独行法反対首都圏ネットワーク

主張
学問の衰退は国の将来ゆるがす
(1999.10.24 しんぶん赤旗)

 国立大学を廃止して独立行政法人にする見解を、文部省が国立大学長会議で表明しました。来年度の早い時期に結論をだすとして、国立大学関係者などへ働きかけを強めています。しかし、大学からは強い危ぐや批判の声がわきおこっています。

<教育・研究とは異質な制度>
 独立行政法人とは、自民党政府がすすめる“省庁改革”で、財政赤字を口実にした公務員削減と行政組織の「減量化」をはかるため、導入したものです。行政機関のおこなう事業を「効率化」することを目的に設立し、その業務計画は主務大臣が設定する目標にもとづき、その達成業績を国が評価します。「効率が悪い」とされた機関は改廃されるなど、民営化にも道がひらかれています。
 このように国の“監督と評価”の下で業務の遂行が求められる制度は、教育・研究をになう大学にはまったくなじまないものです。文部省は、「特例措置」をとることによって大学の自主性を保障するといいますが、これも制度の基本的枠組みをかえるものではありません。大学での学問研究は、それぞれの学問がもつ特性にもとづいて発展するものです。これを独立行政法人化すれば、政府が求める「効率性」の基準によって教育・研究が大きく左右され、「学問のリストラ」ともいうべき重大な問題をひきおこします。
 多くの学識者が「採算がとれない哲学や文学、数学などの基礎学問は大学から消えてゆく」(阿部謹也共立女子大学長)などの強い危ぐを繰リ返し表明しているのも当然です。二十一世紀にむけて学問、文化がもつ豊かな発展の可能性がつみとられ、衰退の道を余儀なくされることでしょう。それは、「学問の自由」を保障した憲法の精神にも反します。
 また、国立大学を廃止することは、高等教育への国の責任をいっそう後退させ、教育の機会均等や国民の教育をうける権利を脅かします。たとえば、文部省の見解では、授業料が法人ごとに決められることになり、「採算をとる」として学部によって高額となる道がひらかれます。
 さらに、いまは一律の基準で国から交付される教職員の人件費や、基礎的研究教育費である「教官当たり積算校費」が、運営交付金として国の評価によって配分を決定されるようになります。そのため「業績が悪い」と一方的に評価された大学では、人も予算も切り縮められ、教育条件のいっそうの劣悪化や、廃校ともなりかねません。これらは、高等教育の充実という国民の期待をも裏切るものです。国公立大学は、私立大学よりも相対的に安い学費を保障し、先端的な研究やそれぞれの地域の教育に貢献するなど、国民の共有財産として大きな役割をはたしています。それは、私立大学の個性的な教育・研究ともあいまって、全体として国民の期待にこたえる高等教育を担っています。これらを充実させるために、高等教育全体への国の支援を思い切って強めることこそ求められています。

<世界の流れにも反する>
 これまでも自民党政府は、高等教育への国民の期待に背をむけつづけてきました。その結果、わが国の高等教育費にしめる公費負担の割合は、諸外国に比して極端に低い水準にとどまっています。いま、世界的には高等教育への国の支援を強める方向にあり、ましてや、独立行政法人のような制度を大学に導入する国はありません。
 二十一世紀にむけて、わが国の社会発展の知的基盤を強めることこそ、世界の流れにもそった国民的な課題です。そのために国がはたすべき責任を放棄し、社会の基盤を危うくするような国立大学の独立行政法人化という「愚挙」を、政府はただちに断念すべきです。



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