『高知新聞』2007年11月20日付夕刊

高知大を想う−−歴代学長に聞く 4 立川 涼氏(下)
独り善がり通用しない


地域にとって高知大は必要だ。だからこそ、地域とちゃんと結び付いていること、地域社会との連携が大事なんだ。

文部科学省にも大学の独り善がりは通用しないし、予算を取ってくるにしても信用される組織運営ができているかが大前提になる。

地元財界の応援を受けることは大学にとって大事だが、学長選考会議の委員に自分を支持する人ばかり選ぶのはどうかと思う。

昔なら、こんな混乱した状況では、文部省は(新学長に任命する)はんこを押さなかった。でも今は建前上、国立大学法人には口を出さない。制度上独立させて最終判断も委ねている。

来春から高知大が実施する大学院の一元化にしてもそうだが、文科省は大抵の計画にはOKを出す。その代わり、あとは自己責任でやれよ、と言う。大学がこんなプログラムを作ったといえば、それで通る。それは学生に対しても同じ。入った大学が途中でつぶれたとしても、それは選んだ学生の自己責任、と。

昔の文部省なら金もつけてくれたが、もうそんな時代じゃない。何かをやるにはどっかの予算を削らないといけない。「形」を整えるのはできても、サポートしてくれることはない。

文科省は、全国の国立大学法人を再評価すると言っている。そうなれば四国では愛媛大、徳島大はまあ合格だろうが、高知大の評価はそう高くない。

だからと言って、高知大がいらないというのは荒唐無稽(むけい)な話。21世紀の教育に果たす大学の役割は広がっている。

大学新設の条件が大幅に緩和され、破たんした際に担保となる現金が用意できれば大学はつくれる。申請すれば承認される。そんなんでいいのかと思うくらい、文科省の「規制緩和」はいいかげん。ならばそれを逆手に取れないか。市町村や財界などが資金を出し合い、寄り合い所帯で運営してもいい。高知大と県立大、工科大を一体化し、それぞれが補う形で実質的に共同で運営するのも1つの手だてだろう。

経済力がない親が無理をして東京・大阪に子どもを送り出し、その子たちは戻ってこない。長期的に高知県の高等教育を考えたとき、これ以上の損失はない。高知大にも、新しい知事にもそのことを真剣に考えてほしい。