独行法反対首都圏ネットワーク

社説 進めたい国立大学の独立行政法人化
(1999.8.18 日本経済新聞)

 国立大学の独立行政法人化を巡る動きが活発化してきた。文部省がこの問題を検討する大臣の私的懇談会を発足させたし、国立大学協会でも検討を始めている。大学関係者を中心に反対論も根強く、政府の中央省庁等改革大綱ではこの件について「二〇〇三年までに結論を得る」とした。しかし、早い時期に法人化が決まる可能性も出てきた。
 独立行政法人は、国の行政機関のうち企画立案部門以外で、民間にゆだねることが適当でない業務を実施する。主務大臣が三から五年程度の期間を見通した中期目標を設定し、運営自体は法人の自主性や自律性を尊重する。目標の達成度については評価委員会が評価を行い、この結果を次の目標設定に反映することになっている。
 現在の国立大学には、いくつかの問題点がある。予算の単年度制が研究の継続性となじまない、学長のリ―ダーシップが発揮しにくく意思決定が難しい、事務機構に対する文部省の影響力が大きいなどである。独立行政法人化することで、これらの問題を解決する可能性がある。従って、結論を先に述べれば、法人化することは好ましいと考える。

誤解が反対論を生む

 法人化に反対する主な意見を見ると、短期間の評価では基礎研究ができなくなる心配がある、効率の追求は教育や研究の水準を下げる、目標管理や評価は学問の自由を阻害するなどである。これらの反対論の中には独立行政法人についての誤解に基づくものも多い。例えば、法人化すれば独立採算を求められるという声があるが、研究資金や運営資金は国が支出するのは変わらない。
 効率追求の問題にしても、国立であれば効率を無視して済むという問題ではない。効率とは、投入資金に対する成果を意味する。成果といえば、実社会で役立つような研究成果を思いがちだが、基礎研究の成果も立派な成果であり、法人化することで基礎研究ができなくなるとは考えにくい。
 とはいえ、大学を他の独立行政法人と同等の扱いにすれば、その特性を壊してしまう心配があるのは確かである。しかし、それは目標設定や評価が適切になされない場合のことであって、法人化を全面的に否定する理由にはならない。
 法人化しても、目標の設定や評価のあり方が適切であるなら、大学の特性を生かした上で、予算や運営の自由を獲得することができる。問題は、適切な目標設定や評価をどうやって実現するかにかかっていると考えるべきであろう。
 目標設定や評価を行うには、社会の中で大学がどんな役割を担っているかを明確にする必要がある。現在の国立大学が国民から何を付託されているかである。この点を日本社会も大学人も真剣に考えてこなかったというのが現実だろう。
 そのため、教育でいえば、何となく大学卒業がいい会社に就職する条件と考えられてきた。その状況はすでに変化し始めている。研究も単に研究者の個人的な知的満足のために行われたり、逆に産業応用だけを考えて行われてきた。大学は産業界のためにあるものでもなければ、就職のためにあるものでもない。

多様な評価軸が必要

 異論はあるかもしれないが、大学は、これからの時代に人々がいかに生きるべきかの指針を示す機関と考えたい。これから起こる事態に対応するための知的基盤であってほしい。言い換えれば、次の時代の文化を作りだし、発信するのが大学といってもいいだろう。教育は、その文化を次の世代に継承する活動と位置付けたい。
 学問以外の多くの文化的な活動でも目標設定や評価がなされている。もちろん単純な評価システムで文化を評価することはできない。複数の評価軸が必要になる。社会の知的基盤である以上、大学の研究には多様性が大切である。研究である以上、試行錯誤が許容されなければならない。大学がこれらの要件をどう満すかという評価軸も必要である。
 どれだけ異分野の人間が活発に議論を行っているかも評価の対象になるであろう。文化的活動なら、社会にどれだけ文化を発信したかという評価抽も必要だ。もちろん、研究成果について専門家の間で評価することも大切である。
 大学の役割を不明確にしたままだと、論文数や特許出願件数、民門での技術移転の件数、卒業生の就職率や各種試験の合格率といった安易な尺度で目標を決めたり評価することになりかねない。
 日本は何事によらず理念を考えることが苦手である。だから、大学も理念を明確にしないまま、小手先の改革に終始してきた。独立行政法人化は、日本社会が国立大学に何を求めるか考えるチャンスにもなる。


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