独行法反対首都圏ネットワーク

個性化へ競争基盤確立を
画一的教育 脱皮が必要
(1999.10.25 日本経済新聞「オピニオン解説」)

 文部省による国立大学の独立行政法人化容認は、これまで国公私立という設置形態の違いで財政配分や制度上の格差をかかえてきた日本の大学が新たな個性化へ向け、教育研究の競争基盤を確立する好機である。省庁再編に伴う行政のスリム化の流れから生まれた動きだけに「組織防衛」の消極論が現場には根強いが、一握りの国家エリート養成を目指した国立大モデルにいまも依拠する高等教育政策と成熟した高学歴社会のミスマッチは歴然としている。

<国立大学の独立法人化>
 中央教育審議会は約三十年前の一九七一年、国立大学をそれぞれの目的・性格にふさわしい方向に改革するため「一定額の公質の援助を受けて自主的に運営し、それに伴う責任を直接負担する公的な性格を持つ新しい形態の法人」への転換を答申した。八〇年代の臨時教育審議会でも特殊法人化が論議されたが、大学改革の根幹の問題にもかかわらず先送りされてきた。

<不可解な格差>
 国立大が抱える教職員は十二万五千人と、郵政事業に次ぐ規模にのぼる。国家公務員の定数削減を進める政府の方針に文部省だけが抵抗できないという判断が法人化容認へ転換させた。
だが、それとは別に国の保護と規制の下で予算、人事、組織が硬直化し、教育研究に競争原理が働きにくい国立大学の存在が日本の高等教育の矛盾を広げていることに留意すべきである。
 現在全国で六百二十三ある大学のうち、国立大は約一六%に過ぎない九十九校。五割に迫ろうという大学・短大進学率に象徴される戦後の高等教育の普及が主に私学に担われ、かなりの部分が国公立とそん色ない社会的評価を形成していることは認めても良い。
 それにもかかわらず、高等教育への公の財政支出が国立中心に配分され、設備や教員の研究費ばかりか、学生に投じる教育費なども大学の設置形態で大きな格差があるのは不可解だ。
 国立学校特別会計に一兆五千億円が投入されているのに対し、私立大学への補助金は全体で三千億円。日本私立大学連盟の調査では、九七年度の学生一人あたりの教育費は国立で三百六十三万八千円だったのに対し、私立ではその半分に満たない百三十四万九千円。私学国庫補助の是非論はおくとしても、この不均衡は公正な競争基盤のもとで是正されるべきだ。
 先に文相が表明した国立大法人化案では、現在すべていったん国庫に納めている授業料などを企業会計原則に従って各法人の収入に直接計上するなど大学の自主性を高める改革を打ち出した。半面、一般行政事務の効率化を目的とした独立行政法人通則法がそのまま大学経営に当てはめにくいとして、多くの特例を法で保障するよう求めている。

<形式化危ぶむ>
 「文部省が大学の中期目標を定める際には各大学から事前に意見聴取する」「大学の業績評価は大学関係者が参加する第三者機関の意見を尊重する」など特例の内容は広範囲にわたる。その上、具体的な運用のイメージに不明の部分が多く、現状維持の形式的な法人化を危ぶむ声も多い。
 法人の性格を大きく左右するのは、中期目標の設定や運営交付金算定の根拠としての業績評価を受け持つ「大学評価・学位授与機構」の構成である。現在の学位授与機構を改組して来春発足するこの機関が、多様な社会のニーズに基づいて教育研究の水準向上や個性化へ向けた大学の経営努力を判定し、競争的な環境へ導く誘因として機能しなければ、その存在を問われることになろう。
 新たな機構が欧米の大学で教育費用配分や社会的評価の物差しになっているアクレディテーション(外部評価)を大学全体の経営の「土台」として根付かせることができるか、あるいは旧来の予算配分機能を担うだけにとどまるかで、大学法人の姿は全く変わる。
 国が大学行政のよりどころとしてきた学生定員管理から退場しカリキュラムや経営規模の設計を法人に任せることになれば、公私立を含め大学全体に個性と教育内容で学生のシェアを競う土壌が広がるはずだ。少子化のもとでの大学進学率の上昇という中長期の動向を踏まえて二〇〇九年度に志願者全員が大学入学可能になるとの文部省の試算は、国の管理のもとに学生定員を配分することで大学全体が生き残るという護送船団行政が行き着いた一つのシナリオである。

<大学統廃合も>
 大衆化した日本の大学は画一的な教育研究から脱皮、設置形態 の違いを超えてエリート育成型、高度な職業人育成型、生涯学習型など機能に応じた個性化ヘ向けて競争を迫られている。経営規模を含めて設計が個々の大学の自己責任にゆだねられることになれば、そのプロセスで体カ的に見劣る一部の大学が統廃合や学費の値上げを余儀なくされる場面も想定される。だが、それは大学の競争と進化に伴うやむを得ない現実だろう。
 法人化に反対する国立大学協会は先にまとめた中間報告で、国立大固有の役割について「全国各地域における高等教育機会の保障」や「民間の発意に期待しがたい基礎的研究の継承」などを強調している。効率性になじまないために国家が直接担うべき分野はもちろん残るし、GDP(国内総生産)に占める割合で経済協力開発機構(OECD)加盟国中最低水準という高等教育への財政支出の底上げは、大学改革の前提である。
 しかし国立大学法人化が高等教育全体の財政配分の適正化を促し、競争を高めて新たな社会的機能を見いださなければ、次世代の大学像は見えて来ない。
(編集委員 柴崎信三)



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