独行法反対首都圏ネットワーク

国立大「法人化」論議をバネに
(1999.9.22 [he-forum123]9月21日愛媛新聞社説)

愛媛新聞社説です。「百も承知」ならもう少し言うべきことが
ありそうですが。

     1999年9月21日(火) 社説
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国立大「法人化」論議をバネに
 文部省は二十日、国立大学の独立行政法人化案を発表した。一言で言うと、大学の自治や学問・研究の自由は「保証」するものの、これまで以上に経営感覚をもって大学運営に当たり、結果として脱落する大学は淘汰されてもやむを得ない―とする内容である。
 独立行政法人とは、国が直接の実施主体とならないで事業を推進する機関で、行政組織のスリム化の一つとして導入のための通則法が先の通常国会で成立した。
 国立の美術館や博物館の独立行政法人化は決定済みである。
 さて、明らかになった文部省の国立大の独立行政法人化案は、人事や研究の評価などの面で大学の自治を尊重する特例措置を前提に、九十九の国立大すべてをそれぞれ一法人とするものである。
 文部省案によると、大学側は自らの権限と責任で運営に当たる結果、組織の編成や予算の執行などの面で、これまでよりも国の規制が緩和されるメリットは確かにある。大学の自立性・自主性が保証されれば、個性化による「魅力ある校風」の創出も期待できる。
 文部省は当初、国立大の独立行政法人化については「効率性追求は教育や研究水準の低下につながる」と消極的だった。反対の学長も多いなか、国立大学協会が大学の自治を確保するための特例措置の導入を前提に柔軟姿勢を見せ始めたのに合わせて「条件つき受け入れ」に踏み切ったといわれる。
 事実、文部省案は(1)評議会での学長選考を経て大学側の申し出により主務大臣(文相)が任免する(2)中期計画の基本となる中期目標(五カ年)を設定する際は、主務大臣が事前に大学側から意見聴取する(3)職員は公務員―などと、通則法にある「主務大臣の権限」の緩和に腐心した形跡が見える。
 しかし、こうした文部省の「抵抗」は、あくまでも行政改革の大波をかぶったなかでの対応策である。長期的スタンスに立たなければ成果の見えない教育や研究の成果と行政コストを重視する効率第一主義とは本来、相容れないにもかかわらず、今回の文部省案はほどほどのところで折り合いをつけたとの印象が強く、自民党筋の反発も予想される。
 それはさておき、独立法人化への対応のなかで、基本となるべき大学改革の視点が欠落していなかったかどうか。これまで入試改革や学部・講座の改変など数多くの改革が重ねられてきたのは事実だが、例えば教養部の改廃が予算獲得のための文部省向け「改革」だったと指摘もされたように、大学改革はいつも上滑りしてきた。
 国立大に限らないが、大学生の児童化などが懸念されるように、大学の大衆化がキャンパスに退廃をもたらした。その半面、少子化時代を迎えて国公私立を問わず、全国五百余の大学は例外なく生き残り策を真剣に模索している。
 国立大が行革の方便としての独立行政法人になじみにくいのは百も承知で言うのだが、とりわけ地方の国立大は法人化論議に絡めて自らの役割と存在意義を根本から見つめ直してほしいと思う。
 授業料収入は国庫へではなく大学当局に、公務員型とはいえ独自の給与体系による有能で魅力ある教官の招へい、産学協同の新たな展開―法人化で見えてくるプラスの側面が国立大の個性化・差別化に寄与し得る点も否定できない。
 「愛媛にある国立大から、愛媛でなければできない研究をする文化交流のキーステーションとしての大学へ」とは、さきごろ愛大教官らによって発足した愛媛地域文化戦略研究会の問題提起だ。地域が多様なら大学も多様であるべきだとの認識をまず共有したい。
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