「通則法」によれば、これに加え、総務省に設置される「審議会」が中期目標期間終了時に各法人の主要な事務・事業の改廃に関して主務大臣に勧告することができるとされているが、これによって、大学の教育研究の自主性は輪をかけて制約を受けることになる。総務省は中央省庁改革推進の主体となることが予定されており、そのような機関による評価への介入がある限り、「中間報告」「検討の方向」の「特例措置」によってこうした弊害を除去することは事実上不可能である。この点もまた、「通則法」による独立行政法人制度が大学になじまない本質的な問題である。

(六)「財務および会計」に関して
 「通則法」によれば、独立行政法人の会計は原則として「企業会計原則」によるものとされる。これについて、「中間報告」「検討の方向」は、国立大学の教育研究の特性を踏まえ、企業会計原則の適用の範囲について限定すべきであるとし、委任経理金制度等の特例措置など現行国立学校特別会計制度のメリットは維持されるべきものとしている。
 しかしながら、IやIIで述べたように、「企業会計原則」の導入は、短期的かつ実収入に結びつく実利的な成果を追求する結果をもたらす危険がある。その結果、わが国における全国的な高等教育の機会均等の保証や、学問諸分野の均衡ある発展を著しく阻害し、これまで地域の行政・産業・文化の発展について学術的に重要な貢献を果たしてきた地方国立大学の活動基盤を大きく損なう可能性が高い。企業会計原則の導入は、このような問題をはらまざるを得ない。
 翻ってみれば、私立大学においても収益事業は教育に支障がなく、当該学校の経営に充てるという条件付きで企業会計原則が認められているにとどまり、大学の公共的な性格に配慮がなされている。独立行政法人の導入=企業会計原則の導入は、私立大学をも含めて、およそ公共的な性格をもつ高等教育機関を破壊するものであり、その適用は不可能であると言わざるを得ない。「企業会計原則の適用を限定する」というにとどまらず、その導入それ自体について根本的に見直すべきなのではないか。この点において、「中間報告」「検討の方向」は重大な問題をはらんでいる。この点でもまた、独立行政法人制度は大学に本質的になじまないと言える。

(七)「人事管理」に関して
 「通則法」によれば、独立行政法人の役員および職員の身分は「国家公務員型」と「非国家公務員型」に分けられるが、文部省の「検討の方向」による限り、国立大学の役員、教職員の身分は「国家公務員」であるとされ、教員に関しては原則として「教育公務員特例法」を前提に、適用すべき範囲を検討するとされる。「中間報告」の立場は必ずしも明らかではないが、文部省の「方向」と基本的に同様であると考えられる。
 なるほど「検討の方向」は「特例措置」としてできる限り「教育公務員特例法」の趣旨が実現されるよう努力しようとしているが、しかし、教育公務員特例法の全面的な適用を約束するものではない。そもそも憲法の定める「学問の自由」とそれに基づく「大学の自治」は、教育公務員特例法による教員の身分保障を実定法上規定することで担保されているのである。この制度の存続と全面的適用は大学にとって本来確保されるべき条件である。
 さらに、文部省の「検討の方向」によれば、「法人間の異動を促進する」ということが念頭に置かれているが、これは大学の種別化にともなう教員の再配置に結びつく懸念がある。再配置後の新採用は非公務員型になることも予想され、教職員の身分保障は必ずしも十分にはかられてはいない。この点でもまた、独立行政法人制度は大学には基本的になじまない。

おわりに
 以上、現在まで検討されてきている独立行政法人制度をめぐる諸プランの主要な問題点について考察し、大学における教育研究活動の自主的な発展にとって必要な措置について種々提言をおこなってきた。
 これまでの考察からあきらかなように、「通則法」に対する「中間報告」および「検討の方向」の「特例措置」等はきわめて不十分である。「中間報告」および「検討の方向」が独立行政法人制度の本質的な問題を結局クリアーできていないことはあきらかである。また、「中間報告」は、個別法による特例措置でではなく特例法で独自な法体系を提案することをめざしたものだと受け取られているが、その内容をみる限り通則法とは異なる独自な法体系を提示できていない。
 いくつかの個別的な修正では独立行政法人制度の本質はなかなか克服できず、現状では大学の設置形態の一プランとして独立行政法人制度を構想すること自体が根本的に無理であると考える。
構想の固まっていない独立行政法人化にとりあえず賛成し、今後制度の改善をはかっていくという路線は、現在の政局のあり方からも極めて危険であり、わが国の高等教育・学術研究に責任をもつ者として、こうした路線に安易に乗ることはできない。高等教育の機会均等の保証を望む国民の立場からも、独立行政法人化は問題が多く、この点について大学はひろく世論に訴えかけ、わが国の高等教育・学術研究の将来にとっていかなる設置形態が望ましいのかに関する本質的な議論を展開していくべきである。
 以上で指摘した問題をふまえて、学長は、「通則法」はもちろん、文部省の「検討の方向」、そして国大協第一常置委員会の「中間報告」を採用することができないことを国大協において表明し、将来のわが国の学術研究・高等教育のあるべき姿をどう考えるか、という原点に立ち戻って再検討・提言をおこなっていくことを主張すべきである。
 学長および評議員は、地方総合大学としての均衡ある発展をめざすという立場からこの問題を本質的に議論・検討する過程を十分にとることを望むものである。
----------------ijou desu---------------


目次に戻る

東職ホームページに戻る