『東奥日報』コラム 天地人 2007年5月26日付


明治維新の戊辰(ぼしん)戦争に敗れ、財政難にあえぐ長岡藩に、支藩から米百俵が贈られてきた。大参事の小林虎三郎(とらさぶろう)はこれを売って学校を造るという。藩士は猛反発した。が、虎三郎はこう諭す。「米は食べればすぐなくなるが、人が育てば、この百俵が一万俵、百万俵になる」。

山本有三の戯曲「米百俵」である。小泉純一郎前首相が演説で取り上げ、有名になった。何よりも大切なのは人づくり。そのために、教育に力を注がなければならない。虎三郎はそう考え、藩士が貧乏に苦しんでも、人材育成という将来の大きな利益に希望を託した。

時が移り、価値観が変わったか。国が学問に目先の成果を求め始めた。財務省が国立大学への補助金(運営費交付金)に競争原理を加味した配分額の試算を発表した。地方の大学は軒並み減額である。弘前大学は年間約八十億円も激減する。

配分見直しがこのまま決まるわけではなかろう。が、試算通りなら、大学は生き残れまい。地方大学の地域への貢献は計り知れない。その学問の拠点が国の財政難のためなら消えても仕方ないのか。財務省がそう考えているとしたら、虎三郎の高邁(こうまい)な理想を勉強してもらいたい。学問は国家百年の大計で考えるべきではないか。

「真理を探求する学問は遠い将来に報酬を求める」。新渡戸稲造博士も著「札幌農学校」でこう述べる。「学問の王国は、政治の支配を甘受したり、世論の気まぐれな欲求の取り持ちなど、絶対にしてはならない」とも。博士がいま生きていないのが残念だ。