『高知新聞』2008年4月3日付夕刊 話題(夕刊記者コラム)

闘争の意味


つい10日前の卒業式には蕾だったキャンパスの桜が、きょうは春風に舞っていた。高知大学の入学式。2期目を踏み出した相良祐輔学長はどんな胸中でいるだろうか・・・と考えずにはいられなかった。

全国の国立大学法人で初めて、学長選考をめぐって刑事告発が行われ、係争の真っただ中にある高知大。文科省は相良氏を学長に任命したが、原告側の教授らは認めていない。今後は文科省を相手に「学長任命取り消し」を求めるという彼らに「無駄な裁判をやっている場合か」といった批判が挙がるのも当然だろう。当初からこの問題を追ってきたわたしも、この裁判こそが高知大に混乱を来しているのであれば、そう思う。

だが現実に医学部と農学部以外の学部が反旗を翻している中で、相良学長は次の4年の舵をどう切るのだろうか。高知工科大や高知女子大の公立法人化の動きをにらみつつ、道州制時代の大学法人の再編と向き合わねばならない時期。これまで以上の“リーダーシップ”で学内の異論は封じ込める戦略だろうか。

裁判は今、「選考会議の決定に影響を及ぼす立場の者でないと原告になり得ない」とする被告側の主張に基づき、入り口の議論がなされているが、これでいくと、選考会議の権限の前には、異議を訴える権利さえないことになる。原告側が「問うているのは大学の民主主義だ」といくら熱く語ろうが、その議論にたどりつくことさえ許されない。それはおかしくないか。

あらためて感じる「国立大学法人法」の危うさ。わが高知大の学長選考問題が、全国の大学法人にとって意味のある闘いにつながってほしい。