独行法反対首都圏ネットワーク

「国立大学の独立行政法人化」
京都大学教授 柏倉 康夫
(1999.10.19 ラジオ日本<NHK海外向け日本語ラジオ放送>)

 有馬朗人(ありま あきと)前文部大臣は、9月20日に、国立大学を独立行政法人にするという方針を明らかにいたしました。そして、そのための特例措置や法令を、できれば来年の春までに決めたいという考えを示しました。こうした文部省の方針に、大学では今、戸惑いと反対の声が上がっております。
 独立行政法人というのは、国の行政機関のうちで、企画や立案を担う部門以外の、事務的な業務を行う部署を法人にするというものであります。これによって行政をスリム化、そして効率化しようということで打ち出されました。文部省の原案の骨子は、99の国立大学それぞれを一つの独立行政法人とする。そして教官と職員は国家公務員とする。学長の任免は大臣が行うけれども、大学からの申し出に基づくことを特例措置として法令に規定する。大学は、中期目標を立てて大臣の承認を得なければならない。その目標期間は5年とする。目標達成の評価は大臣が行うけれども、その際、新設する評価委員会の評価結果を踏まえて行う、等々でございます。
 国立大学の学長たちで作っている国立大学協会は、平成9年11月に、いち早く国立大学の独立行政法人化に反対するという声明を出しました。その主な理由は、独立行政法人というのは定型化された業務を短期間で効率を評価しようとするものであって、個性的な教育や自由闊達な研究を長期的な観点から展開しようとしている大学にはふさわしくないというものでありました。この考えは今も変わっておりません。
 そもそも文部省は最初、効率性の追求というのは教育・研究の水準低下を招くとして強くこれに反対いたしました。しかし、その後、国家公務員の定員を2001年から10年間で25%削減するということが決まりました。そうなりますと、国の行政機関の中でおよそ12万5000人の職員あるいは教員を抱える国立大学を対象にしなければこの目標が達成されないという判断から、文部省は姿勢を変えまして、国立大学の独立行政法人化を受け入れたと言われております。
 私が懸念するのは、短期間の目標の設定、それの評価といった部面でございます。例えば、今、文学部というのは、実学とは遠いところの学問をする所でありますけれども、明治時代、そもそも文学というのは広く学問あるいは学芸を指す言葉でありました。ですから、文学部の「文学」というのは、狭い意味での文学研究だけではなくで、言語・政治など全てにわたる学を研究して身につけるということを目標にしてまいりました。そして、こうした分野での研究で一定の成果を得るというのは、大変多くの年月が必要なのであります。研究や教育の目標が時代によって変化していく、これは当然のことですけれども、
それにしても今日の変化を求める声は、あまりに性急に効率化を求めていると思えてなりません。その結果、教養を育むという教育の非常に大切な側面が抜け落ちつつあるのではないかという気がいたします。
 私は、こういう時代だからこそ、若い人たちに哲学教育、「ものを考える」という教育をすべきだと思います。日本の大学で哲学科あるいは哲学の講座を持っている所は、国立大学99のうちに15校。それから、私立の440校余りの中で19校だけであります。フランスでは、文学者のポール・バレリーという人は、1920年代に早くも、こうした人文的な教養というものが不要になりつつあると警告を発しておりました。彼によりますと、科学という実用的な知識の力が世界を制覇して人間の環境を変えていく結果、必要とされるのは計量できるもの、検証できるものであって、それが価値があるとされて、暖昧なものは非合理だとして排除されるということをバレリーは言っております。今日の状況というのは、まさにバレリーが予言したような状況になりつつあると私は思います。
 一つここで指摘したいのは、日本が高等教育に投じているお金というのは、対GDP・国内総生産の0.5%にしか過ぎません。これは先進各国の半分であります。国立大学の自己改革というのは必要ですし、今それを行っております。しかし、それが不十分だという声があるのも十分承知しておりますけれども、国立大学を独立行政法人にするという発想には、日本の将来の教育をどうするという、そういう観点からの議論が欠けているように思えてなりません。21世紀の教育のあり方、それを拙速で決めてはいけない、そのように思います。



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