独行法反対首都圏ネットワーク

国立大法人化・国家百年の大計、大丈夫か
(1999.9 [he-forum156]9月22日琉球新報社説)

『琉球新報』9月22日付社説です。
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国立大法人化・国家百年の大計、大丈夫か

 国立大学の独立行政法人化問題について文部省はこのほど一定条件を付して案をまとめた。二〇〇〇年四月をめどに独立行政化を決める方針だ。しかし、政府、自民党や国立大学協会との調整が残されており、とてもすんなりとはいきそうにない。
 今回示された文部省案は、自らの砦を確保するための条件闘争と言っていい。人事や研究・教育に対する評価など大学の自治を確保する特例措置が前提とはいえ、職員の身分は異動を念頭においた国家公務員。また、学部、研究科の設置・改廃の根拠となる中期目標は主務大臣が各大学から事前に意見聴取することになっており、大学の自治尊重というより、文部省の権限の継続といった感が強い。
 小渕内閣が行政改革の目玉として国家公務員定数を二〇〇一年からの十年間で二五%削減する方針を打ち出したことから文部省は「背に腹は変えられず」、先手を打って、法人化反対から条件闘争へと作戦を変更した。独立行政法人になれば、国家公務員の総定員法でいう定員には含まれないからだ。
 このため、自民党からは「抜本的な見直しをする気が本当にあるのか」と厳しい指摘がなされている。
 独立行政法人化の真の狙いは効率性を高め、行政組織のスリム化を図ることである。しかし、もともと文部省のスタンスは「教育・研究は効率性の観点になじまない」というもの。中央省庁改革推進大綱でも大学法人化の結論は二〇〇三年までに出すはずだった。この考え方は大いに理解できる。それなら、そうで、最後まで主張すべきではなかったか。
 今回、国家公務員の定数削減に沿う数合わせのために、従来の主張が雲散霧消してしまった。国家百年の大計は人材を育てることにあるといわれる。教育に金がかかり、多少の無駄があったとしても国民の多くは理解を示すのではないか。
 大学改革はまだ、道半ばである。小手先のごまかしよりも、改革そのものに真剣に取り組むべきであろう。


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