『読売新聞』2007年4月17日付

論陣論客 国立大交付金に競争原理


経済財政諮問会議が、国立大学の基盤経費の「運営費交付金」配分に、競争原理を導入するよう提案した。教育再生会議でも「評価に基づく配分」を検討している。何が問われているのか。

聞き手・編集委員 知野恵子

経緯

経済財政諮問会議で、伊藤隆敏氏ら4人の民間議員が連名で「成長力強化のための大学・大学院改革について」という提案をしたのは2月末。その中で注目されたのは、教員数などに応じて国から国立大に配分している「運営費交付金」について、「大学の努力と成果に応じたものになるよう大胆に転換すべき」と、競争原理導入を打ち出した点だ。運営費交付金は、大学の主要財源だが、2004年度からの国立大法人化以降、効率化のために毎年1%ずつ削減されている。競争原理が導入されると、大学間の財源格差は一層拡大すると見られている。

提案では、「努力と成果」の例として、国際化や教育実績などを挙げるとともに、グローバル化などに対応した大学再編を視野に入れ、「選択と集中を促す」ような配分も掲げた。

成果に応じた配分当然 伊藤隆敏氏

経済財政諮問会議民間議員。東大大学院教授。米ハーバード大大学院博士課程修了。専門は国際金融論、マクロ経済学。56歳

―運営費交付金の配分ルールを見直し、競争原理を導入するよう提案した。

伊藤 2010年3月までの第1期中期計画では、全国立大学が運営費交付金を毎年1%ずつ減らすことが決まっている。各大学が努力してぞうきんを絞るように、削れる部分を削ってきた。だが、ここから先は乾いているものに傷をつけるような絞り方をせざるを得なくなる。一律に下げ続けると、優秀な人が産業界や国外へ逃げ出し、全体が地盤沈下する。第2期計画が始まる2010年4月以降も一律削減でいいか考えようというのが、提案の趣旨だ。

―国立大が一斉に反発している。

伊藤 教員が応募、審査を受けて獲得する「競争的研究費」を大幅に増やし、その分運営費交付金を削減すると誤解したようだが、それは違う。私の頭の中ではこの二つはリンクしていない。国際化や教育実績などによって大学の努力と成果を評価し、頑張った大学には運営費交付金を増やそうという提案だ。国立大は運営費交付金を固定経費だと思っている。半分以上は教員の給与なので、そこに手をつけてもらっては困るというが、努力しているところとそうでないところに差がつくのは当然だ。教員の給与改革にもつながる。努力しない大学はつぶれるかもしれないが、仕方がない。競争がない現状が最大の問題なのだ。

―競争が必要な理由は。

伊藤 日本の大学は世界的に見て革新が遅れている。特に地方国立大に元気がない。15年ほど前までは、地方国立大と首都圏の私大に合格したら、学生は国立大へ行ったが、今は私大を選ぶ。都会暮らしへのあこがれもあるだろうが、地方国立大の魅力が乏しいことも影響している。教員も地方国立大より、首都圏の私大を職場に選ぶ。地方国立大は首都圏の国立大と同様に多数の学部を持ち、偏差値による序列化が浸透、固定化しているからだ。昔は「この大学は経済学が強い」などの個性があった。競争によって再活性化し、特色を持つ大学を増やすべきだ。

―特色とは。

伊藤 各大学が工夫して選択と集中を進め、自らに合った生き方を探ることだ。地理的に近い大学と合併して規模の利益を追求したり、大学同士で外国語の先生を共有する手法もある。大学院を持つのはあきらめて学部教育に専念したり、地域に根ざす生涯学習や地域産業を支える場にするという道もある。国際化を進め、アジアなどから学生を集めてもいいだろう。今は皆が同じようなことをしているが、個性化を進める過程で、教育中心の大学と研究中心の大学に分化するだろう。全都道府県に国立大が必ず一つ必要かどうかの議論もすべきだ。

―頑張ったかどうかの評価尺度は。

伊藤 教育で言えば、学生が行きたい大学かどうかだ。多数の国立大を受験・合格できるように入試制度を改革し、合格者の歩留まりを見る。就職状況で人材育成ぶりもわかる。地域への密着度を見る方法もある。研究面では、論文数や、優れた研究者を輩出しているかなどだ。

―格差が広がらないか。

伊藤 世界の大学が競争している。日本の中では「上流」でも、世界規模で見ればそうではない。良い大学、可能性のある大学はさらに良くしていくべきだ。

研究偏重、教育を軽視 梶山千里氏

国立大学協会副会長。九州大学学長。米マサチューセッツ大大学院博士課程修了。専門は高分子化学。66歳。

―経済財政諮問会議の見直し案をどう見るか。

梶山 運営費交付金は一律に配られるお金と思われがちだが、そうではない。大学の努力や成果に応じて配分される「特別教育研究費」のような競争的部分が年々拡大しており、大学間の差が広がっている。さらに、教育の基盤を支える運営費交付金からお金を抜いて、研究や大型プロジェクトに回すようになっては問題だ。大学の本分はまず教育、その次が教育の一環として行う研究だ。見直し案には教育という視点が欠けている。そもそも教育が競争になじむのかという問題もある。

―毎年1%ずつ削減されていることはどうか。

梶山 それに対する議論はきちっとされてこなかった。最大の問題は先がどうなるか決まっていない点だ。我々としては1%削減はもうやめてほしいが、せめて、いつまで続くのかを早くはっきりさせてほしい。国立大にとって最も重要なことで、決まらないと2010年度から始まる次の中期計画を立てられない。

―国立大の現状は。

梶山 財政的によくなっている大学と、悪くなっている大学がある。特別教育研究費、競争的研究費、公募型研究プロジェクトなどを獲得できる大学では、大学に入るお金の総額が増えているが、それは一部であって、獲得できない大学は苦しい。頑張れと言われても、過去の歴史や成り立ち、実績を考えると条件は平等ではない。毎年こんなことを繰り返していると、最終的には一極集中になる。

―地方国立大の存在感が薄いとの指摘がある。

梶山 東京、関西、東海地区では圧倒的に私大が多い。だが地方では国立大の割合が高く、地方へ行くほど重要度が高まる。地方でしか学ぶ機会を持てない学生も多い。地域の特性に応じた社会貢献もしている。学生の集まりが悪いかレベルが低いわけではない。地方国立大の存在感が薄いといっている人は、10日間くらい地方に滞在すれば、国立大が地域といかに密接にかかわっているかわかる。

―競争原理の導入で、つぶれる大学が出ても仕方がないという意見もある。

梶山 学部・学科の統廃合や、学生を集められない幾つかの大学院をまとめるなどの検討は進めるべきだろう。しかし大学の廃止は慎重にすべきだ。文部科学省も地方国立大を今後どうしていくかを明確にすることが必要だ。

今の大学改革の議論は、研究に偏りすぎている。研究成果が花火のように打ち上げられ、マスコミで取り上げられれば、日本が活性化するわけではない。研究だけをしたいなら研究所へ行けばいい。議論や検討は現場をじっくり見た上で進めていただきたい。大学院改革論議で、出身大学の学生はそこの大学院に入れないようにすべきという意見がある。研究中心の大学では、学部をなくそうということだろうが、極論だ。大学教育を大事にしないようでは、イノベーション(技術革新)を生むすそ野は広がらない。

―教育の質を高めるための改革だという。

梶山 質の高い教育とは何かをもっと検討すべきだ。例えば、外国人教員が英語で授業をすれば、外国から見て日本の大学は変わったということになるだろう。しかし、すべての国立大がそんなことをすれば、日本人学生のレベルが下がる。

寸言 1兆2000億円 有効に

国立大への運営費交付金は年間約1兆2000億円にのぼるが、有効に使われているかを問う声が、政府の審議会や経済界などで相次いでいる。現在の配分方は「頭数に応じたもので、競争がない」というイメージが強いことが根底にある。教育再生会議が「評価に基づく配分ルール」や「毎年一律1%削減する現行方式見直し」を求めているのも、同様の考えからだろう。

国立大内部からも「これまでのような護送船団方式はもう無理」という本音が漏れてくる。努力、成果、評価などをキーワードに、国立大見直し論議が今後活発化しそうだ。