『山陰中央新報』社説 2007年5月30日付

国立大交付金/地方国立大学を守ろう


国立大学の運営費交付金の配分をめぐり、ホットな論争が続いている。経済財政諮問会議の民間議員からの提案がきっかけだ。成果に応じて配分される競争的研究費だけでなく、日常の人件費などランニングコストにあたる運営費交付金も各大学の成果を反映した配分としたらどうか、というのだ。

運営費交付金は、国立大収入の約半分近くを占める。教員数など規模に応じて配分され、人件費や日常の教育・研究費など基盤的経費として使われる。大学法人化後は毎年度1%ずつ減額され、一方で競争的研究費の割合が高くなってきた。

提案は、国際競争力を高めるため、基盤的経費の配分にも競争原理を導入し、資金の選択と集中を促そうというものだ。

これに対し国立大側は、成果の見えやすい分野ばかりが評価されることになり、基礎研究や自由な発想による研究の芽がつぶされる、と反論。産業基盤の弱い地方大学や教育系大学の経営が困難になると主張している。

資源の有効活用は必要だが、大学の役割を考えれば、ここは国立大側の方に説得力がある。「努力と成果に応じた配分」と言うが、大学は産業界の下請けではない。企業にすぐ役立つ応用研究ばかりに目が向くような一面的な議論では国の将来を誤りかねない。

ノーベル賞につながるような問題発掘型の研究には、研究者の自由な発想が不可欠だ。長期に問題に取り組める土壌が必要で、基盤的研究費は欠かせない。

教育という視点も忘れてはならない。教員養成など人材育成はそもそも競争になじみにくく、すぐに「成果」が見えるようなものでないが、大学の重要な仕事だ。

財務省の試算によれば、競争的経費である科学研究費補助金の配分実績で運営費交付金を再配分すると、現在より配分が増えるのは東京大など十三大学だけで、七十四大学が減額となる。

中でも、教員養成が目的の教育系大学の減額幅は大きく、現状の一割以下になるところもある。まさに「技術開発に取り組める人たちが申請した件数だけでお金を配分したら、将来の人材を養う基礎にお金が回らなくなる」(伊吹文明文部科学相)。

試算では、交付金が半分以下になる大学が五十大学。鳥取大が60%、島根大に至っては70%以上の減額となる。文部科学省によると、半分以下となれば経営破たんは免れないという。民間議員からは「努力しない大学がつぶれるのは仕方がない」「全都道府県に国立大が必ず一つ必要なのか」との声もあるが乱暴すぎる。

私大の多い大都市圏と違い、地方国立大の地域への貢献度は大きいものがある。医師や教員など地域を担う人材育成で重要な役割を担っている。都市と地域の格差が広がる中で、地域と密着した地場産業支援の役割を担えるところがほかにあるだろうか。

授業料設定などに自由競争を持ち込む動きもある。だが「効率」だけでこの問題を切り取るのはあまりに短絡ではないか。研究面での独創をどう生かすか、人材育成や地域の主体性をどう支えるのか、地方分権への展望も含めた複眼的論議が絶対に必要だ。