独行法反対首都圏ネットワーク

国立大法人化
殻を破るきっかけに

(1999.9.16 朝日新聞社説)

 九十九ある国立大学を、国の直轄運営から切り離して独立行政法人にするかどうか。
 この問題をめぐって、国立大学協会が臨時総会を開き、独立行政法人通則法のもとでの法人化には反対する意向を改めて示した。
 併せて、仮に法人化するならば、大学の自主性を維持する法的枠組みが不可欠であるという委員会の中間報告を公表した。
 通則法によれば、主務大臣が中期目標を立て、法人はそれを実現するための中期計画をつくって大臣から認可を受ける。
 こうした仕組みは、長期的視点から教育と研究に取り組む大学にはそぐわない、というのが、委員会の主張である。
 もっともな指摘だと思う。大学は、その時々の政府とは一線を画し、自由に真理を探究する場でなければならない。
 議論の出発点が、そもそも変だった。
 中央省庁の再編案などをまとめた行政改革会議は一九九七年暮れに出した最終報告で、大学の独立行政法人化は慌てて結論を出すべき課題ではないと位置づけた。
 他方で、公務員の定員を二〇〇一年から十年間で一〇%削減するとうたい、目標はその後、二五%にかさ上げされた。
 国立学校の職員は十三万五千人で、公務員の中で飛びぬけて多い。この人々が公務員の枠組みの外に出なければ、削減目標の達成はおぼつかない。そうした経過から生まれた数合わせの印象がつきまとう。
 真の行政改革や大学改革をめざす立場から生まれた発想ではないだけに、大学側が反発するのも当然だ。
 とはいえ、法人化そのものを一概に否定する気になれないのも事実である。
 税金が投じられる以上、どんな目標のもとにどのような教育、研究をし、その結果はどう評価されたのかを国民に明らかにする責任が、大学にはある。情報の公開に積極的だったとは、とてもいえない。
 文部省の大学審議会は、いまの大学について次のような問題点を挙げている「教員の教育活動に対する責任意識が十分ではない▽教員から学生への一方通行型の講義がはびこっている▽成績評価が甘く、安易な進級・卒業認定がなされている▽教養教育が軽視されていないか――。
 筑波大学の学長を二期六年務めたノーベル賞物理学者の江崎玲於奈さんは、日本の大学がよくならない根本原因は、大学間に競争がないことだという。
 とくに国立大学は、教員の給料も全部文部省が管理して全国一律に配分する。大学として個性を出そうにも出せない仕組みが歯がゆかった、と振り返る。
 法人化が、大学に意識改革を促す契機となるなら、あながち無意味とはいえまい。より自由度の高い、特色の出しやすい組織に変わる努力を求めたい。開かれた大学をめざすべきことはいうまでもない。
 気になるのは、大学の法人化を進める政府や自民党の姿勢に、教育予算の削減を狙う思惑が感じられることだ。
 国内総生産に対する高等教育予算の割合は、先進国の中で日本が一番低い。大学の建物の老朽化も進んでいる。必要な財政措置を惜しんではなるまい。
 文化には、効率や市場原理に縛られない環境ではぐくまれてこそ、豊かな実りをもたらすという特性がある。
 法人化はあくまでも、高等教育を充実させ、文化の創造に寄与するものでなければならない。


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