『京都新聞』社説 2007年5月26日付

国立大交付金  競争原理が目立ちすぎ


「成果が目に見えなくとも基礎研究が大事なんです」。ノーベル化学賞を受賞した故福井謙一博士の口癖だった。基礎という土壌がなければ大輪は咲かない。そんな信念を込めた言葉である。

福井さんの願いと「逆行」するような試算を財務省がまとめた。

国立大学法人への補助金に運営費交付金がある。この交付金に競争原理、成果主義を導入して、各大学への配分を見直すという考えである。

全国八十七大学のうち交付金の五割以上減額が五十校、五割未満減額が二十四校と、全体の85%が減額になるというから大ごとだ。財務省、経済財政諮問会議側と文部科学省、国立大側が配分をめぐり、激しいせめぎ合いを続けている。

交付金は、教員の人件費や教育・研究費に充てる大学運営の基盤財源だ。授業料や企業からの外部資金収入もあるが交付金は全収入の半分を占める。二〇〇七年度の交付金総額は一兆二千億円。

今回の提示は、教員や生徒数で配分されている交付金を各大学の研究成果に応じて再配分するというものだ。一律的な配分をやめ、重点投資で国際競争に打ち勝てる大学を育てようという狙いだ。

研究成果で決定される科学研究費補助金(科研費)の獲得額に基づき試算したところ、交付金の増額は東京大や京都大などわずか十三校だけ。京都教育大、京都工芸繊維大、滋賀大、滋賀医科大はいずれも五割以上減額とされた。

〇四年の法人化以降、各大学とも台所は苦しい。大学にも経営感覚が求められるのは当然である。しかし、主要財源を半分以下にされては大学経営など成り立たない。

これを機会に、大学の再編・統合を進めたい財務省の思惑も見え隠れする。それにしても乱暴すぎる。

競争原理を最優先すれば、規模の大きい旧帝大や理工系や医薬系など特定分野に交付金が集中する。一方、研究成果がすぐに出ない基礎科学や人文、教員養成系分野はないがしろにされ、学問自体の衰退を招きかねない。

福井さんが懸念していたことである。

人材育成など地域に密着した地方ならではの大学も多い。だが、経営が脅かされれば「大学が消滅することも起こりうる」との悲鳴の声も。そうなれば都市との格差は広がるばかりだ。

もちろん大学間競争は必要だ。少子化による大学全入時代を迎え、個性ある大学を目指す努力が大学側に求められることは言うまでもない。

大学・大学院改革は、安倍晋三首相が掲げる「教育再生」の課題である。とはいえ、試算は財政事情ありきといった色合いがあまりにも強い。

教育は「国家百年の大計」である。じっくり腰をすえ、論議を深めることだ。教育という「基礎」がなければ、美しい国といえども、大輪は咲かない。