『高知新聞』社説 2007年5月25日付

【国立大交付金】 地方に厳しい成果主義


地方に国立大はいらないと言うに等しい試算内容が財務省によってはじき出された。

国立大の運営資金として国が支出している運営費交付金について各大学の研究実績を加味して配分し直すとすると、八十七の国立大のうち、旧帝大などを除く七十四大学で交付金が減額となることが示された。

地方の教育大を中心に高知大など五十の大学では交付額が二〇〇七年度予算額と比べ、五割以上減る。仮にこれが実行されれば地方大のほとんどが経営困難に陥ってしまう。

国立大学法人化で経営権限が国から大学に委譲され、授業料や病院収入なども自己収入として大学の裁量で使えるようになったが、主財源である交付金は「経営効率化」を名目に毎年1%ずつの減額を強いられている。

1%とはいえ、規模の小さい大学でも年間数億円に相当する。受託研究費など外部収入に期待できない教育系大学や地方大学にとって交付金の減額は経営を直撃する。

一方で、経済、産業界からは交付金に関して「研究成果を反映させよ」と、成果主義導入による配分を求める強い意見がある。

背景に大学を最先端の研究拠点として機能させ、日本の経済成長につなげたい思いがある。そのためには優秀な大学に資金を重点投資し、地方大学の再編、淘汰(とうた)も致し方ないとの考えだ。

経済界のメンバーが加わる経済財政諮問会議を軸に規制改革会議なども成果主義導入を提言しており、改革案を「骨太の方針」に盛り込みたい考えだ。財政支出を抑えたい財務省も成果主義に同調している。

これに対し、文部科学省や国立大学協会は地方での高等教育の機会確保などを理由に強い抵抗を見せる。

経済界の利益に直結する分野ばかり資金配分しては基礎科学、歴史研究などの人文系、芸術系の分野は衰退する。学問の多様性、ひいては日本文化にまで影響が及ぶ。

地方大は地域で働く人材を育成する一方、地元企業と連携して技術開発力を強化するなど貢献しているところも多い。地方大の消失は地域経済、活力への影響が極めて大きい。

成果主義導入は地方にとって負の側面が大きすぎる。そもそもこの試算自体が極端なシミュレーションであり、重用してはならない。事は日本の学問の本質にかかわる問題であり、経済効率だけにくみしない慎重な議論が求められる。