独行法反対首都圏ネットワーク

大学はどこへ 独立法人化の波紋 (上)
「上からの改革」に戸惑い
利害絡む国大協 「主体性失った」
(1999.9.22 [he-forum 131] 日本経済新聞21日)

佐賀大学の豊島です.

日本経済新聞9月21日朝刊(久留米で購読)の記事です.

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大学はどこへ 独立法人化の波紋 (上)
「上からの改革」に戸惑い
利害絡む国大協 「主体性失った」

 文部省が表明した国立大学の独立行政法人化の方針が波紋を広げている。国立大は新制大学の設置、大学紛争を巡る混乱に続く戦後第三の大波に直面するが、法人化は日本の高等教育にどんな影響を与えるのか。「行政改革の政治圧力が高まる中、もはや論理的な議論ができなくなっている」(立川涼・前高知大学長)との声があるように、終着点が見えないままの見切り発車との側面も否めない。利害の違いから一枚岩になれない国立大学協会、官僚組織の防衛に躍起の文部省…。法人化問題の内実を報告する。

 「国立大にとってはポッダム宣言の受諾。今後は砂をかむような敗戦処理が待っているだけだ」。二十日、有馬朗人文相の「法人化容認」の説明を聞き終えたある国立大学長はつぶやいた。「どうしてこんなことになってしまったのか」
 国鉄分割民営化とともに教育改革を目指した臨時教育審議会の議論を踏まえ、八七年に文相の諮問機関、大学審議会が設置された。以来十年余。「審議会の提言を受け、大学は改革に次ぐ改革を重ねてきた」(蓮実重彦・東大学長)はずだった。
 専門性重視による教養教育の解体、大学院の重点化…。しかし、それは予算配分を握る文部省の顔色をうかがいながら打ち出される〃上からの改革〃だった。こうした状況を東京外語大の岩崎稔助教授(政治思想史)は、「主体性を失った改革熱という病」と形容する。
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 一運の改革が成果を上げたのか、失敗したのかの検証すら行われないまま、待ち受けていたのは国立大の「解体」につながる独立法人化だった。「これまでの改革は何だったのか」と無力感を隠さない大学人は多いが、その場しのぎを続けてきたことの当然の帰結との厳しい声もある。
 法人化についての国立大学間の受け止め方にも大きな差がある。
 「今日は〃悲鳴〃を上げる学長もいた。何とか国大協に頑張ってほしいという声だが、国大協が今後、統一見解をまとめるとは思えない。法人化に前向きな大学もあり、一枚岩ではない」
 「絶対反対という立場ではない。二十一世紀にふさわしい大学のあり方として理屈が通るなら選択肢の一つ」
 「国立大は三つほどのグループに分裂するだろう。九十九大学がすべて法人格を持つことはできないのでは。必ずつぶれる大学が出てくる」
 二十日の学長会議を終え、出席者からはこんな声が聞かれた。
 先端の工学研究や付属病院を持つ一部の大学に、民間企業からの受託研究や特許料収入などでより自由な研究ができるとの期待感がある一方で、人文、教員養成系は外部資金が期待しにくく、生き残れないのではと不安感を募らせる。
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 「予算の単年度制が柔軟な研究体制の障害となっている」「事務機構に無駄が多い」など現在の国立大の問題点を痛感しながらも、国大協が各大学の総意をまとめ、主体的に法人化に対応できないのにはこうした事情もある。
 だが、個型大学の利害に目を奪われ法人化に背を向けてきた国大協の姿勢に問題はなかったのか。大学人の中にも「(法人化は)これまで大学が自らの意思で大学の在り方を真摯(しんし)に検討してこなかった怠慢によるもので、予期せぬ外圧としてとらえるのは適当でない」(西日本の国立大)との声がある。
 法人化に向け文部省が条件闘争に転じた中で、国立大が「大学の自主性を守る特例措置」を確保するには、その存在意義を国民に説明し、支持を得ることが不可欠だ。


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