独行法反対首都圏ネットワーク

社説 国の研究投資に必要な二つの視点
(1999.8.29 日本経済新聞)

 政府の科学技術会議が、科学技術基本法に基づく基本計画の改定作業に取り組んでいる。現行の基本計画は、最初の計画であり、一九九六年に閣議決定された。基本法の成立から計画の策定まで時間が不足したこともあり、実務的な内容にとどまっている。今回の改定作業こそ、本格的な計画を作るつもりで基本的問題から検討する必要がある。
 基本的な問題の一つに、国はどんな研究開発に投資(自ら実施することも合めて)するべきかがある。古くは、大学などの研究者が自由な発想から行う研究に広く、薄く資金を配分していた。しかし、最近になると予算の重点配分という大義名分で、プロジェクト型の研究開発に大きな資金を投入する傾向が強くなった。この傾向は現行の基本計画ができて特に顕著になった。
 本来、国が研究開発に投資するには二つの視点があると思われる。第一の視点は、社会が直面する問題を科学技術で解決したり、望ましい社会を科学技術で実現するためである。国など公的な機関が特定の日的を遂行するため科学技術に投資することに相当する。ユーザーの立場からの投資といってもいいだろう。

研究能力を高めるには

 第二は、日本という国の研究開発能力を高めるためである。社会の要請にこたえる科学技術力を維持するための投資と見ることができる。日本の知的水準の向上とか、必要な状況に備えるための投資である。
 プロジェクト的な研究開発とは、特定の目的を達成するために研究能力を結集することを意味する。ここから考えると、第一の視点で投資する場合はプロジェクト型が適していると考える。プロジェクトで実現すべき目的は、外交、福祉、環境、都市開発など、科学技術以外の立場から出てくるだろう。場合によっては日本の科学技術力を世界に示す目的も考えられる。
 第二の視点からの投資は、結集とか集中という概念とはなじみにくいだろう。それより多様性の確保、自由な発想、長期的視点、高度な専門性などが重視される。研究費にしても経常的経費とか、多額でなくともハードルの低い研究費が大切になってくる。もちろん、中には高額の研究設備を必要とする場合もあるが、それでも研究者からの発想が中心でなければならない。
 日本のプロジェクトは、これら二つの視点をあいまいにしたまま立案・実行されてきた。ある分野の研究能力を高めるはずの投資が、目的を持ったプロジェクトの衣を着ることも少なくない。社会に実現可能と思わせた地震予知計画などが一つの例であった。目的が漠然として、具体性のないプロジェクトも多い。取り上げようとする技術が先にあり、後から目的をこじつけるからだろう。
 だから、外国の技術にヒントを得てプロジェクトを立ち上げる傾向から抜け出せない。実現すべき日的より、技術課題が先行すれば、プロジエクトの中でその技術しか許容されなくなる。とっびなアイデアは許されないから、革新的なコンセプトは生まれてこなかった。プロジェクトが成功して目標を達成したのに、だれも直接の成果を利用しないといった事態も日常的に起こる。

コンセプトの公募を

 本来、研究能力を高めるための投資なら、専門性や先進性、長期的視点、多様性といった面からの評価が必要だが、プロジェクトの衣を着ると、合目的性といった評価軸が中心になってしまう。どうしても、研究能力を高める投資と、目的達成のための投資を区別し、それに応じた投資や評価が必要になる。
 その上で、プロジェクト型の研究開発は、まず日的を明確に示し、民問、国公立研究機関、大学を問わず広く実現のためのコンセプトを募集することが望ましいと思われる。応募されたコンセプトを検討し、専門家によって適当と判断されたものがあれば、予備的な研究を行う。これは複数あっていいだろう。その中から実現可能と判断されたものに、研究能力を結集すればいい。
 大学や国立研究所が多様な研究能力を持ち、その上でコンセプト公募といった方式が定着すれば、民間企業もこの方式を利用できるようになる。今後の企業経営を考えると、研究開発の外部委託が盛んになるだろう。現在のように側人的なつながりで委託するのではなく、大学や研究機関の能力を活用する開かれたシステムが必要になる。
 残る問題はこのような考え方が人文・社会科学に適用するかである。これらの分野では、研究能力を高めるという視点が中心になると思われる。しかし、防災という目的の中で、非常時における人間行動を解明することが必要になるかもしれない。人文・社会科学でも研究投資には二つの視点が必要である。


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