独行法反対首都圏ネットワーク

緊 急 声 明
大学独立行政法人化反対を堅持し、根本的議論の新たな開始を!
―国大協臨時総会にあたり学長諸氏へ緊急に訴える―
(99.9.13  独立行政法人化反対首都圏ネットワーク事務局)

 国大協臨時総会は、第101総会(1997年11月)で、「現在の独立行政法人案を国立大学に適用することに反対する」と全会一致で議決した。本来ならば、この議決によって独立行政法人化(独法化)問題は決着したはずである。しかし、政府自民党等、本年初頭からは文部省も加わって独法化という不当な圧力を国立大学にかけ続けるなかで、さる6月、国大協総会は第1常置委員会に独法化問題の検討を付託した。その結果は9月7日の第1常置委員会においてまとめられ、「国立大学の独立行政法人化問題について」(中間報告)《以下、「中間報告」と略す》として既に全大学へ送付されている。「中間報告」は本日13日の国大協臨時総会に提出されるが、果たしてこの「中間報告」は、厳しい情勢と切り結び、国立大学を真に日本社会と人類に貢献するものへと変革していく道筋を提示しているであろうか。端的に言って、否である。

1.独法化は国立大学制度の廃止を意味する

 「中間報告」では、国立大学の独法化が、「現行の国立大学の業務・組織について、それを国の事務ないし国の施設として位置づけるのをやめることを意味する」(2.1)と述べ、「国立大学という社会的に重要な制度についての根本的な変革である」(2.2)との認識を示している。すなわち、個々の国立大学にとっては独法化は国立であることを「やめる」ことであり、独法化された大学の存在は制度上の「根本的な変革である」ということを指摘している。まことにその通りである。独立行政法人化とは、ほかならぬ国立大学制度の廃止である。しかし、そうであるならば、この「中間報告」は、国立大学制度という重大事にどのような態度を表明すべきと提起しているであろうか?
 国立大学制度を維持すべきとの表明はなされていない。それに替わる新たな大学制度、これは当然にも、国立大学のみならず、公立大学、私立大学を含めた日本の大学全体に関わるものとなるが、それが提起されていることもない。このことの検討を開始しなければならないとの意見表明もない。少なくとも、独法化によって、本質議論抜きに、将来の社会の命運にも関わる大問題をなし崩しに強行しようとする愚行を制止する強烈な態度を表明すべきであるのに、それもない。
 1872年の学制制定、1886年の帝国大学令から100年以上にわたって形成されてきた歴史的な財産である国立大学とそれを保障してきた制度の廃止という重大問題であることを、この「中間報告」は、降りかかってきた独法化問題を「特例法」で乗り切ろうとすることに気を取られ、すっかり忘れ去っている。あまりに杜撰で無責任と言わねばならない。国立大学が、「知性の府」であることに矜持を持つのならば、このような歴史に恥をとどめる姿勢は直ちに捨て去らねばならない。
 「中間報告」が棄却されねばならないのは、何よりもこの故である。

2.根本的問題は未だ検討されていない

 「中間報告」は、その内容においてあまりに検討が未成熟である。冒頭の「検討の経緯」ならびに「1.はじめに」の項で述べた独法化反対の立場に徹する議論とそれに基づく政策展開になっておらず、様々な次元の方策、願望の寄せ集めと羅列に留まっている。明確な分析と論理展開がなされていない。
 何よりも、今回登場した独立行政法人制度に関わる根本的問題が未検討のまま放置されている。
 まず第1に、制度設計上対象外であった大学に独立行政法人化が押し付けられようとしている政治状況への批判的分析がなく、これを不変の与件としている。しかし、多少とも分析的に見れば、大学独立行政法人化が25%定員削減の数合わせのために、それを一方的に大学に押し付けるものであり、結果的に全省庁内局を「無傷」状態で守ることに貢献するものであることは明白である。これに対して、国家の財政問題と25%定員削減政策への分析・評価を大学の立場から独自に行ない、それを批判するべきである。
 第2に、独立行政法人制度が、本来想定されていなかった大学などに適用されるため、大学を決定的に破壊するという制度的誤りに関しての全面的かつ厳密な分析がなされていない。通則法下の大学は、文部科学省の下部組織としての官庁組織に変容し、これは大学の死を意味することが認識されていない。このため、通則法が大学に適用されてはならないという、基本的立脚点が不鮮明になっている。実際、叙述が進むにつれて、通則法が原則的に適用された中での個別的修正の論議に堕していく。例えば、「7.評価に関する諸問題」においては、評価組織の機構そのものが通則法で予定されているものと全く同じであり、ただ、主務省の評価委員会の審議が大学の自主性を尊重することを要望するにとどまっている。また、「中間報告」中の図説では、総務省におかれる審議会について「必要に応じ意見表明」としているが、通則法第35条3項が規定する重大な勧告権「審議会は、独立行政法人の中期目標の期間の終了時において、当該独立行政法人の主要な事務及び事業の改廃に関し、主務大臣に勧告することができる」が示されていないし、総務省の「審議会」の評価に対する批判は述べられてもいない。
 第3に、独法化攻撃の下にある大学が、どのような基本スタンスを取ってこれに対処するかの立場の不鮮明さである。
 「中間報告」は、三つの可能性を挙げる(2.1)。(1)通則法での独立行政法人化、(2)通則法の適用もないが、私立学校法による学校法人でもない特別の法人制度の創設、(3)現行の国立大学制度の維持。「特例法」という方式をを採用するのならば、(2)の特別の法人制度の創設がそれに本来該当するはずだが、論述を見れば明白なように、これは採用されていない。現行の国立大学制度の維持を主張していないことは先に触れた。
残るは通則法下の独法化になるわけだが、これは元来97年11月の国大協総会で反対の態度を表明している。「中間報告」のスタンスがどこにあるかは分りがたい。曖昧なのである。これでは、議論が核心の周辺でうろうろすることになる。
 第4に、通則法修正型の特例法という立法措置が「中間報告」の目玉とされているが、この最も肝要な措置について、厳密な設計、構造が提示されていない。通則法による大学破壊を阻止するには、「特例法」的立場から見ても個別的修正や緩和措置ではなく、はっきりとした別体系の特例法を設定・対置しなければならないが、ここが不鮮明であることは「中間報告」の致命的弱点ともいえよう。方針提起たり得ていないのである。
 第5に、財政問題についてはかなりの紙面を割いているものの、要望と極めて素朴な財源構想の羅列に過ぎない。国立学校特別会計制度の維持などの要望は、残念ながらおよそ政策的検討の名にさえ値しないほど空疎な内容となっている。

3.危険なシナリオ

 根本的問題を未検討のまま放置することは、外圧に抗して大学の未来を守る論理を持ち得ないことを意味する。大学は今や危急存亡の時を迎えているのに、それでは、算を乱して独立行政法人化への道に雪崩れ込む危険すら存在する。「中間報告」が、一貫した立場と論理を明確にし得ていないため、これが取りあえずではあれ、国大協の公式の見解を構成するようになると、「何でもあり」の状況が生じる。
 シナリオはこうなる。
 まず第1に、「防波堤」の瓦解である。文部省は個別法内の特例措置で独法化を進めようとしてきたが、これに対して国大協は通則法修正型の特例法を1つの防波堤として持ち出してきたと考えられる。しかし、国大協が求める特例法の構造は、まことに明確でない。個別法での修正との区別は、判然としない。これでは、9月7日「東京新聞」が報じるように、文部省が特例法検討で「譲歩」した場合、通則法をなんら実質的に縛ることのできない特例法が成立する現実的危険性がある。さらに、もう一つの防波堤としている国立大学特別会計の維持等も、「一方で国立大学を離脱しながら財政制度のみ前制度維持というのは筋が通らぬ虫のいい要求」として一蹴されることも考えられよう。つまり、明確な分析を基礎にし得ていない「中間報告」の水準では防波堤にすらならないということだ。
 第2は、かつて国大協も懸念を表明したトップダウン的な大学運営方法が独法化を通じて進むことである。「中間報告」は様々な方策や願望の非体系的羅列によって構成されていることは先に指摘したとおりであるが、実はこのなかに国大協自体が危惧を表明してきたトップダウン的運営方法が堂々と組み込まれている。例えば、「5.組織」の中の図には学長の下に、98年大学審答申では提案されたが、その後の法制化では取りやめになった「運営会議」が置かれており、しかも、評議会や副学長、運営諮問会議との関係が明らかにされていない。また、「6.運営に関する諸問題」においては、特に教員人事について「学長・学部長が必要に応じて方向性を示すことができる」とあり、これも、98年大学審答申の復活で、先の教育公務員特例法の一部改正では、「学部長が教授会で意見を述べることができる」にとどまった点である。更に文部省が設置しようとしている「大学評価機関」を無批判に容認している。こうして多くの大学から批判の起こった大学審議会の大学運営路線が、独法化を通じて貫徹されようとしている。
 第3に、独法化検討過程で大学の「多様化」準備が終了しよう。「中間報告」は、「4.法人化の単位と連携のあり方」のなかで、「現在の各大学ごとに法人化することを原則とするべきである」とはしている。しかし、「他の大学とともに新たな大学を形成」したり、「地域や分野、その他の関連性を基礎として、複数の大学が法人としては一個の法人を構成する」可能性を排除しないことを、それなりの紙面をさいて指摘している。一大学一法人の原則をはずした時、文部省が一貫して狙っている大学の「多様化・種別化」(大学審議会98年10月答申では、4種類の大学へ類型化)が容易に進行する状況が作られよう。ここでも、独法化を通じて大学審議会路線の遂行が企図されている。この「大学多様化」は個別法でどのように「業務の範囲」を規定するかによって法的にも確定することに十分警戒しなければならないことも指摘しておく。

4.「中間報告」を差し戻し、根本的議論の仕切り直しを求める

 「中間報告」には、独立行政法人化にかかわる様々な問題点が列挙されており、また、冒頭の部分では、これまでの到達点を踏まえた見地も明示されているが、極めて不十分である。疑問符を付すべき点はなお多数指摘できる。特に、「中間報告」が上記のような深刻な問題を抱えている真の原因は、独法化が国立大学制度の廃止に直結していることを直視せず、あれこれの対応策に腐心したからである。何よりも、このような形での国立大学制度の廃止論議を中止せよとの強い主張が、国大協としては必要である。そのためには、25%定員削減政策への分析や、独立行政法人制度の正確な分析と評価、通則法の大学への適用に対する体系的な批判などをもっと深く、早急に行うべきであろう。そこからしか、大学がこの問題に関して社会に発すべき言葉は出てこない。「中間報告」は、第1常置委員会に差し戻し、改めて、より根本的な討論に付すのが知性ある対処と考える。
 その上で、独法化が国立大学制度廃止に直結する社会の重大事に鑑み、全大学的な議論と、社会全体による検討を呼びかけるべきである。

5.9.20政治決着を拒否せねばならない

 周知のように、本臨時総会の後には、文部省による全国国立大学学長会議が9月20日開催される。自民党総裁選挙(9月21日投開票)を睨んだこのスケジュールは、8月19日付「読売」が報道するように、有馬文相による任期切れ直前の政治決着が目論まれていると見るべきであろう。同会議では、「来年度からの定員削減対象からはずすようにするから、とにかく国立という設置形態からの離脱を表明する」ことが文部省から求められるという情報もある。つまり、国立から離脱する表明によって、独法化への道を歩ませようとする戦術である。無論、現時点では、「中間報告」も言うとおり、国大協101総会決議を「撤回ないし変更する理由は見当たらない」。この立場を堅持すべきである。
 この段階で独法化もしくはそれへの一歩としての国立離脱表明は、決して許されるものではないことを重ねて強調しておく。
 議論は始まったばかりであり、ことは社会の未来のかかった重大事である。
 学長諸氏の賢明なる判断と行動を期待する。

独立行政法人化反対首都圏ネットワーク事務局
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