独行法反対首都圏ネットワーク

独立行政法人
国立大徹底改革の視点で
(1999.9.21 毎日新聞社説)

 国立大学の独立行政法人化が、現実味を帯びてきた。
 独立行政法人化は、大学の教育・研究水準の低下、弱体化を招くとして強く反対してきた文部省は20日、「自主性・自律性と自己責任を基本とする教育研究の特性に十分配慮した特例措置が必要」との見解を提示した。条件闘争に切り琶えたと受け取れる。
 国立大学協会第1常置委員会も、独立行政法人化する場合は、通則法の特例を定めた法律、または通則法とは別の法律の制定が必要、とした中間報告を、すでにまとめている。
 今後、独立行政法人化を前提とした議論が一挙に進むことになるが、大切なのは、護送船団方式のもと、ぬるま湯に漬かったような体質をぬぐいきれないでいる国立大学の改革が不可欠であり、急務でもあるとの認識を出発点とすることだ。
 定型化された業務について短期間で効率を評価しようとする独立行政法人は、確かに国立大学にはなじまない面がある。しかし特例措置の対応のみで済ますならば、現状と何も変わらないことにもなりかねない。
 21世紀の日本と大学のあり方を見据えた長期的な、根源的な「改革」論議を尽くすことが、今求められる。
 独立行政法人制度は、省庁再編に伴う行政スリム化の過程で、大学改事論議の枠の外から浮上してきた。民間の経営手法を取り入れるなど効率、成果がキーワードで、通則法は「主務大臣による中期目標の指示、中期計画の認可」 「法人の長は主務大臣が任命」などを定める。
 日本の大学が、多くの問題を抱えているのは事実だ。臨時教育審議会はすでに1987年に国立大学の設置形態について抜本的検討を行うように答申している。その後大学設置基準の大綱化などの改革が進められてきたが、決して十分とはいえない。特に設置形態については何も手がつけられてこなかった。今回の外からの提案は、そのツケが回ってきたといえるが、それでは独立行政法人化、特に通則法を厳密に適用した独立行政法人化がベストかというと、そうは言えない。
 既に独立行政法人化が決まった、例えば国立青年の家と、国立大学を同じ通則法で規定するところに無理がある。通則法が掲げる数値による中期目標の設定や、主務大臣による認可・評価などの制度は、大学にふさわしいものではない。その意味では文部省や国大協が求める特例措置は、理解できなくはない。
 ただ難しいのは、これまでの改革論議の経緯から、特例措置の要求は国立大学の既得権の擁護、抵抗と受け取る向きが決して少なくないことだ。文部省、国立大学は、そこにとどまるのではなく、更なる改革を進めていくのだという意思と具体策を提示していくことが必要だ。
  国立大学は、現行体系においても予算、人事など広範な分野で文相の指揮下にある。自主・自律、自己責任を発揮するためにも、法人格を持つ選択はありうる。どの設置形態がいいのか、今回の独立行政法人論議を機に、徹底的に詰めてほしい。
 これからの社会は、文化、科学技術がますます重要になる。その発展に中核的な役割を果たしていかなければならない大学のあり方は、新世紀の日本の命運にもかかわる。未来に禍根を残す選択だけは避けたい。


目次に戻る

東職ホームページに戻る