『高知新聞』2007年11月19日付夕刊

高知大を想う−−歴代学長に聞く 3 立川 涼氏(上)
選考会議の責任は重い


国立大学は、法人化された分も地域社会に開かれなければいけないが、高知大学は逆に閉鎖的になっている。新しい国立大の方向として、情報公開の面からも望ましい運営がされているとは言えない。

次期学長選考をめぐる混乱は、何といっても学長選考会議の責任が重い。学長として好ましい候補かどうかを評価するのが会議本来の仕事だが、選考ルールの解釈みたいなことばかりやっている。しかるべき議論はあったのか、公表するのが大切だ。

学内意向投票の結果は重い。学長選びの「参考でしかない」とするなら、「初めから投票をやるな」と言いたい。投票をやった以上、その重さを受け止めた上での判断が問われる。現学長の批判勢力が過半数を占めた投票結果を覆すなら、学長の執権能力なりをきっちり議論する必要がある。それが見えてこない会議運営は不可思議だし、選考会議の本来の趣旨が全く生かされていない。

総合大学の学長は、全学部の面倒をみるのが当たり前。「出身学部の面倒はみませんよ」ぐらいのスタンスでいるのがちょうどいいが、現学長は医学部を偏重し、バランスを失したのではないか。それが意向投票にも出た。

意向投票などをめぐるどろどろとした世界はどこの大学でもあるし、えげつない運動があるのも事実。みんな学長になりたいからね。だけど、今度のは想像を絶する。どう見てもおかしい。

学長の仕事は、全学の構成員が元気を出していい仕事をしてもらうこと。それができないで何ができるのだろう? 学外からこんな意見を言うのはむなしいし、悲劇的なことだが。

今回の問題は、大学にも高知県にとっても前代未聞の珍事、歴史に残るスキャンダルだ。ここまできたら、現学長は辞表を出し、あらためて投票と選考の手続きをやり直すしかないだろう。

ただ、こうした状況に陥ったのは、学長だけではなく、大学の構成員にもそれなりの社会的責任がある。学長がやってきたことを積極的に批判する流れが起きなかった。独走を許してきた。だから問題は深刻。仮に学長が代わったとしてもそれで済む話じゃない。

たつかわ・りょう  旧制高知高校卒。昭和33年、東京大学農学部大学院を経て同学部助手。愛媛大農学部教授、同大農学部長などを歴任し、平成7年高知大第8代学長に就任。11年9月まで1期務めた。12年4月から愛媛県環境創造センターの初代所長。黒潮実感センター理事長。76歳