フォーラム

 東大改革<No.19 1999年7月21日>

東大改革 東職特別委員会

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[投稿]藤田氏の三つの立場と三つのトリック

−藤田論文批判−


 『ジュリスト』1156号に掲載された藤田宙靖氏の論文は、国立大学の独立行政法人化問題をめぐって注目を集めている。藤田論文は、大学にとって良い独立行政法人化の途もありうると主張するが、「独立行政法人通則法」のもとではそうした見通しを立てることは困難である。「大学の自由」を守るためには、独立行政法人化の途を拒否しなければならない。

1 独立行政法人化のバイブル

藤田宙靖氏の論文「国立大学と独立行政法人制度」(『ジュリスト』1156号)は、いまや国立大学の独立行政法人化をめぐる動きのなかでバイブルのごとき扱いを受けている。国大協をはじめとして全国の国立大学の評議会をはじめとして教授会にも、おそらく文部官僚の意によってくまなく配布され、独立行政法人化を検討するさいの最も重要な文書として、あるいはテキストとして読むことを推奨されているのである。この論文を避けて独立行政法人化問題を議論することはもはやできないのである。

藤田氏の論文(以下、藤田論文)の骨子は以下のようなものである。@行政改革会議の最終報告、中央省庁等改革推進大綱(閣議決定)によるドラスティックな国家公務員の定員削減は避けられない情勢にある。A独立行政法人化した機関については、独立行政法人化が定員削減としてカウントされるので、国家公務員身分を維持したとしても定員削減の対象とはならない。B独立行政法人化をめぐるこれまでの政治的な動きからは、国立大学の独立行政法人化は避けられない情勢にある。Cしかし、独立行政法人通則法に定められた制度は、必ずしも大学の運営に適しない面をもっている。Dしたがって、国立大学が独立行政法人に移行する場合には、「個別法」で大学にふさわしい制度をつくる必要があるし、その可能性がある。

言い換えればこうである。国立大学が20%とか25%とかといわれる大幅な国家公務員の定員削減計画から逃れるには、独立行政法人化のみちがもっとも良い途である。「大学の自由」を理由に独立行政法人化を拒否するなら、大学は悲惨な定員削減の嵐にさらされるであろう(もっとも、藤田氏のいうように独立行政法人化すれば定員削減を免れるという保障はまったくない。効率化を目標にする独立行政法人においてはいっそう厳しい人員削減もありうると考える方が自然である。)。ひるがえって独立行政法人化について考えて見れば、通則法で定めている制度には大学にふさわしくない面があるが、個別法を工夫すれば「大学の自由」を守ることは十分可能である。したがって、国立大学にとって、独立行政法人化は、定員も「大学の自由」も守れる良い途ではないか。しかも、タイムリミットがあるので、大学関係者は早急に独立行政法人化の可否を真剣に検討すべきである。藤田氏は、「この問題の検討について残されている時間は、決して多くない」と言うのである。藤田論文の構図は、つまるところ、国立大学がきびしい定員削減を逃れるためには、独立行政法人化の途しか残されていませんよ、というにある。「早急に検討が開始されることを望む」と書かれてはいるが、論文のメッセージはあからさまに大学「関係者」に対する恫喝である。

では、藤田論文がいうように、ほんとうに独立行政法人化は避けられない課題であり、大学にとって悪くない選択であるのだろうか。一歩立ち止まって、この問題を慎重に「検討する」ことが必要である。

 

2 藤田氏の三つの立場

藤田論文が猛威を振るっているのは、藤田氏が、行政改革会議のメンバーであり、また中央省庁改革推進本部の顧問というこの問題の政策形成・決定の枢要な立場にあることと無縁ではないであろう。大学関係者は、そうした藤田氏の言であるから、論文は政策動向を的確に見通しており、またありうべき国立大学の独立行政法人化についても大きな影響力をもちうるであろう、と考えさせられている。しかしもちろん、藤田氏自身がいうように、「今後政府がこの問題について採るであろう考え方が、以下私が述べるところと同じであるという保障は全くない」(110頁)のである。

藤田論文を読むさいに十分注意しなければならないのは、「一大学人としての立場からの見解」として書かれたこの論文が、藤田氏のこうした公的な立場からの発言と「一大学人」としての発言とを巧妙にミックスして構成されていることである。

例えば、「平成12年の7月頃までには、国立大学を独立行政法人化するか否かについての結論を(しかも積極的な方向で)出すことが強力に求められることになる筈である」(110頁)というとき、藤田氏は政策立案者としての立場から発言していると見ざるをえない。カッコ書きの「(しかも積極的な方向で)」というのは、一大学人の立場からは出てきようがない。一大学人としてもそうすべきだと考える余地はもちろんあるが、このような客観的な叙述を借りて独立行政法人化に向けて結論を出すべきだというのは政策立案者としての願望にほかならないのではないだろうか。また、国立大学は「『効率性』の支配と言った幻影に怯える必要はない。」(115頁)といった言辞は、政策立案者あるいは推進者としての立場以外のいかなる立場からなしうるであろうか。さらに、国立大学の独立性について、「仮に独立行政法人化したとしても、その限りにおいて、本質的に変わりは無い」(117頁)と、一大学人は断言しうるであろうか。藤田氏は「一大学人の立場」を借りて、ふんだんに政策推進者としての発言を繰り返している。

他方、「一大学人」としての立場も顔をのぞかせている。「国立大学を独立行政法人化する以上、むしろ、従来認められていた独立性が更に拡がる、というのでなければならない。」(118頁)、「仮にこの前提条件が充たされないのであるとするならば、… 独立行政法人という制度は、国立大学には、その性質上ふさわしくない制度であると結論せざるを得なくなるであろう。」(122頁)、といった言葉には、大学人としての期待や矜持が表現されていると見ることができる。しかし、一体、こうした大学人としての、条件法で書かれた期待と前掲の「怯える必要はない」などの断定とはどのように整合するのであろうか。実際のところ、「一大学人」の立場から表明されたこれらの期待は、一般の大学人を代表して、あるいは代行してなされ、したがって大学人から見ても了解可能なかたちで問題はすすんでいるということを示そうとするものではないのか。論文の基本的なメッセージに説得力をもたせるものでしかないのではなかろうか。大学の管理運営に関して藤田氏が「そもそも、従来型の大学教官にそのような能力が充分にあるか否かは、甚だ疑問である」(120頁)というとき、この論文における藤田氏の「一大学人としての立場」は十分に疑わしいものになっていると言わざるをえない。

したがって、藤田論文は、基本的には、「大学人」としての立場を借りて、政策推進者としての教説を述べたものだと見ることができる。では、しかし、藤田氏自身においてこの二つの立場はどのように統一されているのであろうか。長谷部恭男氏の論文(「独立行政法人」『ジュリスト』1133号)によれば、行政改革会議に提出された藤田委員のペーパーは、独立行政法人の導入は「官がどうしてもやらなければならないこと以外は、官はやらない」という立場から提案されているとのことである。ここには、藤田氏自身が、強烈な行革主義者、新自由主義者であることが示されている。論文は、こうした藤田氏の行革主義者としての立場から、独立行政法人化を推進する意図で書かれたものにほかならないのである。ひとこと付言すれば、こうした藤田氏の立場からは、国家公務員身分を維持した「公務員型の独立行政法人」は原理的に望ましくない「政治的妥協」(111頁)にほかならないのである。

 

3 三つのトリック

<定員削減・独立行政法人化は避けられないか?>

藤田氏が、来年7月頃までに「結論を(しかも積極的な方向で)出すことが、強力に求められる」と主張する根拠は2点ある。第1は、2003年までに「国立大学の独立行政法人化について…結論を得る」という中央省庁等改革推進大綱(閣議決定)であり、第2は、小渕首相の施政方針演説において2000年度から10年間で10%の定員削減(行政改革会議最終報告)が20%に嵩上げされ、その差は独立行政法人化によって達成するものとされた(大綱)が、このプラス10%分を独立行政法人化するとすれば、国立大学職員の割合から見て国立大学の独立行政法人化を避けることは「殆ど不可能」(110頁)だというにある。

まず第1点は、周知のように政治的な力関係で玉虫色の決着となったものである。2003年までに独立行政法人化を決定しなければならないというのは、行革・独立行政法人化推進派の主張であって、2003年までにその可否が決定されなければならないというのがこの閣議決定の意味である。第2に、10%削減も、上積みされた20%(大綱では25%である)も首相演説であったり閣議決定であるにすぎないのであり、確たる法律的な根拠をえているわけではない。さらに、藤田氏自身が自衛官の26万人余を除いて示している国家公務員の定員数の表を自説の根拠としているが、ここから国立大学がただちに独立行政法人化の標的となるとはいいえない。単なる数合わせのしやすさから大学の独立行政法人化を決めるのであれば、ずさんきわまりない政策決定であるといわなければならないであろう。

この2点が政府の方針であることはたしかである。しかし、われわれは、首相の施政方針演説や閣議決定に無条件に従わなければならないものであろうか?そしてまた、政府の方針においても国立大学の独立行政法人化まで決定されているわけではけっしてない。藤田氏も、早急に結論を出すべきだというときに、「現在の政府の方針を前提とする限り」(110頁)と留保条件を付けている。このように乱暴な定員削減の方針に異議を唱えることはできないのであろうか。こうした「政府の方針を前提として」論を進める藤田論文は、明らかに政府の主張を敷衍しているにすぎないといえる。ここには、藤田氏の政策推進者としての立場が貫かれているのである。また、政府がいったん方針を決定したらわれわれは従わなければならない、と国民が考えるなら、それこそ日本の民主主義の質が問われることになる。国立大学の独立行政法人化が不適切とされ、その結果として大綱の25%削減が不可能となったとしても、思いつき的な閣議決定が失敗に終わったということを意味するにすぎないのである。

<「大学の自由」は守れるか?>

「何よりも重要なことは、国立大学に(現行制度上においても)既に認められている自由が、独立行政法人化によって削減されるようなことがあってはならない、ということである」(118頁)と藤田氏はいう。そして「国立大学を独立行政法人化する以上、むしろ、従来認められていた独立性が更に拡がるのでなければならない。」(同)と。

もし、独立行政法人化の途が避けられないとして、大学の独立行政法人化を考えるとすればまことにまっとうな意見であるといえる。独立行政法人化が既定のことがらであるならこのように考えなければならないであろう。しかし、そのような当為または願望は、独立行政法人化において実際に可能なのであろうか。先般成立した「独立行政法人通則法」を検討するかぎり、それは非常に困難であるというのがわれわれの見方である。しかし、藤田氏は、それが可能であり、それを可能とするために大学関係者は努力すべきだというのであるから、われわれもしばらく、藤田氏の言に耳を傾けなければならない。

藤田氏が、「大学の自由」を守りうるとする理由は、以下のようである。@「独立行政法人制度の目的は、…担当組織に「独立性」を与える」(117頁、なお118頁)ことにあるという制度の趣旨、A教特法の適用による教官人事の独立性、B「通則法」には独立行政法人の独立性が損なわれないような配慮がなされており、法案3条3項に「自主性は、十分配慮されなければならない」という規定がある(なお、成立した法律は条文構成も含めて法案と変わらない)。C大学に適用される場合の「効率性」は、「経済的効率性」でなく、学問研究と教育という事業の効率性と解釈することができる。D「中期目標」、「中期計画」は、研究・教育環境の整備を内容とすべきである。

藤田氏の言い回しは慎重である。とくにC、Dの点は藤田氏自身の考え方として示されている。また、藤田氏にとっても「通則法」の規定には問題があり、「所管大臣の監督・関与の規定を国立大学に適用するについては、よほど慎重」でなければならない(119頁)としたり、また「通則法」のしばりは強すぎてはならない(122頁。これについては後述)と述べている。しかし、実際に、藤田氏が主張するようなかたちで独立行政法人化がすすむのか、という点が重大な問題である。藤田論文と政府の考え方が「同じであるという保障は全く無い」という点を改めて想起しておこう。

そこで、われわれ自身の目で、「通則法」を見直して見なければならない。「大学の自由」ともっとも関係の深い第3章「業務運営」について見てみよう。

「主務大臣は、3年以上5年以下の期間において独立行政法人が達成すべき業務運営に関する目標(以下「中期目標」という。)を定め、これを当該独立行政法人に指示するとともに、公表しなければならない。」(29条1項)。「独立行政法人は、前条第1項の指示を受けたときは、…当該中期目標を達成するための計画(以下「中期計画」という。)を作成し、主務大臣の認可を受けなければならない。」(30条1項)。つまり、主務大臣(大学の場合は文部大臣になろう)が、業務の“中期目標”を決定し、その「目標を達成」すべく独立行政法人の大学が“中期計画”を立てる(そして「認可」を受けなければならない)、というのである。基本的な“目標”が大学によってではなく、文部大臣・文部省によって決定されるということにまず注意を払っておこう。したがって、「中期目標」と「中期計画」は基本的には一致する内容のものであるわけであるが、そこで決めるべきこととされている事柄も重要である。そこでは「業務運営の効率化に関する事項」、「業務の質の向上に関する事項」、「財務内容の改善に関する事項」その他、となっている(29条2項)。「業務運営の効率化」が藤田氏のいうような「効率性」の意味に解釈しうると考えるのは困難であり、また「財務内容の改善」は、まさに職員数の削減を含む経済的な効率化・合理化を推し進めることになるはずである。

独立行政法人は、「中期計画」に基づいて、「年度計画」を定めなければならない(31条1項)。各事業年度における「業務の実績」は評価委員会によって評価され、委員会は「業務運営の改善その他の勧告」をすることができる(32条3項)。さらに、「中期目標」の期間の終了時(「終了後3ヶ月以内」)には、独立行政法人は「事業報告書」を主務大臣に提出し、評価委員会の評価を受ける(33条、34条)。そして、「主務大臣は、独立行政法人の中期目標の期間の終了時において、当該独立行政法人の業務を継続させる必要性、組織の在り方その他その組織及び業務の全般にわたる検討を行い、その結果に基づき、所要の措置を講ずるものとする。」(35条1項)

このような「通則法」の仕組みのもとで、大学の研究・教育の自由が守りうると誰が断言できるであろうか。少なくとも、「通則法」の予定する独立行政法人は、「大学の自由」とはまったく相容れないのである。

さすがの藤田氏も、「通則法」どおりの独立行政法人化であれば、大学とは相容れないという(122頁)。そこで、藤田氏が提案するのは「個別法」を大学にふさわしいものにすればよい、というのである。果たして、それは可能なのであろうか。

 

<「個別法」で「大学の自由」は可能になるか?>

「個別法」とは、「各独立行政法人の名称、目的、業務の範囲等に関する事項を定める法律」(通則法1条1項)である。藤田論文の表現を用いれば、「個別独立行政法人設置法」にほかならない。

問題は、「通則法」が大学という組織にふさわしくないとすれば、個別大学が独立行政法人に移行するにさいして、通則法のなかにある不適切な規定を排除したり、換骨奪胎して、大学に適した「個別法」をつくることができるか、という点にある。

藤田氏のこの点についての見解はあいまいである。すなわち、藤田氏によれば、「問題は、『通則法』は『個別法』の確固たる外枠を定めるもので…、『個別法』は、その枠内で、通則法で定めきれない事項につき、…補足的に定めるに過ぎない」のか、それとも「『通則法』は、一応の基準を定めるもので…、『個別法』では、…通則法に定められた内容と異なる定めをすることもあり得るのか」という点にある(122頁)。二つの考え方が成り立ちうるというわけである。しかし、藤田氏は、閣議決定の「中央省庁等改革の推進に関する方針」では「前者の考え方が取られているようにも読めるが」、藤田氏自身が参加した行革会議での議論では、「私自身は…後者の考え方が前提されていたものと考えている」(122頁)と主張する。はなはだ心もとない言明である。大学の独立行政法人化においては、後者のような(通則法とは異なる独自の内容を定めうる)「個別法」が制定されるはず(べき)であって、「この前提が充たされないのであるとするならば、…国立大学には、その性質上ふさわしくない制度であると結論せざるを得な」い(122頁)。氏のニュアンスは、まさかそんなことはないであろうから、独立行政法人化にすすんでも心配はないというようにとれるのだが、そうした忠告は著しく不確かな前提に立っている。

では、藤田氏の見通しはどの程度信頼しうるのであろうか。確実な材料は、「通則法」しかない。「通則法」によれば、「この法律は、独立行政法人の運営の基本その他の制度の基本となる共通の事項を定め」(1条1項)るとされている。先の、「個別法」の定義と比べていただきたい。通則法を概観すると、第1章、第2章の一般的な定義や設立などに関する事項のあとに、前述の第3章「業務運営」、「企業会計原則」を盛り込んだ第4章の「財務及び会計」、第5章「人事管理」などとなっている。素直に読めば、第3章や第4章の規定は第1条1項にいう「独立行政法人の運営の基本その他の制度の基本」そのものなのではないだろうか。第3章や第4章を外して、この法律にいう「独立行政法人」と称することが可能であろうか。また、技術的には、第1章、2章の規定には、「個別法で定める」旨の規定が多く存在する(名称、役員名など)が、第3章には「業務範囲」を定める(27条)、第4章には「積立金の処分」(44条5項)、「長期借入金」などについて定める(45条5項)場合を除いて、このような規定はないのである。規定形式上も、問題のある部分について「個別法」で排除することはむずかしそうである。

ただ、「個別法」の範囲を広くとることを可能とするように読める規定(第1条2項)もないわけではない。依然として不透明な部分は残されているということができる。しかし、確かなことは、藤田氏のいうような「個別法」に対する楽観的な見通しよりも、独自性の強い「個別法」はむずかしいという見通しの方が現実性が高いということである。つまり、われわれが独立行政法人化の途を選択するなら、「大学の自由」を殺す可能性がきわめて高いということである。

 

4 むすび

「独立行政法人通則法」を手にした今の段階で、「大学の自由」を守るためには、独立行政法人化を拒否するしか途はない、というのがわれわれの結論である。また、詳論はしなかったが、定員削減が独立行政法人化によって避けられるというのもほぼ幻想であろう。独立行政法人化によってわれわれが得るものはきわめて少なく、失うものは巨大である。

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