『読売新聞』2007年5月4日付

論点 国立大交付金の成果主義 教員養成系になじまぬ


鷲山恭彦 日本教育大学協会会長
東京学芸大学長。専門はドイツ文学、ドイツ社会思想。64歳。

国から国立大学法人に配分されている「運営費交付金」について、政府の経済財政諮問会議などから、『成果主義』に基づく配分の導入が提案された。

大学間の競争によって質の向上をはかる試みとも受け取れるが、弱い学部を切り捨てたり、研究拠点大学、教育重点大学など大学の種別化を促進したりするような、国立大学再編を促す提案になっている。

運営費交付金は国立大学の主要な財源だが、毎年減額されている。さらに人件費抑制への対応も迫られ、国立大学は今、苦境に立たされている。競争原理のこれ以上の導入は、各大学の存立基盤を脅かし、個性をそぎ取りかねない。

特に、教員養成系大学・学部にとっては深刻だ。人件費比率が8割台と、総合大学の5割台に比べて高い。施設設備に伴いさまざまな経費が配られる総合大学などと違って設備が少ない上、教員免許取得のために幅広い分野の教員が必要なためである。

これまでも業務の合理化を図り、支出削減を進めてきた。外部からの研究資金導入や、教員が応募・審査を経て獲得する研究費「競争的資金」への応募など多様な試みも行ってきた。しかし、教員養成という「人づくり」を目的としているため、外部資金の対象になりにくく、獲得できても、大学の経費に回せるほどの額ではない。

結局、教員の大幅削減しか打つ手がなくなる。私が学長を務める東京学芸大の場合、5年間で4億円削減という目標値を達成するためには、大学教員の1割以上を削減せざるを得ないのが実情だ。教員養成系大学・学部はどこも似たような状況で、行財政改革の意義は十分理解しているつもりでも、これでいいのかという疑問は消えない。

人員削減によって、主要教科の専攻はかろうじて保持されるが、芸術、環境、国際、表現コミュニケーション、文化遺産などの専攻分野の保持は困難になっている。これでは教員の現代的教養と底力を形成する領域が消滅してしまう。こうした状況が続けば、教育や研究は壊滅的打撃を受け、教育力の高い教師の養成や、教員の研修機能なども低下する。

現在、44の国立教員養成系大学・学部があるが、2004年の国立大法人化以来、各大学とも研究・教育・社会貢献の新しい在り方を追求してきた。

教科の知識のみならず、社会の変化や、子どもや保護者の変化に応える質の高い教員養成を目指し、カリキュラム改革や、学校や教育委員会などの現場と連携した教育実践学などを進めてきた。教師の専門性を向上させるための研修システムを設けたり、グローバル化が進む中での教育のあり方を検討するなど、様々な試みを行っている。ただ、こうした試みはすぐには成果が見えないため、「成果主義」にはなじまない面がある。

2004年度の運営費交付金は約1兆2400億円だったが、今年度は約1兆2000億円。東京学芸大の運営費交付金は年間90億円だが、私たちと同じ規模の大学が既に四つ消えたことになる。

大学などの高等教育機関への公的支出を国内総生産(GDP)比で見ると、日本は欧米の半分にすぎない。財政再建は喫緊の課題だが、教育は国家百年の計にかかわり、未来への投資である。官から民への流れが急だが、教育研究の公共性にかんがみ、基盤となる経費をきちんと支出することが国としてぜひ必要である。