『秋田魁新報』社説 2007年6月3日付

国立大運営交付金 競争原理だけでいいか


国立大学への補助金である運営費交付金の配分について、財務省が競争原理を加味した試算をまとめた。東大や京大など旧帝大は交付額が増える一方、秋田大を含む地方大学の多くが減少した。そのまま実施されるとは思えないが、極めて憂慮される事態といっていい。

試算は、研究実績の指標の一つである文部科学省からの各大学への科学研究費配分割合に応じたものだが、地方大学や教育系大学を中心に全体の85%に当たる74大学が減額され、うち50大学では何と半額しか交付されなくなるという。秋田大もその中に含まれていた。秋田大の年間予算規模は約250億円。うち交付金は約100億円で、50億円を超す額が減らされる計算になる。交付金は大学の最低限度の質を維持する財政基盤であり、秋田大関係者ならずとも県民の多くが衝撃を受けたのではないか。

交付金配分方法の見直しは政府の経済財政諮問会議などで、各大学の研究実績に応じて交付金を傾斜配分する、いわゆる競争原理を導入すべきだとの意見が持ち上がったためだ。競争原理を全く否定するものではないが、科学研究費の多寡だけで大学の評価、あるいは大学の存在を左右しかねない交付金が決められていいものか。そんなはずはない。

そもそも旧帝大など大規模な総合大学は、長い歴史の中で手厚い予算措置を受け、各種分野の研究基盤が地方大学に比べ圧倒的優位にある。当然、科学研究費の採択件数や配分額も多い。それを基準に今後の交付金を決めようということ自体に無理があり、公平性を欠くというものだ。

問題はまだある。理工系などの実学的分野のみが重視され、成果がすぐに出にくい研究や、テーマが限られ、科学研究費の規模が小さい人文系の研究が、脇に押しやられることにもつながりかねない。

財務省の方針には、もう一つ視点が欠けている。秋田大をはじめとする地方大学が果たしてきた役割だ。教育と学術研究にとどまらず、地域の人材養成や進学機会の確保、地元経済への貢献など、それぞれの地域にとって大きな役割を果たしてきた。試算とはいえ、同省の考え方はそれを全否定するようなものだ。

政府の教育再生会議は、国際的に競争できる大学を増やすため、国からの助成の「選択と集中」を提言しており、今回の財務省試算もその流れの中にある。それは国立大学の再編・集約化の動きとも連動している。今後少子化が一段と進むことを考えれば、確かに大学の淘汰(とうた)は避けられないであろう。だからといって、地方大だけが壊滅的な打撃を受けてもいいというものではなかろう。

試算は、大学の在り方に関する論議を巻き起こすための手段と受け止められなくもない。しかし、わが国の高等教育がどうあるべきかという本質論を欠いたまま、競争原理だけが導入されることには疑義を抱かざるを得ない。

「教育は国家百年の大計」という言葉を政府はあらためてかみしめる必要がある。